Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2015年10月3日土曜日

舌から鱗

疲れる、だるい、何となくやる気がしない・・・こんな不具合を随分前は

《不定愁訴》とかなんとか言っていたと思う。今はこんな言葉を聞かな

くなったけど、正にこんな状態が8月頃には私を支配していたような気

がする。

で、思い出した。自分が玄米食をやっていた事を。

十年程前にも中性脂肪がやや多めですとか、『血中コレステロールが・・・』

とか言われていました。でも、どうしても薬に頼るのが嫌でした。

食事療法を自分なりにやってもなかなかうまくいかない。

お医者様は

『食事療法なんて無理ですよ。』とにべもない。

そこで始めたのが玄米菜食。

やせるつもりもないのに、いつのまにか健康に痩せていた。

それなのに、玄米食が3年程前からグズグズに崩れてきてしまい、

肉食に戻っていた。

『やっぱり、お肉を食べなくちゃ、力が出ない。』なんて言って。

で、玄米食にほんのちょっとでも戻ると、舌がかわるのですね。

コンソメが不味い。合成調味料がすぐ分かる程にその科学物質を感じ

てしまう。又、昆布と椎茸で出汁をとるのが辛いけど・・・いやいや、この

辛いと感じているようではダメなんですね。やりはじめるとなんでもない

ことだったのに、そう感じた時から、続けられない・・・が始まるのですね。


で、玄米にすると魚は合うのですが、お肉は合わない、というかまずい。

大根おろしや、青菜のごま和えとか、そして、お味噌汁が圧倒的に合うし、

美味いですね。納豆、豆腐、厚揚げの煮物など、昔からある食材が美味

しいんです。

白米は江戸期の元禄時代にお金持ちの食事として始まったそうで、この

栄養分を削ぎ落した白米は後に脚気なども引き起こしたわけですね。

今の時代は食べ物が溢れているご時世だから、脚気は問題にはならなくて

むしろ偏った過剰な栄養摂取が問題になっています。玄米を食べていれば

食物繊維は無論、あらゆる栄養素が含まれていて、ビタミンだタンパク質だ

カルシウムだと騒がなくてもいいのに・・・と思う。

やはり、この縄文時代からの食事が日本人の健康食なんですね。

《目から鱗》いや《舌からうろこ》です。

2015年9月30日水曜日

吉祥寺《森の珈琲》

最近、吉祥寺に行くと必ず寄るお店がここ。

今までは散々歩き回ってもそのまま直帰で家に帰ったりしたのだけど、

歳ですかねえ、何処かに座りたくなる。それも、落ち着いていて、それ

なりに寛げる場所でないと嫌ですね。

かと言って、余り駅から遠いと疲れている時は無理。

座る場所も、椅子の形状も選ぶので、かなり限られてくる。

ハモニカ横町の近くのレモンドロップは最近何故か落ち着かない。ホスピ

タリティがイマイチだし、横にパチンコ屋があるのが気になる。

ブックス・ルーエの近くの老舗の喫茶店は全部ソファーで座り心地がいい

のだけど、やはりいつも混んでいて座れない。

ヨドキチの前の通りにあるスターバックスもいつも混んでいて、座る所は

止まり木くらいしか空いていない事が多く、やはり却下。というか有り体に

言えば、ここの珈琲をあまり美味しいと感じたことがない。こんなに珈琲

文化を日本に定着させたお店で映画にもやたら出てくるお店なのに。


吉祥寺東急の裏手にある多奈加亭は老舗で雰囲気も、これぞ喫茶店の

典型的在り方と言う所。サンドイッチも珈琲も美味い。しかし、買い物の

帰りに寄るとなると少し遠いかなあ。

で、最近よく行くのが、駅前通りのパルコの一階にあるお店。

ここの森の珈琲がうまい!

今日はブルーベリーのシフォンケーキとともに頂いて大満足。

ここのシフォンケーキは文字通り、絹の様な軽さ。もう一個食べたいな・・・

と危うく頼みそうになってしまった。無論食べてもいいのだけど、なにか

恥ずかしい。

でも、この軽やかさはどうやって作るのだろうか、粉が違うのか。

家で作ると粉のザラッとした感じが残ってしまうのに、これは正にシフォンの

軽さ。今まで食べた中ではここのシフォンに勝るケーキはないのでは・・・と

思うほど。

武蔵境か、武蔵小金井だったろうか、オーブンミトンという有名なシフォンケーキの

お店があるけど、ここのケーキもこれほどではなかったような気がする。

ともかく、シフォンケーキもう一度研究するのもいいかも。


2015年9月25日金曜日

『選択の科学』その2、自分で決断する危うさ

『選択の科学』ではある実験結果をこう分析しています。


早産で生まれた赤ちゃんは保育器に入れられて、様々な不都合の為に

人工呼吸器で命を永らえています。もし、無事そこから出られたとしても

脳が機能せず、話す事も聞く事も出来ず、一生車椅子で過ごす事になる。

その時、あなたならどうしますか・・・という設問がある。

以前は医者の判断で呼吸器を止めると言う事が公然と行われていたが、

インフォームド・コンセントという考え方が始まり、医者は患者に事前に

詳しく説明してどうしますか・・・と言う事になり、決めるのは両親に任せられる

ようになった。

自由主義社会では個人に関係する事には本人の自由意志が尊重される。

しかし、この場合、両親に子どもの人工呼吸器を止める判断を任せる場合

と医者が決断をする場合とでは親の精神的負担は大きく違う。

つまり、アメリカとフランスの場合ではこの辺のところが微妙に違っている。

アメリカの両親の場合は決断は両親に任され、『もし、あの時違う決断を

していたら・・・』というような後悔がいつまでも付き纏う。

フランスの場合は最後は医者の決断があり、アメリカの両親のような後悔は

ない。

事程左様に自分で決断する・・・というのはそれぞれに陰影を残すものらしい。

『ソフィーの選択』のように丁か半かを自分で決めるというのは辛いことなのだ。

ソフィーは自分の子どもの二人のうちどちらか一人をガス室送りにしろ!と言われて

身体の弱い子を選んだ事に苦しめられる。


さて、私の心臓のステント手術があっさり終わった後、毎日飲む血栓を溶かす

薬が問題だった。

なんせ、胃が痛いのだ。

ネットで調べると強い薬なので胃が荒らされる、だから、胃薬も毎日一緒に

飲む事とある。

しかし、あまり痛い日が続いたので、ひと月程この薬を飲まない日が続いた。

流石に、医者に呆れられ、また飲み始めたのだが、胃が痛いのは薬が原因

ではなかった。知識がないことからの誤った選択だ。

それから、食べると痛い・・・を繰り返していて、一年ほど経ってから、夕飯に

食べたサバの塩焼きが

『まずいなあ~。バサバサで美味しくない。』から始まった胃の痛み。

『病院につれて行って。』をメールで送ったを最後に気を失った。

気がつけば次の朝、病院のベッドの上で胃が痛い・・・を繰り返していて、吐いた。

誤った選択がとんでもない事になったのだ.


2日後に撮った胃カメラで

『立派な胆石だな~、ゴロゴロあるよ。』

激しい痛みは胆石だったのですね。


2015年9月11日金曜日

ワンダフルな虹

誰かに怒りをぶつけているかのような土砂降りが毎日続いて、

うんざりしていた。

ほんとにもう、家の中は湿気ていて、床はペタペタするし、何が

嫌かと言って、玄関の木のドアは水分をしっかり吸って膨張して、

開けるも閉めるも重くて大変な事になっている。


昨日は夕方に小やみになったのを幸い、善福寺川にかかっている

橋を渡ってみると濁った水がゴーゴーと流れている。

うわ、凄い量の泥水!

でも、空が明るい。

見上げると、見事な虹!

気象庁では60年ぶりの大雨だと言っていたけど、こんなクッキリ見事な

虹は見た事がない。

いつも儚げな風情の虹しか観た事がないのに、今日は半円の虹が

太い筆で一気に書かれたように筆跡を残している。

思わず携帯を取り出し、良い角度で撮ろうとして道の真ん中に立っていると

バスやら、タクシーが来て邪魔をする。

気がつけば、2~3人のヒトが同じように携帯を虹に向けていた。


思いもかけず、良い物を観たな!とウキウキして先生の家の玄関を開けると

我が家と同じ音がする。ぎぎぎい~。

既に来て練習をしている子ども達は今日の大雨で近くの家までが浸水した

と興奮して話している。

『NHKが来てたよ。川のそばでなんか報道してたし・・・。』

『でも、近くの家に被害はなかったのでしょ。』

『あったよ。あそこは川より下なんだから。』

・・・。

子ども達に今観た虹の話をすると

『見せて、みせて!』と大騒ぎ。

『画面でっけ~。』とか、

『画質がいいなあ~。』とか。

やはり、子どもは屈託がなくていい。


2015年9月9日水曜日

丁か半かを自分で決めたい時。

確かに凡人の我々には難しい場面での判断を下すというのは難しい。

例えば、病気の時。

お医者様というのはプロなのだから、全てお任せする方がいいし、素人の・・・そして、

病気であるというただならぬ事態を抱えている患者には冷静な判断が出来るわけが

ない。それも一刻も争うなどと言う時には。


2012年の頃、何やら、時々胸がなんとなく苦しい。

胸を抱きかかえるようにしてうずくまると少し収まり、それからしばらくはそんな事が

ないのだけど、又一週間もするとそんな風に苦しい。

内科に行けばお定まりのレントゲン、心電図、で、何も異常がないですよ・・・との診断。


いやいや、そんな事はないを主張して、ひと月後の超音波検査を予約。

ここでは私の食い下がろうとする選択があった。

その検査でちょっと引っかかる所があるとの事で、MRIの予約。これも3週間後。

で、分かったのは、心臓を取り巻く大動脈の一本が75%詰まっているという写真。


やはりそうなんだ。

このまま知らずにいけば、心筋梗塞で大騒ぎになるところだった。

普通、こんな風に気がつかずに生活していて、何か変だな・・・くらいで過ごして

いるのだろう。。

75%詰まっていてもこの程度なら・・・。


それから2週間後、手術に決まった。

本来なら開胸手術で患者の負担も大きく、入院も長くなる。

だが、ステントという蛇腹になっているものをその部分まで入れて、患部でパカっと

広げるとその狭い部分が広がり、それで手術はおしまい。

一日か二日の入院でそれも局部麻酔で、いやなに簡単ですよ・・・とおっしゃる。


実際その通りに簡単だった。

身体にも負担がなく、心臓という大臓器の手術だったにも拘わらず、傷もなく、

入る病室がないので手術後に待機する部屋でもう一泊というので、

『いやいや、帰らせてもらいます。』

とまるで、ホテルの予約を断るかのように家に帰った。


こんな大手術なのに、家族は余りのあっさりしたご帰還に呆れていたかもしれない。

で、手術は簡単です、開胸に比べて負担が少ないです・・・に釣られてした手術だった

のだけど、果たしてこれで良かったのか。



その後、

毎朝血栓を溶かす薬を飲み続けなければいけない。

ステントが血栓を掴みやすくしているので、普通以上に食事に気を付けなければ

いけない。

血が止まりにくいので、決して、怪我をしてはいけない。

事実その通りで、その後、頭に物を落として、切り傷を作り、結構な量の出血に

驚いて、病院へ。その後も、お正月の元旦に棚の角に額をぶつけてまた、また、

ダラリと出血。回りをあたふたさせて病院へ・・・という粗忽者の私を認識。


そして、その血栓を溶かす薬との付き合いが始まったのだが、これが難物だった。

胃が痛いのだ。

そこで胃の負担を和らげる為に、胃薬も頂く。

その後が長い話になる。

サイコロを振る話は続きます。


2015年8月27日木曜日

ヒトは毎日サイコロを振っている

向田邦子さんのエッセイにこんなフレーズがあったような。

女は日々、買い物に行く度にこれがいいか、あっちがいいか

品定めをして、毎日小さな賭けをしている。


あっちのほうが良かったのではないか・・・などと思うことなど

は日常で、いつも後悔ばかり。


夏物の洋服を買いに行く。

風が入って、生地が涼しくて、着やすくて、しかも、オバさん

ポクないシャツを買いたい。

ところが、行って観ているうちに花柄の綺麗な色のブラウスに

眼が惹付けられ、似合わないのに、買ってしまう。

パーティーとか、お呼ばれの時にでも・・・なんて言い訳を考える

のだけど、まあそんな機会はあまりない。

チェック柄のサラサラとした生地のシンプルなシャツがあったのに。

今回も賭けに失敗しているかも。


さて、ヒトの人生や生き死にに関係する選択の場合は後悔ごとき

では間に合わない。

シーナ・アイエンガーさんの《選択の科学》ではヒトの選択の時の

心理や傾向について探求をしていて、『そうそう、そうだよねえ』

という結果から、『エ~、そうなの!』という結果まで様々で面白い。


最近では、我々中高年は病気の治療や医者とどう付き合うかという

場面で大きな選択をしなくてはいけない。

自分たちもそうだけど、親の分も背負っている。

癌治療では医学がかなり進歩した。けれども最近の死生観のありかたも

変わって来ていて一概に同じ選択ではないようだ。

肝臓がんを患った友達は抗癌剤と闘うといって始めたけれど、どうやら

がん細胞の方が強かったらしく、あっと言う間に彼岸の彼方へ行って

しまった。

闘う医療もあれば、そういう病気とゆっくり付き合うという方法もある。

一昨年の夏、癌と闘い、見事回復した4人のヒトの話を聞きに行って、感銘を

受けた。

勿論治る癌と一つしかない臓器だから治らない癌といろいろある。

そのヒトに備わった、病気と向き合う時の力量なども関係するのでしょう

けど、ここには大きな選択をしなければならない場面がいくつかある

と思う。まさに賭け。


私たち中高年は親の介護が終わったか、正に真最中か、そろそろ・・・

というヒトたちがいる。

あの時、車椅子を使った方が良かったのか、いや使わないで自力で

頑張らせれば、もう少し元気でいられたのではないか・・・などから

始まってどこの医療機関に任せればいいのか、ありとあらゆる事で

選択を迫られる。その選択の際にはそれを選ぶという様々な前知識

が必要になる。

さて、医者はその最後の決断の場合、患者本人に任せるかどうかは

多いに悩むところだそうだ。私たちの今の文化では、選択の概念が

尊厳と主体性の美徳ときわめて密接に結びついている。

そのためだれからも、たとえそれが退行性脳疾患に苦しむヒトであって

も、選択の権利を剥奪すべきでないという強い意識が働いて、肉体的

健康への配慮さえ、どこかに押しやってしまうことがある。


けれど、いつでもヒトは自分で決めたいかというとそうでもないことが

ある。

苦境に立たされた時、自分が正しい方向に進んでいると太鼓判を

押してくれるヒトがいれば、たとえ現実の結果が変わらなくても、苦しみ

は大いに軽くなる。ヒトはそんなに強くないのですね。


アイエンガーさんは言います。

『私の同僚の女性はまるで天啓にうたれたようにあることに気がついて

から、肩の荷がおりたような気がしたと話しています。

《治療をどうするか何年も悩んでいたある日、突然はっと気がついたの。

母は私が何をやってもやらなくても、いつかは亡くなるってことに。

残酷に聞こえるかもしれないけど、自分が母を治せないこと、母に自主性

を戻してあげられない事を理解することは大切だった。そのお陰で一緒に

暮らした最後の数年間は質の高い生活を二人で送ることだけを考えること

ができた。》』


私は思います。完璧じゃなくてもいいじゃないかと。

みんな、そうなるために頑張りすぎてはいないか。


買い物に失敗しても、まっ、いいかですねえ。

で、今日もルミネで素敵なバッグを買うかどうか迷っている。


2015年8月13日木曜日

塀塗り、やっと完成。

この暑いのに、何を好んでなのか、突然、塀の汚さが
我慢ならなくなりました。
そして、思い切って塀のペンキ塗りを初めてしまいました。
というのも、白いペンキをかなり前から買ってあったので
使ってしまわなければ・・・というのもあったのですが。

いやはや綺麗になるもんですねえ・・・誰も褒めてくれ
ないので、自分で自分を褒めてあげるという、最近の流行の
言葉を自分に浴びせて満足しています。

この前を通るたびにウフフと言ってしまいます。
思えば、この2週間、朝5時に起きて一時間ほどペンキ塗りを
します。それから、シャワーを浴びて、朝ご飯を食べれば、
もう、その日一日使い物にならない・・・。
あっ、でも3〜4日でこのパターンに身体がなれましたけど。
少しづつ綺麗になるのに気を良くして、この充実感は半端ない。
この夏はこの一事で◎かなあ。
さて、これから美味いものでも食べに行きます。
なんか、これを書いているうちにそんな気分になってきた。
昨日、中華街で散々美味いものを食べてきたにも拘わらず。

大人のいない国、日本

2020年のオリンピックの為の国立競技場を巡って、信じられない程の

関係者の無責任ぶりには国民のみんなが呆れてしまったと思う。

特に下村文科相は『だって、僕は大臣だから、みんな言う通りにやって

くれないの?』とでも言いそうな幼い顔つきで、何故5百億円以上もかかる

のかを自分でも十分に説明を受けないまま(のように見えるけど・・・)

とにかくかかるから、出してね・・・と言っているように思える。

で、こんな感じで、この世界を渡ってきたように思える・・・まさかねえ~。


偉くなる、役付になるというのはその実績を買われて、このヒトならやって

くれるだろう、とか、やれる力量を認めた・・・という経緯で抜擢される

のかと思うけど、どうやらそんな単純なものでもなさそうですね。


一流料亭がもったいないからと、料理の付け合わせを使い回しをしたり、

利潤を上げる為に得体のしれないものを混入させる某食品メーカーや

今回の東芝の3代社長の辞任問題など、どう見ても社長の器ではないのでは

と思えるヒトがトップに上って社長を務めている。

多分、トップに上り詰める能力があったんでしょう、どういう能力か知らないけれど。

不祥事が起きる度に嫌々ながらも、渋々表舞台に引っ張りだされ、謝罪を求められた

このトップ達も、それでこの難事を渡りきれるのかと観る者を不安にさせる程に

謝罪の仕方や態度に尊大な態度が見られて、違和感を覚えたヒトは少なくないのでは。

他の一般の人たちを足蹴にでも仕兼ねないような奢りがみられるのはなぜなんだろう・・・

と映像を観る人たちに疑念を抱かせる。

この人たちも最初はそんな考え方、そんな人柄ではなかったのかもしれないけれど、

その社長というトップの座を得て、業績を上げることに躍起になっているうちに初心を

忘れてしまったのかもしれない・・・と世間の見方は優しい。


でも、こういうヒトの生き様は今の若いヒト達から観れば、《こんな大人になりたい》という

成熟した人間のモデルには当てはまらない。


日本が明治維新を過ぎるころにはこんな凄いヒトがいた・・・というモデルがいっぱい

いた筈。

内田さんは言います。

『官僚や政治家やメディアに出てくるヒトたちがこれほど幼稚なのに、致命的な破綻もなく

動いている日本社会というのは、改めてみると、きわめて練れたシステムになっているな

といつも感心する。』と皮肉な言い方をしています。

『幼稚な人が幼稚なままでちゃんと生きている。』

『欧米にもアジアにも、そんな社会はない。

外側だけが中高年で、中身が子どものままというようなヒトたちが権力を持ったり、

情報を集中管理していたら、ふつうは潰れる。何故日本社会は子どもたちが統治しているのに

つぶれないでいるのか・・・そのほうがずっと不思議だ。』


本当にそう思いますね。

で、前々から、考えていたことなんだけど、政治家がダメでも、優秀な官僚が

いるから大丈夫なのよ・・・という次の論拠にも賛成したくない。

勿論、優秀で人望のある官僚が日本には多いのでしょう、例えば佐々淳行さんのようなヒトが

いる。でも、ああいう爽やかな、涼やかな官僚って稀ですね。

ヒトは顔付きにその中身が出るというのは本当だと思うし・・・。

そして、そういう優秀な官僚をこきつかう政治家が時々目に余る暴言や失言や誤った

舵取りをして、国民を路頭に迷わせるんですね。世の中は余りかわらないのかな。

残念ながら。


2015年8月9日日曜日

地方の醸造元のがんばり

先日KAI日本語スクールの夏のパーティーに参加してきました。

ヨーロッパ系の学生が多く、中国、韓国系の学生が少ない希有な

日本語学校ですね。

そして、最近は学生が多くなって、大盛況だとか。

国の施策も一枚かんでいるようにも思えますが。


さて、ここに東北のいち醸造元の宣伝マンがやってきて、自社の

お酒を勧めていました。頑張りますねえ。

このメーカーさんはこの大久保通りにこのお酒の販売店を開いて

います。ここで、じぶんの好きな写真をラベルにして酒瓶に貼って

あげるというサービスをやっているとか。


先日はあのパイレーツ・カリビアンに出ていた、オーランド・ブルーム

さんがやって来て、ラベルを作ってご満悦だったとか。

『王蘭努』という漢字をあてて作っていたようですね。


この宣伝マンに筑波の香取神社のそばにある

あの有名な《寺田屋総本家》の話をしてみました。

知らないようでした。

自分のお酒をみんなに広めたいという意欲がラベル作りに集中していて、

寺田屋さんというお酒本来の味わいを大事にして、頑張り抜いたヒトの

話に興味も示さないこのヒト。

いづれ本来のお酒作りに向いていくのかなあ。

2015年7月23日木曜日

庭のイトトンボ

朝、孫の朝顔に水を遣っていたら、なにやら、細い,儚げな

トンボが一匹、葉の上に止まっている。


最近ではかなり珍しい。

ネットで調べると、『イトトンボ』らしいですね。

オニヤンマも見かけるけど、イトトンボは稀です。


この方達、肉食なんですねえ、確かに顔つきは逞しく、

怖い。水性生物や蚊を食べるらしいので、我が家の蚊

の駆除に役立っているのかも知れません。