Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2016年3月19日土曜日

昨夜のカレー、明日のパン

 2014年本屋大賞をとったそうです、この本。

 いつもの本屋の入り口の一番前に平積みされていた本。

 反射的に避けて通ったのだけど、最近こういう,所謂、軽い泣かせるお話を

読んでないなと戻って手に取った。そのままレジに行き、⒉~3日横目で眺めて

いたのだけど、《はいはい、分かりました、読みますよ。》とばかりにこの世界に

入っていく。

 発見して解放されていく、決して解決じゃないけど、

  《それでいいんじゃないの!・・・》というほっとする着地。

 ここに出てくる人は何か間が抜けていて、人に騙された事にも気づかない・・・

 そんな人が主人公の周りでウロウロする。

主人公は社会の移り変わりに息苦しさを感じている。

会社の7枚綴りの伝票処理が快かった時代が過ぎ、いつの間にかコンピューター

で処理されるようになる。課長はいつの間にかコピーをゼロックスをとって来てくれ

というようになり、機を織るように漢字を見つけては拾う和文タイプはなくなった。

 みんな一生懸命新しいシステムに慣れて行く。しかし、そういう仕事に楽しさを

見いだせなくなってしまった。

 時代の移り変わりの中で何かこれは違うんじゃないかと不安や疑問を持つ人は

多いのでは・・・。

すぐに慣れる人、疑問なんか持たない人、いつまで経っても慣れない人、これは違う

んだと辞めたり、引きこもってしまう人。

 みんなそんなに器用じゃないんだ。でも、それでも自分が居心地が良いと感じる

処を見つけてなんとか、生きて行く。

 そんな優しさを感じながら・・・密かに泣きながら、そして、心がほっこりする。

 慰められる良い本でした。

2016年3月12日土曜日

自分を表現する言葉

  『今日は何となくお休みしたいな・・・』と5歳になった孫が言う。

大人の会話に交じって、『じゃあさあ、こうしたらいいんじゃないの?』と提案なんかもする。

  ちょっと言葉が遅いかな?・・・なんて心配させた孫が言葉を覚え始めたら、しゃべるは

喋るは。

  二つ上の孫は小学1年生。こちらもおしゃべりが上手。そして、大人っぽい言葉使いが

多くなって来ている。

  さて、先日いつもお兄ちゃんと帰ってくるのに一緒ではなかったので、聞いてみた。

  『どうして一緒じゃないの?』

  しばし、孫は考えている。

  『あのね、都合が同じじゃないの。』

お兄ちゃんは6時間授業でご本人は5時間授業。だから一緒には帰って来られないらしい。

その辺の事情を知ってか知らずか、まあ、説明するのに精一杯考えた返答だった。

『都合が同じじゃない』は素晴らしい。


  さて、今読んでいる福岡博士の

《変わらないために変わり続ける》

は実に面白い。

  普通、科学雑誌というか、新書の類いは、書いた本人が文系でない為に説明が難解だったり、

言葉が適切でなかったり・・・というか上手じゃない事が多く、読んでいても分からないか、面白

くないか・・・のどちらかですよね。

  でも、この福岡博士の本は実に平易で分かりやすい、

この博士の文章は小説のような文で気取らず、飾らず、それでいて、科学というものの奥深い

システムを軽く語って、読んでいる者を分かったような気分にしてくれる。

この方は本当は細胞の研究をなさっていて、

一時よくテレビに出ていらっしゃいました。その時に有名になった彼の造語は

  《動的平衡》

つまり、細胞は常に細胞分裂を繰り返している。しかし、エントロピー増大の法則《ものは絶えず

変化している。新しいものは古くなり、綺麗なものは汚れて行き、整頓されているものは乱雑に

なる。》に絡めとられないように、細胞は分裂してもすぐに自らを壊して新しく再生する。

  だから、細胞はかなり凄いスピードで再生し、破壊される・・・というのだ。

  福岡博士は今また、ニューヨークでの生活を楽しんでおられるようですが、この時のエッセイが

この本。

  しかし、このエッセイは読んでいるうちに、ほんのちょっと細胞について詳しくなれるという貴重な

  本です。彼は日本に居る間に理数系から、文系に教授でありながら席を変えたという御奇特な

変人教授。

  こんなのあり?・・・と言われる程、妙な変身を遂げた先生なんですね。

普通、学生が悩んで、理数から文系へ、又はその反対という話はききますが・・・。

  で、その通り、文章が御上手です。


  人は自分の考えを言わなければ相手に分かってもらえません。自分の言葉で説明する時には

それに最も合った言葉を造るか、探すかしなければ出来ないわけですけど、探すとしたら、てっとり

早いのはそれなりの本を読むことですね。

  私は司馬遼太郎さんの言葉使いが大好きですが、悩んでいる時などには必ず、ぴったりの言葉が

眼の前に現れます。『これだ!』と嬉しくなります。


  先日、大病院で先生とのやりとりの最中、次の予約の日にちを決めていました。

  『あ~、その日はヤバいですねえ。』と私。

  『やばいですか?』と先生。

私は言葉が悪いのを反省して、

  『済みません、言葉が悪かったです。』と言うと、

  『えっ、私が先に言ったのですか?』と先生。

  『いえ、私が言ったので先生が反応してしまったのです。』

  とまあ、たわいのない話なのですが、私はついつい早口でペラペラやるので、相手を引き込んで

しまうところがあるなと反省しました。

しかし、この場合やはり、都合が悪いです、というベキだったと考え直したのだけれど、ヤバいが

ピッタリ・・・というのは結構あるんですよねえ。


  

  


 

2016年2月17日水曜日

タモリ観

《タモリから観る戦後にっぽん》


  ある若いライターが《タモリさんから観た戦後にっぽん》という本を書いた

そうですね。誰でもそうですが、同じ歳のヒトの生き様というのは気になるもの。

私はずっとこのヒトは私と同じ歳だ・・・と思ってどういう考え方をするヒトなん

だろうと思っていました。この本の標題には

  『1945年8月22日』と書いてあるそうですが、これを観てピンと来ない人は

ありますまい。タモリさんはこの日にうまれたのですね。という事はあの終戦

の一週間後に生まれたという事。戦中のどさくさに宿った子どもを産もうと

いう親御さんも凄いですが、なんという時に生まれたのか・・・と驚きます。

更にこのヒトのお爺さんは満鉄の御偉いさんでありました。

  さてさて、この頃の満州に住んでいたと言えばあの終戦と同時にソ連軍が

やってきてシベリア抑留とか、命からがら日本に戻ってきたという話はたくさん

あります。ところがこのお爺さんが凄いんですね。何か危ないぞ!と考えて一年

前に福岡の高宮に帰ってきています。タモリさんは私より一年上の酉年なん

ですねえ。同じ戌年と思っていた私にはここで大きくタモリ観が変わります。

  その頃の満州鉄道の御偉いさんの暮らしというのは山田洋次監督の昔話し

によれば、この頃小学生くらいだったそうですが・・レンガ造りの洋館に住み、

一日中革靴で過ごし、寝る時だけ脱ぐという洋風暮らし。料理人は中国人、

馬丁はドイツ人、家庭教師はフランス人、お手伝いさんは日本から来た良い

ところのお嬢さん・・・と超一流の暮らし振りだったそうです。おそらくタモリ

さんのお爺さんや親御さんも似たようなものだったのでしょう。

  福岡の高宮という所は武田鉄矢さんによれば福岡のビバリーヒルズだそうで

この頃の福岡は収入や出自の違いで住む所がくっきり分かれていたんだそうです。

 ここでも私の思い違いが分かります。赤塚不二夫さんに拾われて・・・というところ

から生活に困っていたのかなあ~なんて漠然と考えていました。しかし、その後

の彼の生き方や考え方が何か常人とは少しづつ違うなあ~と思っていましたが、

やはりかなり違う幼年時代を過ごしているのですね。


  さて、その後ご両親は離婚をします。そして、タモリさんはお爺さんの所に引き

取られるのですが、このお爺さんがかなり変わった人でタモリさんに麻雀とゴルフ

を教えます。それでもこの頭の良い青年は有名な筑紫高校?を出て一浪をして

早稲田大学に入ります。そこで吉永小百合さんと同窓になるのですが、彼は

文学部哲学科、小百合さんは文学部の何科かに入るのです。

 この頃ジャズ全盛時代。入ったのがモダンジャズクラブ。略して(ダンモクラブ)。

この業界人のというかグループ内の仲間意識というか、言葉を反対にして取り入れる

事は彼のお爺さんに始まります。実は『森田一義』というのはお爺さんが名付け親。

あの戦中の関東軍の暴走に一人反対して抵抗した『田中義一』は総理大臣になります

が、結局関東軍の暴走を止められず失脚します。お爺さんはこの義一の名前をひっくり

返して(かずよし・・・一義)と名付けたのだそうです。

 そこにも《モリタ》《タモリ》のルーツがあるのですね。

あの4カ国人の麻雀は最近観ませんが、あの麻雀の元はお爺さん。

そして、あの頃、福岡ではラジオをひねれば韓国語、中国語がかすかながら聞こえた

のだといいますから、こういうところにも納得ができます。

 タモリ・・・という人を観る時、私は同世代だなあ・・・と思って、親しみを感じていました。

でもかなりハイソな人だったのですね。この人の昭和史を考える時、あの60年安保の

時は何をしていたのだろうか・・・と考える時、単純にあの学生運動の中にはいなかった

のではないか・・・と言う風に考えるのは容易です。実際はどうだったかは知りませんが、

お爺さんが折に触れて政治の裏の人間の確執などを語ったのではないでしょうか。

 そして、昭和は遠くなり、平成年間も28年目を迎えている。我々団塊の世代は少し

づつ後ずさりしながら、消えて行く。

 最近、そんな事をしきりに考えています。


2016年2月9日火曜日

『おいしゅうございます。』

岸朝子さんという料理記者?さんが一昨年前に亡くなっている。

 あの有名な《料理の鉄人》という番組に出ていられて的確な審判

をなさっておられた。このヒトは凄い舌を持っておられるのだなあ~

と当時の私は羨望のマナコを頻りに向けていた覚えがある。

だから、彼女のコメントが気になった。

  料理の質を云々するには鋭い舌を持つことが必須・・・というよりは

たぶん育ちや・・・だから経験・・・つまりたくさんの質の良い料理に

触れて、それを堪能してきた・・・から食べる事に曖昧ではいられな

かったに違いない。しかし、それでも単なる美食家になってしまうヒト

もいる。彼女は料理記者をやる内に多分健康をどう確保するかを

真剣に考えたのではないか。あの料理番組では健康問題を云々する

よりは美味しさを追求することだった。けど、本当に美味しいというのは

健康にも良いのではないか・・・と思う。

  よく、《旨さはカロリー》というけれど、それにしても多すぎてはウンザリ

だし、旨いダシは必要だけど、過ぎたるはでもある。

  旨過ぎるのは反対に頻繁では飽きる。

  《本当に美味しいものは健康にも良い》のでは。

岸さんは長い経験の中で食べ物というのをどう考えていたのだろうか。

そういう本があるのかも知れない。流石に記者さんなのですから文章

は得意でしょうから。

  しばらく前に岸さんのお嬢さんがインタビューに答えてこんなことを

話していました。母はいつもこんな事を言っていました。

    《一魚、二豆、野菜は五》

日本人の我々に必要な食べ方、食べ物をこれ程にシンプルに標語

にした事に驚きです。それに語呂もいいですねえ。

  日本人が簡単に摂れるタンパク質は肉系ではなく魚。

  日本人が古代から作ってきた豆製品とそれから作った発酵食品。

  日本人が昔から営々と築いてきた長い腸に呼応する野菜摂取。

おそらく農耕を忌み嫌い野菜などは食べたこともないというあのモンゴル

の草原を疾駆するヒトとは腸の長さが倍も違うのでは・・・。

  人間というのは生まれ、住んでいる所、に大きく左右されるのですねえ。

  そして、これに逆らうと身体にも精神にも歪みがでてくるのかも知れません。

2016年1月31日日曜日

千日回峰・ぶちゃけ寺

 最近、みんなが知りたいと思っている仏教の事やお寺の内部の事などを

面白可笑しく紹介する番組が流行っている。そこに出てくるお坊さん達の

真摯な態度は観ている側からしても心底感心してしまう。

《テレビは面白ければいいのだから、ぎりぎりの嘘をてんこもりしている

もんだ・・・》という所に辟易している我々視聴者にはちょっと違う感覚で

のめり込んでしまう。

 で、先日、お坊さんの修行についての回がありました。

 滝行などの実際の映像なども紹介されたのだけど、一番人間業とは思えぬ

あの《千日回峰》に挑んだお坊さんのことを具に報告している映像が流され、

その凄さに驚いてしまった。

 随分前に司馬遼太郎さんの《街道を行く》の《叡山の諸道》で読んだ中に出て

くるお坊さんは千日回峰をやり遂げたお坊さんで、

  『大行満光永澄道師』(だいぎょうまんこうえいちょうどうじ)

と言います。

 これをやり終えたお坊さんは『大阿闍梨』となられるそうで歴代何十人もいる

わけではない。この方はこの修行をやり終えて、

 『北嶺大先達大行満大阿闍梨』(ほくれいだいせんだつだいぎょうまんだいあじゃり)

になられた。

  司馬さんがこのヒトを尋ねて伺っている時に一緒に居合わせた記者さんが

『なぜこのような修行をなさるのですか』と尋ねたとき、

『伝統ですから』と淡々とお答えになったと、その答えにも驚き、また、その

ようなアケスけなというか、屈託のない質問をする記者の あっけらかんぶり

 にも驚いたと書いてらっしゃいます。そして、対座している自分が、贅肉で

ふくらんだなまの鶏のように思われてきてわれながら気味がわるかった・・・

と言っています。

  確かにこのような大阿闍梨に会ってしまったら、消え入りたい自分を発見して

しまうでしょうねえ。

 さて、このお坊さん達が峻険な山を歩いて修験者としての修行を積む時、草鞋を

愛用するらしいのですが、今のような科学技術が進んだ時代ですから、山歩きの

シューズでもいいのではと誰かが質問していました。

 答えは『否』。

 昔からずっと今も草鞋が一番いいのだそうです。現代は人間が文明に甘やかされ過ぎ

てはいないだろうか・・・ということでしょうか。

  私は最近外反母趾が痛くてどの靴も難ありで自分専用のウオーキングシューズを

作ってもらおうかと思っているのですが、ワラジかあ~。

 なるほどねえ~。ワラジを履いて、後は自分の足を鍛えるのですね。

2016年1月22日金曜日

大作に挑戦

次のレース編みができあがったのだけど、なんだかオカしい。

普通の細編みの処の編み目が大きい。かといって、これ以上緩くはできないぞ!

で、よーく考えてみたら、毛糸編みの編み針とレース編みの編み針は違うことに

遅まきながら気が付いた。何たる失態、なんたる愚かさか・・・。

 でも、これこのように出来上がってしまった。一応大作なのでしばらく眺めていた

のだけど、結局この後ユザワヤに行って、レース編みの編み針を買い、レース糸

も買って、さあこれから本格的にやるぞ!っと思ったら、やはりこの編み針間違いが

気になって、全部、ほんとにぜ~んぶヤキモチ焼きのおばちゃんがイライラして

やる体のほどきかたでほどいて、チリチリしたレース糸の山を築いてしまった。

 しかしまあ、随分久しぶりに、自分の気持ちを抑えられずに物に当たって、鬱憤

を晴らすヒトを演じてみたけど、すっきりとか落ち着いたとかいうものとは違うな・・・

  さてさて、楽しいレース編みの始まりです。大作に挑戦。

大作に挑戦

 次のレース編みができあがったのだけど、なんだかオカしい。

普通の細編みの処の編み目が大きい。かといって、これ以上緩くはできないぞ!

で、よーく考えてみたら、毛糸編みの編み針とレース編みの編み針は違うことに

遅まきながら気が付いた。何たる失態、なんたる愚かさか・・・。

 でも、これこのように出来上がってしまった。一応大作なのでしばらく眺めていた

のだけど、結局この後ユザワヤに行って、レース編みの編み針を買い、レース糸

も買って、さあこれから本格的にやるぞ!っと思ったら、やはりこの編み針間違いが

気になって、全部、ほんとにぜ~んぶヤキモチ焼きのおばちゃんがイライラして

やる体のほどきかたでほどいて、チリチリしたレース糸の山を築いてしまった。

 しかしまあ、随分久しぶりに、自分の気持ちを抑えられずに物に当たって、鬱憤

を晴らすヒトを演じてみたけど、すっきりとか落ち着いたとかいうものとは違うな・・・

  さてさて、楽しいレース編みの始まりです。大作に挑戦。

2016年1月8日金曜日

そして、大量のレース編みを残して君は・・・

『終活』とヒトは言うけれど、なかなかそれと向き合う事は難しい。

  終活とは自分の人生の総決算であり、どう死にたいか、どういう遺言

を残すかなどらしい。

  多くのヒトはこういう生(なま)なことは先延ばしにしたがる。

私などはいつも、何でも後手に回ってしまうヒトだから、正にそうだ。

それで、一応持ち物の整理だけはとりあえず始めることにした。

始めて見ると自分でも呆れる程の物持ちだと言う事に気が付いた。

それもお宝などはほとんどなく、ガラクタや古着ばかりだけど、思い出と

言うスパイスがくっついてくるから、他人様の評価は待つ必要がないようだ。

だからこそ捨てる捨てないの判断は難しく時間がかかる。

それでも、一応片付けの基本に従ってようやく『断捨離』なんてやってみた。

そして、ようやく片付いたのに、 またぞろ趣味とやらがモゾモゾと動きだす。

今までのめり込んできた油絵、トールペイント、陶器の絵付け、編み物、

茶道等々。

  まだまだあるけど、これらのお道具が山とあった。で、一応ほんの少し

だけ残してあらかた処分した。でも、このほんの少し残してに思い切りの

悪さがある。

  そして、処分した後のこの後悔の気分はどうだろう。

私が買って着古した服などはもうどうでもいいけど、母に作ってもらった着物

やそれを容れる立派過ぎる桐の箪笥を処分した事は今でも、いや、時が過

ぎれば過ぎる程、母に対して申し訳ない気持ちで一杯になる。

  もったいない・・・というのではなく、母の想いを考えるときっと無念だろうと

おもうからだ。着物は母がいつも想いを込めていたものだから、4人の

娘達を着物で着飾ることはさぞかし嬉しいことだったに違いない。私が学生

の頃、茶道を習っていた関係で私の知らないところで娘に・・・と着物を誂え

るのが楽しみだった母。いつの間にか箪笥は母の宝箱になっていった。

或るとき、いつもの呉服屋さんで私は地味な格子模様の着物を何故か一人

で注文していた。どういう事情だったのかそのいきさつは分からないのだが、

そして、後日出来上がってきた着物を観て私は何だセンスがないなとガッカリ

してしまった。目利きの母を差し置いて自分で注文した私は一体何を考えて

いたのだろうか。でも、何事にも厳しい母が『そうですか、娘がこれが良いと

いったのですね。』と言ったというのを聞いて母の度量の大きさに感謝した

わけだけど・・・。

 しかし、母チョイスの素晴らしい着物の中にくすんで目立たない、言っては

何だけど田舎のお手伝いさんの着るもののような一着は一度着ただけで、

箪笥の奥にしまい込まれてしまった。

 今回、これは真っ先に処分したけれど、良い物でも、これから正式な場所

には行く事がない事を考えればいらない・・・と処分。

 さて、趣味は辞める事ができない。ガラクタを増やすのはいやだけど、レース

編みはどうだろうとパイナップル編みを始めてみた。

 これは楽しい。こんなものなら誰かが、喜んではくれないだろうか・・・。


森を焼く

 池上彰さんの何かの番組を観ていたら、『COP21』に関する話題を取り上げていました。

地球温暖化の事例を言及するために、わざわざアフリカの奥地に行ってのレポートがあり、

なかなか興味深い内容です。

   アフリカでは未だに焼き畑を行ったりして、不法に森林を焼いて、『地球の肺』と言われる

面積を減らしています。政府はこれを禁止して取り締まりを強化しているのだそうですが、

一向に効果が上がらないのだそうです。それも車で走っての方法では現場を見つけにくく、

空から実際に見下ろさないと分かりにくいと言う問題があります。そして、見つかれば逆に

銃撃を受けることもあり、操縦士と撮影をするヒトと、銃を構えるヒトと3人が必要で経費が

かなりかかる事で、検挙できないことが多いそうです。

 そういう中、池上さん達が発見した大量に焼かれた現場では元警察官だったという強面の

爺さんがその首謀者らしいのですが、敵もさるもの、ああ言えばこう言う体で、逃げまくって

いました。しかしこういう人たちは生きるためには何でもやるんだ・・・というヒトたちですから、

地球温暖化がどうこう言ってもどうにもならないのでしょうね。

  こんな人たちは自然を残すことの大切さなんか分かる筈がないのでしょう。

  今や、世界の環境は一国のみならず、近い将来の全世界に影響を及ぼします。それなのに、

この不法に森を焼いている人たちにはこういう事が想像もつかないのでしょう。こういう害を恂々

と諭したら、涙を流して後悔するのでしょうか。

 でも、自分たちにはこういう生きるすべしかないのだというのでしょうね。

森を焼いて、大きな樹木を切って、製材して、これを運び、さらに焼き畑をして土壌に何かを

植えて収穫する。このことの方がずっとずっと体力的にも大変なのにも拘わらず・・・

  彼らは勤勉なのでしょう。この人たちに文明や文化を教えるのは難しいですね・




2015年12月7日月曜日

フビライの貨幣制度《平準庫》

龍馬が暗殺される10日程前に後藤象二郎に宛てて書いた手紙の中には日本はこれから

お金(かね)の基本は金(きん)ではなく、紙幣を持って流通せしめてはどうかと相談をもち

かけている。

   この時代オランダ、ポルトガル、イギリス、そして、アメリカなどの列強各国は

日本という国が金をたくさん持ち、これを流通させていることに旨味を感じていた。

  イギリスなどは中国をアヘンによって支配したが、日本は国土がせまく、植民地にする

旨味はない。それよりも貿易をして、金というおかねで交換すれば、その頃の世界的な

金の価値は3倍にもなったそうだから、、物を売って、金で帰ってくれば丸儲けという・・・

おいしい話になる。

  その辺の世界的事実をまだまだ、幕府も日本という国も、よく分かっていなかったらしく

そのように手玉にとられていることにくやしいですが、気が付かなかったようですね。

鎖国の弊害だったのですね。

  龍馬はおそらく、地方の豪商たちとのネットワークの中で世界を捉えていたのではないか

と司馬さんは言います。そして、紙幣で流通させることを考えていた。

  しかし、その当時でも日本は金がザクザクということではなかったようですね。

 昔、マルコポーロは東方見聞録というのを書き、東の最果てに金がたくさん或る国として

日本を書いたのですが、これをフビライが聞いています。実際に元の日本への来襲はこの

金を目当てにきたのでしょうが、まさに神風が吹いたのですね。2度の遠征も強力な兵士

たちは台風によって、あえなく撤退、または沈没してしまいました。圧倒的な兵力だ

ったそうですから、台風がなかったら、歴史は大きく変わっていたのでしょう。

  フビライはこの当時としては早過ぎる貨幣制度を採用したのだそうで、各地に《平準庫》

という国立銀行を置き、各平順庫につねに銀1万2千錠を備蓄して、たれがいつ紙幣を

もってきても兌換できるようにしたのだそうです。と司馬さんは言います。

  しかし、紙幣制度はいつでも銀を準備しておかなくてはならず、フビライはいつでも

このことに頭を悩ませていたのだそうです。まだ、ヨーロッパでは農業主義で食べ物だけで

世の中が賄えていたのにたいして、500年も早い商業主義を行ったフビライはこのことの

ためにこれを続けて行くのが、大変であったそうです。

  でも、農業を嫌い、野菜などは口にもしたくないというこの民族が考えそうなことですねえ。

  そして、そのフビライの死(1294年)により、これが終わったのだそうです。


  さて、龍馬は的確に時代を捉え、兌換制度に基礎を置く経済制度を創ろうと進言した直後に

暗殺されてしまいます。そして、この案件はまた遅れるのですね。

時代が進んで今日各個人の行動を探ろうというのか、何処で何をしたのか、何を買ったのか、

何の為に何を買ったのか、今やコンピューターで全て分かってしまう時代です。例えば、先月

群馬県で風邪薬がたくさん売れたということから、この県では風邪の患者が多かったのだ

と言う風に、これは例えばの話ですが。

  そして、マイナンバー制度になって、今度は個人レベルで分かってしまうのですね。

  先日カード会社に問い合わせてみたら、調べてくれた受付のお姉さんに言われてしまいました。

ITUNES STOREで映画をよく落としてらっしゃるんですね・・・と。