素晴らしい文章で埋め尽くされている長編小説です。
饒舌とか、ありきたりとか、言葉に溺れているとか
常套などは感じさせない洗練された言葉の選択と
配列はなるほどそう分析するのか、と感心します。
ページを繰る度に今度はどんな社会を観る眼を
展開してくれるのだろうかとわくわくする。
読んでいるうちに
“そうかあ〜、そうだよねえ”と自分を弁護する?
いやいや腑に落ちるという快感が居心地を良くする。
毎日、この堀江ワールドに浸るのが快感になってくる。
フランスのとある河岸に繋留されている船の持ち主
と知り合いだったことから、思わぬ展開でこの船に
住み着くことになった彼。
自分と他人、自分と社会、自他を分けるいろいろな
要素をこの船の持ち主や時折手紙をくれる枕木さん
という人物とのおしゃべりの中に哲学的な分析を
柔らかい日常の言葉で分析していく。
そして、もうひとつ、その章ごとに出てくる文学
を横糸にして紡いで行くこの見事さ、心地よさ。
ディノ・プッツアーティの《K》という本では
人生に、困難に、畏れ続けることの愚かしさを。
クロフツの《樽》という本ではその樽をめぐる
話しをこの船の大家がこの樽を扱う仕事だった
ことから樽にまつわるエピソードがどんどん
描かれる。
そんな重い樽をどうやって運ぶのかという質問に
大家はバカだなころがすのさと応えるあたりは
ハッとしました。
樽というものが今では日常的なものではない
| ことで、無関心になっていることからくる無知。 堀江さんはこういう物に対する、特に古いもの に対する眼が深くてやさしいですね。 彼の“もののはずみ”はそういう眼で描かれています。 チェーホフ全集の中の《スグリの木》では幸せは どういう状態ですか?という質問に大家が応える。 わからん、しかし、幸せなるものを待つ権利は、 私にだってあるはすだ。 こんな風に彼が思い出す本を取り上げていくその 中で生きることの意味をさがす過程が実に面白い。 余命幾ばくも無い大家が彼に言います。 “いいか、きみはまだ若いほうに属する人間だ、 けっして大勢にはつくな、多数派に賛同するな、 たとえ連中が正しくともだ、こいつは屁理屈 なんかではない、数が多いというだけで、それは まちがっているからだよ。” 誰かに似ているなと思ったら、あの安曇野在住の 作家の丸山健二さんに似ているとおもいました。 しかし、堀江さんのほうが、柔らかい眼で社会を 観ている分だけ、心地よいですね。 これは小説というより、哲学に近いと思います。 何度も読み返す本の中の一冊ですね。 一回だけではもったいない。そして、この中に 取り上げられている本も読んでみたいと思いました。 |
