Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2015年12月7日月曜日

フビライの貨幣制度《平準庫》

龍馬が暗殺される10日程前に後藤象二郎に宛てて書いた手紙の中には日本はこれから

お金(かね)の基本は金(きん)ではなく、紙幣を持って流通せしめてはどうかと相談をもち

かけている。

   この時代オランダ、ポルトガル、イギリス、そして、アメリカなどの列強各国は

日本という国が金をたくさん持ち、これを流通させていることに旨味を感じていた。

  イギリスなどは中国をアヘンによって支配したが、日本は国土がせまく、植民地にする

旨味はない。それよりも貿易をして、金というおかねで交換すれば、その頃の世界的な

金の価値は3倍にもなったそうだから、、物を売って、金で帰ってくれば丸儲けという・・・

おいしい話になる。

  その辺の世界的事実をまだまだ、幕府も日本という国も、よく分かっていなかったらしく

そのように手玉にとられていることにくやしいですが、気が付かなかったようですね。

鎖国の弊害だったのですね。

  龍馬はおそらく、地方の豪商たちとのネットワークの中で世界を捉えていたのではないか

と司馬さんは言います。そして、紙幣で流通させることを考えていた。

  しかし、その当時でも日本は金がザクザクということではなかったようですね。

 昔、マルコポーロは東方見聞録というのを書き、東の最果てに金がたくさん或る国として

日本を書いたのですが、これをフビライが聞いています。実際に元の日本への来襲はこの

金を目当てにきたのでしょうが、まさに神風が吹いたのですね。2度の遠征も強力な兵士

たちは台風によって、あえなく撤退、または沈没してしまいました。圧倒的な兵力だ

ったそうですから、台風がなかったら、歴史は大きく変わっていたのでしょう。

  フビライはこの当時としては早過ぎる貨幣制度を採用したのだそうで、各地に《平準庫》

という国立銀行を置き、各平順庫につねに銀1万2千錠を備蓄して、たれがいつ紙幣を

もってきても兌換できるようにしたのだそうです。と司馬さんは言います。

  しかし、紙幣制度はいつでも銀を準備しておかなくてはならず、フビライはいつでも

このことに頭を悩ませていたのだそうです。まだ、ヨーロッパでは農業主義で食べ物だけで

世の中が賄えていたのにたいして、500年も早い商業主義を行ったフビライはこのことの

ためにこれを続けて行くのが、大変であったそうです。

  でも、農業を嫌い、野菜などは口にもしたくないというこの民族が考えそうなことですねえ。

  そして、そのフビライの死(1294年)により、これが終わったのだそうです。


  さて、龍馬は的確に時代を捉え、兌換制度に基礎を置く経済制度を創ろうと進言した直後に

暗殺されてしまいます。そして、この案件はまた遅れるのですね。

時代が進んで今日各個人の行動を探ろうというのか、何処で何をしたのか、何を買ったのか、

何の為に何を買ったのか、今やコンピューターで全て分かってしまう時代です。例えば、先月

群馬県で風邪薬がたくさん売れたということから、この県では風邪の患者が多かったのだ

と言う風に、これは例えばの話ですが。

  そして、マイナンバー制度になって、今度は個人レベルで分かってしまうのですね。

  先日カード会社に問い合わせてみたら、調べてくれた受付のお姉さんに言われてしまいました。

ITUNES STOREで映画をよく落としてらっしゃるんですね・・・と。

2015年12月4日金曜日

《洞が峠を決め込む》

戦国時代に石田三成が本能寺の変を起こした時、陽舜房順慶という人物が

いた。この人物は僧形の姿のまま信長の大名になり、信長の命で明智光秀と

姻戚関係を持った。

  天正10年(1582年)信長は本能寺の変で光秀に討たれた事は有名だが、

この時、秀吉は順慶に戦場に参加せよ・・・という使いを出しました。

同じく光秀も当然の事ながら、使いを出している。

順慶は大軍を率いて山崎の戦場を見下ろす岩清水八幡の山《洞が峠》まで

きたが、しかし、それ以上は動かなかった。

  眼下の戦場をみつつ、勝敗の決するまで待ち、やがて秀吉軍が勝ったと

観てからすばやく山を降り、秀吉方の織田三七の陣へ伺候して、大いに戦勝

を祝賀した。司馬さんは・・・とここまで書き、皮肉にもこの順慶は日本語の語彙

を豊かにしたとして、今日の倫理行為について《洞が峠を決め込む》という言葉が

なかったら不便だったろう・・・と、このような卑劣な行為が後々

《洞が峠を決め込む》という言葉でみんなが一度にすぐ、分かるようになったと

評価しています。

 事程左様にこの歴史の大転換の時代に有名になった徳川家康や、淀姫などは

シェイクスピアに出てくるハムレットやリア王やセルバンテスのドンキホーテのように

その個性を名前を出すだけで、みんなが狸親父やわがままで権力をほしいままに

する女性の典型や、若くして人生の岐路に立ってどっちを選ぼうかと思い悩むヒト

を思い描いたり、世の中の移り変わりに気がつかずにいつまでも古いしきたりに

倫理の基本をおいたりする愚かな生き方を揶揄する時に使われたり・・・と会話を

豊かにする方便として続いてきました。

 さて、今日それを言えばすぐ分かるという流行語があり、毎年流行語大賞が決まり

ますね。最近書道具店という地味な場所で会ったお婆さんの後ろ姿を観て、ギクリ。

《なんちゃら、阿部》と書いてあるハガキ大のカードを後ろからぶら下げている。

  阿部政権を揶揄しているものとみられますが、このお婆さん流行語大賞でぶら下げて

いるのか、本当に政権批判なのか、それもただ、ぶら下げるように言われたのか

分かりませんが、その時代に生きている我々が何らかの形で参加しているこの社会に

流行る流行語というのにも知性と品格が欲しいですねえ。