Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2011年1月25日火曜日

そうか、あれだ。

朝、8時半新宿駅構内の
" cafe"で
カフェラテを頼んで電車の
時間待ち。

さてさて、あと20分の間、
俵万智さんの
"101個目のレモン"を
読もうかな。

『あのな、ママはいつもの
バカやってるけど、大丈夫。
パパがいざとなったら、
全部引き受けるから。
わかった?

うんうん、そうそう。
いつもよりは早く出るんだよ。
15分から、20分早くでてね。
・・・・?』

どうやら、返事がないらしい。

『わかった?
今日はあとでゆっくり
していいから。
何食べてもいいから、
好きにしなさい。
わかった?
そう、だから、早く出るんだよ。』

私の後ろでバカにはっきり聞こえる
電話の内容。
聞くな!というのは無理。
で、私、ひま。

今は1月の末、
そうか、多分電話のむこうの
誰かは、受験かも。
大変だな、親は。
で、ママはいつものバカ
やってるんだ・・・
ま、ちょっと、デリカシー
のないことを
言ってるんだろうな。

で、斜後ろを眺めてみれば、
件の大声の主は
マフィンのようなものと
菓子パンと珈琲をすすりながら、
携帯片手に
話している。

この父親は何故
この時間にここで
朝ご飯をたべているのか。

ま、それはいい。
で、そそくさと出て行く彼を
思い切り振り返って見れば、
中村獅童ばりの体型と茶髪と
服装で、
《この人が父親かあ・・・》
何がどうなっているのか
分からないけど。
時代はかわっているんだなあ。

2011年1月16日日曜日

“ひそやかな花園”

amazonに頼んでやっと来たのが、
角田光代さんの
"ひそやかな花園"

先月のめり込んで読んだのが、
"八日目の蝉"
これは母性の問題について?かな
そして、
"ひそやかな花園"
は出産ということについてだろうか。

私は子供を産んで育てる時、
気になったのは、自分が果たして
母親として、立派に?やっていけるのか
ということだったと、思う。

そして、同じ年頃の母親のあり方と
比べて自分はどうなんだろう、と
時々気にしていた。
時々というのは、つまり、いつもは
がむしゃらに働いていたから。

で、周りの人の批判的な言葉に
過敏に反応していたと思う。

30年前の母親って働きながら子育て
をしている人は比較的少なかった。
そんな時にほんの少し働いていた私は
『小さい時くらい、たっぷり愛情を
かけないと、大きくなってから大変よ!』

タイヘンヨってなんだ!
と反発しながら、密かに心配していた。

そして、そんな折り、義理の母から言われた
ことが、気になった。
『あんたは子供の残したものを
食べないのねえ。』
流しに片付けてしまう私に
肝をつぶしていたんだと
思う。

確かに私は食べなかった。
自分に愛情がないとは思わなかったけど、
ここの部分では出来なかった。
何でだろう?と疑問に思っていたけど、
最近、ぴかっと分かった瞬間があった。

義理の妹が我が家に来て、
甘い物を食べたあと、
お茶を淹れるのを待ちきれず
テーブルにおいてあった孫の飲み残し
の水をがぶがぶ飲み干して
『良いわよ、お茶は』
とさっさと帰っていった。

私はこういう事ができない。
潔癖性なのかもしれないけど、
なんの理由で置いてあるのかも分からない
コップの水を飲む気にはならない。

で、わかったんですねえ。
私は思春期にたくさんの飲み残しや
食べ残しのお膳が下げられている光景を
嫌と言う程みている。

こういう処に遭遇すると
猛然と片付ける気がわいてくる。
見ると同時に腕まくりをしている。

そして、この下げられたお皿の上の
食品はどんなにきれいであっても
一口も食べてなさそうであっても
食べるものとは思えない。

私が思春期を迎える頃の1970年代
は高度成長期だったと思う。

人も物流もわんさわんさの時代
だった。
旅館のお膳なんて、残り物で
いっぱい。
エビのフライ、
漬け物、
大根のつま、
パセリ、
飲み残しのビール、お酒。

食べ残しなんてそこらじゅうに
溢れていたんじゃないだろうか。

食べ物に対する
"もったいない"は
この頃から私の脳裏からすっとんで
いたのですねえ。

で、私は子供の食べ残しも飲み残しも
食べられなかった。

その頃の私はひたすら疲れ切っていて、
食べたいものしか食べたくなかったんだ
と思う。

母性ってなんなんだろう。
人それぞれでいいんじゃないのかな。

2011年1月13日木曜日

遺伝子組み換えって!

納豆とか、豆腐とか、お味噌とか、醤油。
大豆製品を買う時にいつも眼に入る文字。
《遺伝子組み換えでない》なんたら
という文字。

確かに遺伝子を操作する・・・というのは
危険そうな気がする。
まだ、充分に検討されていないし、
結果が得られるのは時間という
長い、長い目線が必要だろうと、
だから、危ういと
現代人は此れくらいの良識で、
だから買わない、と考えている。

福岡博士はこのことを分かりやすく説明して
います。
《アメリカにモンサント社という
バイオテクノロジーの会社があります。

遺伝子組み換え技術を使って
「ラウンド・アップ」
という除草剤を生産して、
販売していました。
ところが、これを撒くと何も生えなくなる。
そこで、
この除草剤に耐性をもつ遺伝子を大豆に
組み込み、
この除草剤と大豆でセットにして
売り込み、大もうけをした。

しかも、この大豆には一年しか使えない
ように細工をした。
世界はこのやり方に不快感を現し、
(遺伝子組み換え)
製品を排除し始めた。

さらに、この会社で栽培している種が
周辺の農家まで飛んでいって、そこで、
遺伝子組み換えの大豆ができ、
広がっていることから、
周辺農家との裁判なども頻繁に起こり
始めている。

そして、この技術を使って、
"ビタミンAを強化した、大豆"とか、
"コレステロールを低下させる効果
を増強した大豆"
とかが売り出されているけど、
こんなことは余計なお世話で、
コレステロールを
抑えたければ食べなければいいし、
現代の食生活では、ビタミンAが
不足するなんて考えられない。》

とおっしゃっています。

遺伝子組み換えの大豆はなんに使うか
というと、あのまずいトウモロコシと
同じで、牛や豚の飼料に使っています。

結局、牛や豚を食べている限り、
遺伝子組み換えの大豆を自然に
口に入れているのですねえ。

私としては、せいぜい、アメリカの
肉は食べないくらいのことしか、
出来ないのでしょう。

2011年1月9日日曜日

《笑文不一致》

新年早々、喫茶店で読みふけって
楽しんだ本は
《101個のレモン》
という本。

俵万智さんのエッセイ集なのだが、
ここに林真理子さんがこんなことを
言っているよ・・・という文を読んで、
なるほどなあ〜と感心してしまった。

俵万智さんによると
北方健三さんはハードボイルド作品
で知られているけれど、
ご本人もハードボイルドそのものなの
と林さんに話したところ、
『それはまさしく《顔文一致》』

旨い事いうなあ〜。

で、最近ポッドキャストでいろいろな
作家のお話と声を聞いていて思う。

その方の笑い声と笑い方とが、
今まで描いていたイメージとは
かなりかけ離れているなあと。
これはまさに
《笑文不一致》

話し方や言葉遣いは自分でも
気にしたり、直したりしようと
積極的に勤めるけど、笑い方は
難しい。

《出物、腫れ物、処嫌わず・・・》
なんて言うけれど、くしゃみや笑い方
もコントロールが難しい。

でも、作家さんの場合は違う人格が
文の中に形成される場合もあるので
しょうねえ。

ちょっと、ふふと、笑うことから、
若い娘のコロコロ笑う可愛いのから
男女の違いや年齢の違いも条件が
違うけど、
普通、なんの意識も持たずに
生活していると、その生活心情が
笑いに自然に現れてしまう。

育った環境の違い、
考え方、
揶揄のしかた、
価値観の違いなど、
全てが現れるから
こんなに怖いことはない。

そして、一番現れるのは、
その人の出自。

私など、だれの前でも
がははと笑って、すましているけど、
《旅館の娘》そのまま。
家人にもっと、上品に笑ってほしい、
と言われても、そんな無理に決まっている。

時々行く喫茶店でも
笑い過ぎてのけぞり、後ろの壁に
後頭部をしたたかぶつけて
笑いのための涙か
痛くて出る涙なのか
わかんない。

今年は笑い方に気をつけよう!
無理だよねえ。

2011年1月7日金曜日

高峰秀子さん

高峰秀子さんが昨年12月28日に
亡くなられたのですね。
実にさっぱりとした、
爽快なお人柄であったそうです。

時々、テレビの画面に出てらした
その時もちょっとべらんめえの語り口に
気性の豪快さに
"いいな"と思いました。

この人は早々に55歳で引退して、
読書三昧を楽しんだのですね。

名エッセイストとしてつとに知られて
いたこの人は、数々の本を出して
おられますが、
彼女のこの見識の深さや
独特の生き方は女優時代に
多くの監督や名優との交流から
熟成させたものと思われます。

この人を思う時、考えさせられるのは
知識欲。
松山善三さんと結婚間もない頃、
彼女が新聞の中から読めない漢字を
見つけ出し、それがどう読むのかを
確かめているのをご主人が発見して、
小学校にも行かせてもらえず、
字を覚えることが悲願であった
彼女を愛おしく思うのです。。

そして、この時、辞書というものが
あることを知らなかった。
善三さんは自分の古い辞書を渡して
どう使うかを教えたというのです。

貧乏書生監督見習いだった
松山善三さんと結婚をして、
幸せな後半生を送ることができたのは
彼女が人生に必要なものが何かを
子供時代に引き取られて、
5歳で子役に使われ、
厳しい叔母に
"勉強なんて、いらない、
お金さえあれば幸せだよ"
と言われて、黙々と
働いてきた人生から得た
教訓で培われたからでしょう。

高峰さん、素晴らしい女優さんでしたね。
ご冥福をお祈りいたします。






2011年1月6日木曜日

今年のお節料理

《グルーポンお節》なんていう
不祥事のニュースが駆け巡っている中、
今年は手作りのお節にして、良かった!

昨年、一昨年と近くのお寿司屋さんで
お節を頼んだことがあった。
まずくはなかったけど、取り立てて、
美味というほどでもなく、
又、生ものが多くて、煮物がいまいち
だった。

やはり、自分で味付けした煮物は
絶品!
ふふふ
今年は特に美味しい醤油を使って
煮たせいか、はたまた、
おいしい料理法を習ったせいか、
お芋の煮付けがおいひい。

三段重ねのお重にほんの少しを詰め、
後は焼き肉をサンチュで巻いて食べる
トロの刺身を巻いて食べる
手巻き寿司とお赤飯。

後は年寄り向きに、
"柿なます"
"ゆず大根"
"コハダの粟漬け"
"ニシンの昆布巻き"
などで終わり。
その日の晩と次の日の食事で
全部食べ切る、という量もいい感じ。

で、食べ過ぎることもなく、
胃もたれもなく、
実に快調。
うまくいったね。

2011年1月3日月曜日

福岡博士のシグモイド・カーブ

最近、眠れない時、
眼が疲れている時、
ラヂオをつけて、
聞き入ることがよくあります。

そして、夜中のことだから、
音量を下げようとして、
蒲団から手をのばし、
音量のつまみを回すのですが、
なかなか音が小さくならない。

これは、音量を大きくするときも
同じですね。回しても回しても
なかなか大きくならない。
で、これって、不思議だな〜と
なんで?と思っていたのですが、
福岡博士がこんなことを
おっしゃっています。

《自然界の仕組みの多くは
比例関係=線形性を保っていない。
非線形性を取っている。
自然界のインプットとアウトプットは
多くの場合、Sの字を左右に引き延ばした
ような、シグモイド・カーブを
とる。
非線形性は例えば、音楽を聴く時に
ボリュームのダイアルの回し具合と
聞こえ具合の関係を考えてみると
よくわかる。
・・・・
ボリュームのダイアルがある位置を
越えると、音は急にがーんと大きく
なり、それ以上回しても、ダイアルの
回転に応じて大きくは聞こえない。
・・・・
つまり、インプットとアウトプットの
関係は鈍ー敏ー鈍ー敏という変化を
する。》

この関係をさらに引き延ばして
博士はこうも言います。
食べることと、太ることを
この関係を使って、こうも言っています。

《たくさん食べると、余剰分を溜め込む
という指令が出されるが、少しづつ
何回にも分けて食べると指令のボリューム
が回らず、溜め込まない。
つまり、太らない》ということも
おっしゃっています。

だから、スローな食べ物を食べて、
インスリンを出さない様に食べること
が大事なんですね。

《同じカロリーでも白米、コーンフレーク、
おそば、玄米ではスロー度を比べると
85、75、54、50とかなり、差がある。

数値が小さくなればなるほどスローな
食べ物になる。》

玄米を食べることが健康に良い
という証明がここにもありますね。




2011年1月2日日曜日

福岡博士の《動的平衡》

皆様明けましておめでとうございます。
今年もなにやら、書き付けていこう
と思います。

一年が早いという感覚はどこからくるか。
福岡博士の本を読むと、こんな風に
おっしゃっています。

"3歳の子供にとって、
一年はこれまで生きてきた全人生の
3分の一であるのに、
30歳のオトナにとっては
30分の一だから、つまり分母が大きく
なるから、そう感じる。"のではない。

《人の体内時計の正確な分子メカニズムは
未だはっきり解明されていない。

が、細胞分裂のタイミングや
分化プログラムなどの
時間経過はすべてコントロール
されていることがわかっている。

つまり、タンパク質の新陳代謝速度が
体内時計の秒針なのです。

そして、もう一つの厳然たる事実は
私たちの新陳代謝速度が加齢とともに
確実に遅くなっている、ということです。

タンパク質の代謝回転が遅くなり、
その結果、一年の感じ方が徐々に
長くなっていく。
にもかかわらず物理的な速度はいつでも
同じスピードで過ぎていく。

だからこそ、自分ではまだ一年なんて
経っているとは思えない。

つまり、歳をとると、一年が早く過ぎるのは
分母が大きくなるからではなく、
実際の時間の経過に自分の生命の
回転速度がついていけないのである。》

今年の一年も、また徐々に時間経過を
感じるのが遅くなりつつも、その日
その日を確実にこなすことで、
しっかり生きていこうと思います。