Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2013年12月31日火曜日

野帳友の会

昔?茶道にのめり込んでいた時代があった。
毎週木曜日だったろうか?
急いで家事を済ませ、着物を着て、歩いて5分という
近距離にある"大日本茶道学会"の重鎮である男先生に
直々に教えて頂いた・・・と言ったらなんだけど、
その空間に紛れ込んで居たというのが本当の処かな。
なんで私がここにいるんだろうと不思議に思っていた
んだから。
結構、良いとこの奥様がお集まりのようで、良いもの、
高いもの、珍しくて普通は手にする事ができないような
ものまでがざらに集まって、話題になり、私はチンプンカンプン。

私はひたすら、その話題に耳を傾けるしか無かった。
幸い若いというのが役に立って、知らない、出来ない、持ってない
観た事ないを存分にさらけ出す事ができたが、一つだけ恥ずかしい
と思ったことがある。

『来週は中軽(中軽井沢)の別荘に行って参ります。』
と仰る奥様がいました。
字が上手で旧家の格式のあるお家にお嫁に見込まれたという方
なのですが、何かの折に巻紙を出して、それにお弟子さん達の
名前をサラサラと書き始めました。
そんな事絶対に出来ない、凄いな〜。
こういう人が良い処にお嫁にいけるんですね〜とその当時の私は
単純明快だった。

さて、思いついた事があるとサッとメモ帳を出して書き留める
人がいる。こういう人に感心してしまう・・・と堀江敏幸さんは
おっしゃいます。
しかし、その関心事はメモの内容ではなく、その手帳の形態と仕様
であると。

その立ったまま書く事の難しさもそうだが、無くしやすいものだから、
手帳は落とすためにあるとまでおっしゃる。だから、重要な事は
書けない。
そして、落としたと分かるために落としたと分かる手応えとか、
尻応えという硬さや丈夫さ、雨にも負けず、風にも負けない、そして、
立ったままでも下手くそな字も書ける、しかも見目形も良い、安価な
手帳はないものか・・・と探して、測量検地で使うLEVEL BOOKを
探し出します。

私は最近ウチの若いもんに勧められて、MOLESKINEの無地を使って
います。なんでも、片っ端から、書いています。
堀江さんの言う所の便利さが揃っています。
あんまり読み返さないけどね。

で、あの巻紙にサラサラの方、どう言う訳か、家を出て仕舞った
そうです。
傍目には幸せに包まれているようにみえても、本人はそうでも
ないのですね。

2013年12月30日月曜日

で、マタマタ『なるほど、やっぱり、村上春樹』

さてさて、まだまだ、村上ラジオです。
春樹様は『コミュニケーションが必要なんだ』
というところにメグレ警部シリーズを書いたジョルジュ・
シムノンの女狂い?について書いています。

兎に角、家にやって来る女性と見れば片っ端から??まくる
そうで、本当か?と思いますが、それ程の精力家!だった
ということでしょうか!

そう言えば、かのサトウ???という『小さい秋』
という可愛い詩で有名なあの人も一日中裸で過ごし、お手伝い
さんに手を出したという猛者でした。
その言い草が『一人じゃ足りないよ〜、』だったそうで、
佐藤愛子さんがあの長編自伝小説『血脈』に書いておられます。

シムノンさんはその事は所謂コミュニケーションの一つであって、
とまあ正当化しているようなんだけど、まあね〜。
で、現代ではジュード・ロウさん。
あのイケメンで、何か女性に甘えるようなあの目が素敵なあの
男優です。『ガタカ』や『ロード・トウ・パディション』や
『ホリデイ』や『Drパルナサスの鏡』『シャーロックホームズ』
などとっても素敵なんだけど、で、全部観ているけど、
ベビーシッターが好きになってしまって責任をとって、奥さんとは
離婚をし、そのベビーシッターと結婚をしたらしい!!!
ああ、やっぱり、私のジュード・ロウ様でした。
はあ〜、良い師走だな〜、ノンビリ、のんびり?とはいかないね!
最後の踏ん張り、料理を作りまくるぞ!!!!!!!!!

2013年12月29日日曜日

『脱構築シーザースサラダ』

シーザースサラダはローマ皇帝ジュリアスシーザーの名前から
とったと思っている人が多いようだが、そうではなく、1920年代
にティファナでレストランを開いていたイタリア系アメリカ人、
シーザー・カルディーニさんの名に由来している。
この人がレシピを即席で創り上げた、と言うのが定説になっている。
・・・というのが、村上春樹様の説。
で、そのあと、このサラダについてなんチャラ、ウンチャラのあと、
流石にアメリカの経験の長い人ですね〜、ハーバード大学の正門
近くにある某レストランにはこんなものがあると書いています。
『脱構築シーザースサラダ』
というのがあって、これは要するに、バラバラに材料を持って来て
『あとは自分で組み立てて下さいね。』
というものらしい。
我が家のそれも人気メニューでしたが、このドレッシングをつくるのが
大変でした。
オリーブオイル150cc
卵黄1個
アンチョビー1缶
ニンニク1ケ
マスタード小2分の一
ウスターソース大1
タバスコ3滴
レモン汁大2
パルメザンチーズ2分の一缶
ワインビネガー大1
バルサミコ酢大1
塩少々
と大変な材料です。これをミルサーでがーっと混ぜるんですねええ。
ミルサーもこれ専用のものをもっていました。
美味しかった。
あのレストランのさんざめきと共に、このサラダの美味しさが
口中に蘇ってきました。
今晩作ろうかな。美味いよ〜。

2013年12月22日日曜日

イヌイット達とアザラシ油

北極圏のイヌイット達は野菜を食べず、動物性の
食品ばかり食べているのに、動脈硬化がほとんど
見受けられない。
調べてみると、その理由は彼らが日々食べている
アザラシ肉にある事が分かったそうである。

そこに含まれたオメガ3系脂肪酸が血液をサラサラにし、
心臓を剛健に関節を柔軟に保つ効果を持っていたためだ。
・・・とここまでは、春樹様の文章。

で、オメガ3系の脂肪酸は何に含まれるのかな?と調べて
みるとシソ油、エゴマ油、亜麻仁油、グリーンナッツオイル。
イヌイット達はアザラシ油を購入する事もあるらしいけど、
日本では亜麻仁油でしょうか。
残念なことにこれらは非常に高価だそうです。
このオメガ3系は熱に弱いので、調理し終わった料理に
タラタラとかけて、食べる直前に食するのが良いらしい
デスね。
で、毎朝マラソンをして、健康おたくな変な作家の村上春樹様
はオスロでこれを購入?したそうです。
アザラシ油、これが臭い!
『朝、目が覚めたら、身体の上に大きなアザラシが一匹乗っかって
いて、どうやっても跳ね除けられず。無理やり口をこじ開けられ、
生暖かい吐息とともに、湿った舌をぐいぐい中に突っ込まれた』
くらい臭い!!!
とすごい表現をしています。
ぎょえ〜です。
これは高くても捨てますね〜、私なら。
でも、春樹様は不味くても飲み切ったらしい。
凄いね〜。
で、効果があったかというと、別に何処も悪いところはないので、
比較のしようがない・・・とかいています。
だいたい、一般的に言えば、文章を書いて身過ぎ世過ぎを
している作家さん達はその仕事の性質上、身体を壊す事が
多かったのではないかと察します。
単純明快に明るく、楽しく、毎日を健康的に送っている
というイメージはありませんもの。
村上春樹様は最初から、この仕事に携わる時から、マラソン
を始めているそうです。この人は最初から、こういう作家に
まつわる不健康を危惧してマラソンをはじめているのでは?
と思いますが、本人ではありませんから、どうなんでしょうか。
で、私の好きな安曇野在住の作家丸山健二さんも身体を健康に
酷使する事で頑健な身体をお持ちの異色の作家さんです。

どちらかと言うと彼が作り上げた安曇野の庭の男っ気一杯の
バラ園で有名だと思います。
そして、文章はそのバラ園と同じように質実剛健で、華麗で、
男でなくては書けない表現の美しさと厳しさがあります。
この人は朝3時間ほど作家活動をすると、その後は庭作りに
専念するのだそうです。
そのバラ作りの厳しさは彼のこの言葉に凝縮しています。
『身体が軋むほどの辛さ』と言います。

で、ウチの相棒は
『イヌイットって、犬一頭しかいないんだろう!』
だって。
なんのこっちゃ。

2013年12月21日土曜日

昨日の雨雲

吉祥寺の帰りに中央線から眺めた車窓の景色。
本当に本当に、なんだか怖いような重く、暗く
垂れ込めた雨雲。
南の空は明るいのだけど、振り返って北の空は
真っ黒いフカフカそうな綿あめ雲です。

今日の夜はパーティーなのに、土砂降りじゃ嫌だな。
・・・なんて考えながら、家に帰って、ウチの若いもん
にミルクティーを入れて貰って、事の始終を話したら、
たちどころに今晩の天気を調べてくれて
『おばさん!今晩は晴れですよ〜』
だって。

良かった、行けますね〜。
行ってみれば久し振りに会うヒト、ひと、人。
みんなそれぞれの人生を背負って、いろんな経験を
して、一回りナンダカ達観したような顔をしていて、
良い雰囲気に丸くなっていました。
夏のパーティー、冬のパーティーの年2回の逢瀬です。
私も少しだけ経験の収穫のお裾分けをして貰いました。
さぶい中を歩きながら、
『がんばろう!』
とつぶやいていました。
行って良かった。みんな有難う。

2013年12月19日木曜日

『村上ラジオ』

なんか、気持ちが萎えているというか、
疲れているなんて時、
エッセイは良いですね〜。
軽く読める、
笑がある、
だいたい、失敗談である、
ふつうじゃ話せない言ってはなんだけど・・・
と言うのが多い。
"この作家さん、大丈夫かな〜"なんてのも
たくさんある。

で、なんか、疲れたな〜と思う今日この頃、
この『村上ラジオ』を読んで見た。
この中で春樹様が見る夢について書いている。
だいたい、夢は基本的に見ないのですが、と前置き
をして、食べ物の夢はみる。それもグロイの、だそうだ。
え〜、食事中だったらゴメンなさい。
1、毛虫のフライ。
詳細は省きます。
2、白蛇のパイ包み焼き。
え〜、書いちゃえ!
白蛇の肉を蒸したのをカリッとしたパイ皮で包んで
焼き上げられている。
これって、いけそうな気がする。・・・というか食べても
いいな。
3、パンダ丼
これは書きたくない。
で、変な料理で思い出した。
結婚間もない頃にウチの相棒が変な料理の事を話していた。
で、作ってみて出したら、
"なんだ、これ!"
と言う。
"だから、ずいぶん前にこういう風に作れと言ったじゃないの"
"俺はそんな事を言った覚えはない"
"え〜、だって、実際に言われたから、作ってみようかと
思って、作ったんじゃないの!"

未だに分からない。あれは夢だったのか。

で、春樹様は言います。
火野葦平の小説に家族が順番に昨日見た夢の話をするくだりが
あると。
そして、夢をみる、見ない、いや、見やすい体質というか、遺伝子
ってあるんだろうかと疑問を投げかけます。
ウチの若いもんはどうだろう?
さて、隣のギタリスト達はどう答えるのか。

2013年12月17日火曜日

フェリシモ第3段

イヤー、楽しいね〜。
この最後の持ち手の部分を編んでる時
なんて、楽しいこと・・・。

写真でお見せすると毎回同じ模様のように
見えますけど、全くちがうんですよ。

この編み図も最初は複雑で理解する事が
困難な感じでしたが、今は理解力がついた
というか、観て直ぐにわかりますね。

返って複雑な方が嬉しい。
そろそろ、次が来るのです。
今度はどんな模様編みがくるのか、楽しみ、
楽しみ。

一年の最後の師走の頃にノンビリ編み物を
している私。
良いな〜。
私ってこんなヒトだっけ!!!という気分。
だって、編み物は苦手です・・・という女の子
でしたから。
変われば変わるもんですな。ふ・ふ・ふ。

2013年12月16日月曜日

映画『利休に尋ねよ』

安土桃山時代から織豊時代の美意識や建築様式の
素晴らしさを散りばめて茶道を大成した利休。
この利休と信長、秀吉の3人を軸に利休が切腹をする
時まで描いたこの作品。
前半は利休役の海老蔵さんがここまで汚さなくても
と思われる程の老人姿を晒しているので、ちょっと
期待ハズレかなと思っていると、後半は利休若かりし
頃の恋物語というフィクション?が始まります。
とにかく、この本を読んでしまったので、興味がありました。
しかしながら、内容が深く無かっただけに、映像にしても
それ程面白いとはおもえませんでしたけど・・・

でもね〜、市川海老蔵さんと伊勢谷友介さんですから。

前半には辛うじて利休と接点があった?信長を俳優の
伊勢谷友介さんが演じていて、バタ臭い信長役をこなして
います。
いやはやイケメンデスね〜。

イケメン二人を観てくるだけでも良いんじゃないですかね。
この二人を"伊勢海老コンビ"というのだそうですよ。

で、この本では何故、利休が切腹をさせられたか・・・という
解釈が新しく設定されていて、こういう展開も良いかも、と
思わせています。

iPadから送信

2013年12月14日土曜日

『古九谷』

高校2年から始めた茶道。
あれから何年経ったろうか。

茶道の道具では何と言っても、茶碗が王様。
茶道で習うと茶碗の王様は楽茶碗、次が萩、そして、
唐津、と昔からいわれているそうだ。
しかし、私は何と言っても肥前鍋島藩の伊万里焼が
一番ではないかと思ってしまう。
多分、その理由は司馬さんの『故郷忘れじ難く候』を
読んでしまったからだと思う。

あの佐世保のハウステンボスが出来た年、宅急便か!と言われるような
一直線の車旅行を敢行していったのも、テンボスではない伊万里を訪ねたい
気持ちに押されたからだ。
そして、今回『街道をゆく』(本郷界隈)を読んで、
あの頃のはやる気持ちを思い出している。

ここには『古九谷』にまつわる逸話が楽しく語られている。
九谷は加賀の国、今の金沢にあります。山中温泉で知られる
処だそうです。
古九谷というのは素敵な名前だなと思っていましたが、いったい
どこの土地を言うのかといつも疑問に思っていましたが、今回
これを読んでスッキリしました。
ただ、司馬さんはこの加賀の国で財力もなく、鍋島藩からも遠く
離れているのに、あまりにも濃厚な色絵の作品が出来ている
ことに疑問を持っていたとかいています。
しかし、江戸時代に、加賀藩があったという東大の医学部病院構内が
考古学的調査がはいりました。
その後、昭和45年の発掘調査では窯跡が見つかり、陶片5千片が出土して
『古九谷』『青九谷』が九谷で焼かれたことが、紛れもない事実と
分かったそうです。
九谷は最初色絵ではなく、呉須(コバルト)で色がつけられていたそう
ですが、次第に色絵になりました。
あのフェルメールのコバルトブルーか。
古九谷には肥前の陶石をつかったものと九谷産の陶石をつかったものと
それぞれ存在している事が判明したそうです。
面白い!そして、凄い!
さて、さて、確か、冷蔵庫の隅にお抹茶があったはず。
茶筅はささくれているけど、まっ、いいか。

2013年12月8日日曜日

プチ引っ越し

この11月、軽い引っ越しをした。
で、色々な職人さんに軽い修繕をお願い
したのだが、職人さんはいいな〜と感心する事、しきり。
まず、大工さんに7畳の部屋の床をはがして明るい色の
フローリングに変えて貰った。
処が、今は仕事が立て込んで居るとの事。
無理を言って、日曜日一日ではりなおしてもらいました。
いつもは、鼻歌交じりで悠々仕事をしているのに、その日
は結構必死でした。次は硝子やさん。
硝子やさんも何やら忙しいらしく、予定を組むのが
難しいらしい。
で、いきなりやってきて、ガラスを変えて行った。
さて、次は経師やさん。
日曜日の朝9時に来るという。
我が家の若いもんは経師屋という言葉は始めて聞くという。
会社名は"メイク ◯◯◯』
この方が分かりやすい・・・と若いもんはいいます。
『Do it yourself』が好きな私は張り付いて作業を眺めてしまいました。
うーん、なんとか私でもやれないだろうか。
障子や襖は破やすいもの。
自分でもやれるといいですが、作業が終わってみれば、見事な
出来栄えです。
やはり無理ですね〜、じぶんでやるのは。
処が、この仕事師さんはいいます。
『会社は辞めて、自分でやってるのよ。
あとを継ぐのがいないもん。
娘がふたりでね。一人はけっこんしたんだけど、
一人は戻ってきちゃって・・・。』
『その娘さんはやらないの?』
『やらないね〜、興味がない。』
『やれば良いのにね〜。』
どこも跡取りは居ないのですね。
折角の技術が受け継がれない。

眩しい程の銀杏並木

鮮やかなイチョウの黄色が眩しい。

この季節、他にも葉の色を変色させて
落葉する木はたくさんあるけど、イチョウ
のように人を鼓舞する黄色で、秋の訪れを
告げて、『さあ、頑張れ』と話しかける木は
ないですね。

圧倒的な量のイエロー。
これから寒い、暗い冬がやって来ると言うのに
この明るさはなんだろう。
萎縮したり、嘆いたり・・・なんて微塵もない明るさ。
この黄色を仰ぎ見て、励まされない人はいないのでは。

青梅街道の銀杏並木に励まされて、思わず、一駅を
歩いてしまった私は、もう 一つ背中を押された気がして、
初めての美容院に入りこんで、20年以上もしなかった
パーマをかけてイメージチェンジ。

思い切った事をした。
このイメージチェンジを家のヒト達はどう反応するのか。

2013年11月30日土曜日

高島野十郎その人

この人は若い頃から人間が存在するこの世界を
安穏を求める場ではなく、ひたすら修行僧のように
何かを追い求めて自分を律していく場として捉えて
いたのではないだろうか。
首席で卒業したという経歴をいとも簡単に捨て去り、
一か八かの世界に飛び込んで行く。
その為に、異性にも目もくれず、家庭も持たず、
楽な生活にも憧れなかった。
野十郎は魚の精密なデッサンを描いて、科学に対して
大きな疑問符を投げつけたノートにこう、書いている。

『こう、思い進む事が科学、これが迷信』

『科学をやっていると、自分の頭が滅茶苦茶になる。
動物学や科学や数学をやったり、哲学したり、
そんな事がいかに我が身に害毒した事か、
そのモルヒネ中毒を洗ひ落とすのに一生かかる。』

こんな激しい科学批判をする人を私は知らない。
しかし、科学万能の結果を今危ぶんで居る人が
少なく無い事を考えれば、この時代に害毒だと感じて
いたこの人はやはり、鋭い人だったんでしょう。

野十郎のノートには更に
『過去即未来
時間即無
未来即過去
空間亦復如是』

ここにある事が所謂彼の画業に現れて居る事なのかも
知れない。
あの蝋燭の絵がそうなんでしょうね。

彼は言います。
『道がなんだか知っているか、だったら、言ってみろ!』

2013年11月28日木曜日

高島野十郎評伝その3

大正5年(1916)、野十郎は26歳で東京帝大水産学科を
首席で卒業。
魚の感覚に関する研究を行っていた。また、卒業時に
授与の候補に挙がっていた恩賜の銀時計を辞退した。
これで、引くに引けぬエリートコースへの退路をタチ、
同時に栄誉心もかなぐり捨て画業に専念するしかない
道を選んだ。

この人は人生の始まりから厳しく、険しい道を選んで
いるのですね。
私はこういう生き方を自分では出来ないから、観たり、
読んだりするのが好きです。
そして、(それって、大変じゃないの!とか、難しい
でしょ!とか、不可能でしょ!)というのが、基本的に
イヤ。
難しい、大変、と言われれば言われる程、手を出したくなる
というへそ曲がり。
そんな人生も終盤に差し掛かり、そんな事も言えなくなって
きているけど、やはり、この歳でも出来る挑戦・・・と言う
なんチャラを模索中。
今は若い人のそんな挑戦に何となく、手を貸すのが喜び
になっています。

野十郎は人生の終盤に数えきれない程の『蝋燭』の絵を
描いています。
それを知人の誰彼、構わずにあげています。
この絵に何かを感じる人は大切に子孫に伝えているでしょうが、
何も感じない人に貰われていったとしたら、悲しいですねえ。

私は真似をして、何枚か描いた事がありましたが、全く上手く
行きませんでした、当然だけど・・・。
歳をとったから、少しは近ずけるだろうか。
不可能、無理、大変、・・・ですかね。

2013年11月21日木曜日

桃、栗3年、柿8年、・・・

今年は夏ミカンやら、レモンやら、柑橘系の当たり歳
とか。
何処の家の黄色い生り物も豊作と見えて、文字どおり
たわわに実っていて、シトラス系が大好きな私には
『いいな〜』
と思わず足を止めて魅入ってしまいます。
で、今日は散歩の帰り道に見つけました。
ゴツゴツしたニキビ面の柑橘。それも子どもの頭ほどの
凄い大きさ。
カリンだろうか、それとも新種のなにか。
一体ナンダロウト佇んでいたら、中の住人がお二階の
ベランダで洗濯物を干し始めました。
『失礼しますが、この実は何ですか?』
『柚子ですよ。』
『植えて何年ですか?』
『え〜30年かな〜』
『30年ですか、凄いデスね〜。
写真撮ってもいいですかあ?』
『どうぞ〜』。

その後、私は心の中でずっとつぶやいていた。
(桃栗三年柿八年、柚子の馬鹿野郎18年)
って、誰かが言っていたよね。
そんなに待てないな〜。

2013年11月11日月曜日

レトロなバッグシリーズ2

第二段のレトロバッグが出来上がりました。
ふふふ、少しづつ網目が揃って、技巧派に向かって
ますぞ!
長編みが揃って美しい!
朝起きると、少し編み、寝る前に少し編み・・・を
繰り返し、半月程で仕上げます。
昼間はとても忙しくてやってられません。

さてさて、そろそろ次の作品の材料が送られてきます。
これで、2750円。
私には楽しい値段ですが、高いと思うか、安いと思うかは
その人次第。
それに、次に何が送られて来るかが分かりません。
全体でこれとこれの作品です。は、わかっているのですが、
こんどこれ!と言うのは此方で決められない。
これを良しとするか、否とするかも人次第ですね。
とにかく、楽しみ。
早く来ないかな〜。

2013年11月9日土曜日

高島野十郎評伝 第二

ここに高島野十郎氏の"カラスウリ"の絵があります。
これを観て"凄い!"と思わない人はいないと思います。
この存在感。
存在感や写実が欲しいのなら、写真があるだろう!
という人もいるでしょう。でも、そういう人に尋ねたい。
写真にこれだけの奥行きと思想を感じるか!
写真は被写体を強く感じます。
もちろん撮る人の技術によって、生かされもします。

絵は描く人の心、感情、生き方、思想、技術、そして、
被画体?の人間の命に匹敵する程の生命感を感じさせて
くれます、その画家によって。

彼は言います。
『花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事。』
カラスウリの一つ、ヒトツ、枯葉の一枚、イチマイに光を
当てて、その存在を解き明かしたこの技術は身過ぎ世過ぎ
の為の作業ではなく、その思想の実践だと思えないだろうか。

何と言ってもこの絵のような凛とした、晴明な人生を
送ったという事はうれしい。
ただ、この高島野十郎でさえ、あのバブル時代に地上げ
業者によって、多いに悩まされ、苦労したという話の章は
実に悲しい思いで読みました。
そして、今の私は価値観、人生観を少し(?)所か大きく
反省してみなくてはいけないかも。

2013年11月7日木曜日

“過激な隠遁”高島野十郎評伝 その一

何十年も前に日曜美術館をたまたま観ていて、
初めてこの作家さんの名前を知りました。
この時にこの本の作家である川崎とおるさんが
高島野十郎との因縁を話していたことが妙に
印象に残りました。
野十郎の自画像と有名な?カラスウリの絵と
この川崎さんの偶然の邂逅の話が脳裏に残ったのです。

川崎さんは秩父の山で小脇にスケッチブックを抱えた
背広姿の紳士と立ち話をしました。
そのひと月後に上野の国立博物館にルーブル美術館展を
観に行くと、茶系の外套を翻すように出て来た彼に会います。
そして、その翌年渋谷のゴヤ美術展に出かけて、もう一度
出会います。
老紳士はゴヤの絵を説明し、その後近くの青山のアトリエ
に誘います。
後に高島さんは真顔で
『これはもう運命だよ。』
と言ったそうな。

画壇にも属さず、ヒトメを避けるような"遁世という過激な"
生き方をした高島野十郎。
しかし、この川崎という、いち文学研究者との因縁の出会いによって、
この野十郎の素晴らしい絵や激しい生き方が世に紹介されました・・・。

この本の表紙に載っている絵は『壺とりんご』
こういう絵を"静物画"とか、"STILL LIFE"とかいうそうですが、
野十朗は空海が好きで、かなり深く読み込んでいました。
空海の思想の影響とでも言えるでしょうか、この人の絵を観ていると
宗教心が染み出てくる感じがします。
こういう絵を写実主義という言葉ヒトコトで片付けられません。
でも、とにかく私は好きです、こういう作品が。

2013年10月30日水曜日

夢をリアルに見る。

"そうか!最後に葉脈の部分を入れるのか!"
半年も前におあそびで描いた水彩画を別に悩みもせず、
ほって置いたのに、何故かもっと書けと
誰かがせっついてくる。
で、こんな夢をみる。こうやったらイイよ、と。
で、今朝出して、葉脈の部分を書き加えた。
だからと言って、何なんだろう。

フェリシモのかぎ針編み

レトロなバッグシリーズの第一回めの
作品が完成。
ワーイ。
でも何だかタテ、ヨコの長さが微妙です。
黄金比率になっていない長方形が
気分悪いデスねえ。
次の作品を始めていますが、ナカナカ難しい。
一ヶ月一作品。
楽しい!

我が家の夏ミカンへの懺悔

このたび、故あって、慈しんでいた夏ミカンの木を
移植する事になりました。
買って来て植えてから5年ほどになりますが、今年は
かなりおお振りな実をつけてくれて喜んでいたのに、
そして、一番移植するのには不都合な時なのに、
敢えて移し替える・・・という・・・。
枝振りも小さく纏めたのですが、これからの実を獲って
しまうのは、本当にざんねん。
塩をまき、日本酒を振って"ゴメンなさい"。
移植すると未練がましいのが、私。
ダメもとで・・・。

2013年10月25日金曜日

Guitar forestの仲間達

手芸作家YUUさんの手作りギター雑貨が集まりました。
全てがギターへの愛に溢れています。

森の木にはミニギターが吊り下げてあります。
フクロウのギター、
蛙のギター、
ハシビロコウのギター、
クマのギター、
オオカミのコントラバス、
ウサギのアコーディオン、
オコジョのピアノ、
と多彩です。
この半年くらいに作りためた作品が一堂に会しました。

作家さんのお友達が駆けつけて来て、食事をしたり、
お茶をしたりで、初日は楽しく、賑やかに暮れて
いきました。
手作りの楽しさが伝わってきて、良いですね〜。
人は手先を動かす事で自分自身が癒されるって本当では・・・。
まっ、家ではお母さんが作品作りに明け暮れていて、晩御飯が
ナカナカできないと家族のブーイングがあったとか、無かったとか。
微笑ましいエピソードです。

オレンジパンプディング

3年ぶりに焼いたオレンジパンプディング。
柑橘系の香料"グランマニエル"をタップリと
振り込んでいます。
バター、オレンジ、卵、牛乳のハーモニーが
心をくすぐるよう。
ここにパンをそっと浸して、美味しさを移行させます。
余り浸しすぎると形がなくなってしまうので、要注意。

このパンプディングとアールグレイの紅茶があれば
完璧。
さあて、ティータイムにしますか。

2013年10月22日火曜日

大嶺さんのティーポット

初使いのティーポット。
緑茶よりお番茶の方が合いそう。
今日は豊年屋の生菓子"栗羊羹"。
浅い甘さが魅力です。

2013年10月6日日曜日

【『空海の風景』を旅する。】

かなり難解な『空海の風景』を優しく説明してくれるか
のようなこのNHK取材班の文章は嬉しい。
この取材班は空海の足跡を辿り、讃岐、奈良、室戸岬、
長安、博多、京都東寺、高野山・・・を旅しながら、
空海の風景を探っていきます。
空海は当時の仏教や儒教では(人間とは何か)に答えていない
として、突然姿を消して、7年の間、ひたすら山岳修行をして
山に籠ります。
ここに遣唐使の話が持ち上がります。
しかし、空海はこの時、まだ私度僧であり、乗船する資格
がありません。
この出航が一年延期になって、諸々の条件を大急ぎで揃える
為に周りに援助してもらい、空海は奇しくも乗る事が許されます。
これが第一の奇跡。

その頃、長安の都では密教の教えを授けられるただヒトリ
の人の恵果がいます。
ナカナカ会いに来ない空海をジリジリと待っていて、噂を聞くにつけ、
まだ会ったこともない空海に想いを膨らませていきます。
空海はこの人に格別に見込まれ、わずか3ヶ月でその全部を授けられます。
そして、その同じ年に恵果はこの世をさります。
これが第二の奇跡。

その後、空海は留学生(るがくしょう)であるから20年間帰って
きてはいけないのですが、早々に切り上げて帰ってきてしまいます。
これは勿論国禁をおかしている訳ですから厳罰ものです。
空海は帰ってきても直ぐには京都に登らず、九州の筑紫に
しばらくいます。

このあと、直ぐに遣唐使船は廃止になります。
もし、その時帰らず、20年間いたら、空海は永遠に日本に帰ってくる事
はできなかった。
これが第三の奇跡。

2001年5月、日本高野山の僧侶を中心とする真言宗信徒の一団が青龍寺に
訪れている。これは弘法大師入唐1200年の記念行事の準備を兼ねての参拝
だったそうです。
この寺には日本真言宗諸派の基金により、1984年9月に落慶した
『恵果空海紀年堂』がたっています。
中国の青龍寺にはこの時まで堂と呼ぶべき建物がなかったそうです。
青龍寺は唐代711年寺名を替えて青龍寺となり、60年後に恵果がこの
寺に入り、本格的に密教寺院になりました。その後唐皇帝武宗の
廃仏毀釈に遭い、以後900年間西安の地中深くうもれていたそうです。

ところが、1973年、司馬遼太郎さんが『空海の風景』の連載を開始
した年に、今の寺域周辺の畑地から寺院の門や塔、殿の阯が発見されます。
今は日本の僧が1200年まえに絶えた密教の所作を中国の僧に逆に伝えて
いると言われています。
これが第4の奇跡。

司馬遼太郎さんは言います。
遣唐使船日本出発の一年延伸といい、恵果の死の直前の伝授といい、
日本に帰る時の突然の高階真人遠成の来唐で一緒に帰る事が出来た
幸運といい、常に、ギリギリのきわどい瀬戸際で運命が幸運の
扉をひらいている、と。
その一つでもタイミングがずれていたなら、後の弘法大師はこの世に
存在しなかった。
空海がもし、グズグズと躊躇していたなら、運命は順繰りにその人生を
閉ざしていただろう、彼がその扉を開けたと言っていい、と。

司馬さんは自分と空海を同列に想いを馳せることは避けていますが、御自分が
連載を始めた時に寺が発見される奇跡を感じていたはずです。

『龍馬が行く』を書き始めた時も、少なからぬ因縁があります。
高知県出身の友人から龍馬について書いてくれと頼まれることも
そうでしたが、後で調べれば、当時の司馬さんが住んでいた
マンションは元土佐藩にゆかりのある土地だったそうです。
司馬さんが龍馬が行くを書かなかったら、これほど広く日本人の
心に坂本龍馬が残らなかったとおもいます。

そして、今、私は空海をもっと知らなければと思うのです。

2013年10月4日金曜日

“ホテルローヤル”

公務員をしていた父親がある時、突然仕事を辞め、
"ラブホテル"を経営する。
こういう周辺で生活をしていたこの作家さんの
桜木紫乃さんが、周辺で見聞きした事を元に
底辺の人達の哀しくも、そして、愚かではあるが、
一生懸命な姿を過酷な筆でもって描き出した。

この桜木さんは面長のスッとした美人です。
この方がこういう筆を振るうとはとても思えない。
容赦なく、ずばずばと切り込んで行って、読む
こちら側としてはどこに目を向けていいのか、分からなく
なります。
ようやく、この世界に慣れる頃に終幕を迎えます。

私には矢張り、気高い人間の賛歌を謳う作品の方が
癒しになりますね〜。

2013年10月1日火曜日

ホテル内の長寿食

これを食べると長寿できるんですね。

万座ビーチ

朝5時半にホテルを出て、有名な
万座ビーチへ。
ここで夜が明けるのを待って海面の
七変化を楽しみます。

マングローブ林

慶佐次湾のマングローブ林。
生憎、海水が少なくて、水の中に沈む
マングローブを写真に撮ることはできません
でしたが、海水の中に眼を移すとたくさん生き物が棲息しています。

屋敷林

備瀬区の"フクギ並木"。
ふく木はこちらの方言ではブクーギ。
オトギリソウ科の木で雌雄異株。
防風、防潮、防砂、防火に最適の木
で沿岸屋敷林に使われていますが、
これが時々訪れる観光客には美しい
風景としか思えません。

美ら海水族館

日本一の水槽を誇る水族館。
甚平サメが悠々と泳いでいます。

2013年9月30日月曜日

天然酵母のお店“宗像堂”

軽くお昼をと入ったお店で
大嶺実清さんのコーヒー茶碗とケーキ
皿を発見。
いい色合いです。

読谷山窯

4つの窯元が集まって使っている
という登り窯。
ここの総帥が大嶺実清さん。
ここで総帥のかなり大ぶりの水玉
模様の急須を買ってしまった。

ヤチムンの里

沖縄の言葉でヤチムンは焼き物の事
なんですって。
これは有名な作家さんの作品。
欲しい!

木の生命力

フクギの根っ子の凄さ!
人はこんなにも生命力はないけど、
こんな木の姿を観て、何かを感じない
訳にはいかないですねえ 。

首里城の中

首里城の中も外も今は半分が
修復中。
漆を塗って美しく改装中です。
木を最大に保存する為に漆が
有効だと誰が発想したのか、それだけの
為ではなく、おまけに美しいとは。
それにひきかえ、式年遷宮の伊勢神社
のなんと時代に合わない贅沢さ。
日本建築の白木作りの無残さ。
どこのお宅も白木作りの玄関は2ー3年
の内に雨水と土汚れで酷い事になって
いる。なぜ最初からニスでも
塗らないのか。
無垢であることが神聖で有る
•••ということなんでしょうけど。
先日も柿渋で家を磨くという伝統を守って
いる人達をテレビでやっていたけど、
ああいう技術は何としても残して
貰いたいデスねえ。
欧米の石作りの建築に比べ、木造の
なんと貧弱な•••と思っていましたけど、
ダカラこそ、こういう工夫が生まれている事に誇りを感じます。
ここは首里城の中。
係り員のおじさんが『写真撮っていいよ』
と誇らしげでした。

2013年9月28日土曜日

(千と千尋の•••)の物の怪の入口?

さーて、ここの石の入口を通れば、
あの千尋が千と呼ばれるもののけの
世界。
宮崎駿さんは色々な世界からその影響をうけているんですね。

守礼の門

正に沖縄といえば、(守礼の門)
ここの前で家族全員証拠写真と
言いたい処ですが、却下。

しむじょうの裏側

本土では見られない植物が庭いっぱいに生い茂っています。
草いきれがムンムン。

沖縄ソバの店(しむじょう)

沖縄の古民家そのままの佇まい。
家も庭もお•き•な•わ そのもの
おそばも美味しかった。
沖縄は植物も道も人の顔も看板も
服装もみんな本土とちがいます。
そして、時間というテンポも。

2013年9月27日金曜日

風を切る!

時々強く吹く風を感じながら、軽快に?自転車を駆る心地良さ!
スキーの直滑降の醍醐味には負けるけど•••
随分前、いや、ずっと昔に味わったかもしれない、この自分が支配している•••という快感、いや錯覚に酔い痴れるのもいいものですねえ。
とは言っても、都会のかなしさ、飛び出して
くるトラックやタクシーにヒヤヒヤ、ハラハラも醍醐味の一つ•••と言うのは
悲しい。
今日も知らない道を行って、日蓮宗の
お寺さんを見つけました。
それに、もう一つ、言ってはなんだけど、(出口)という表札を見つけ、思わず
写メしようと思ったけど、失礼だな、
と思い、断念。
明日は沖縄です。

2013年9月24日火曜日

Tears in heaven

蛙のマペットが歌う"Tears in heaven"。
トム ハンクスのような声がお父さんの
子守唄のようにも聞こえて、癒されます。

歌う蛙は言います。
現代において、お父さんのような優しい
歌声と励ましの声を子どもたちに送りたいと。

現代において確実に音楽は衰退しているように
思われます。しかし、メディアに翻弄されない
しっかりした音楽集団は存在します。
この人達は本物を子供たちに伝えたいと
がんばっています。

本編はyou-tubeのacousphere tears in heaven
で検索すればみられますよ。

2013年9月23日月曜日

彼岸花

まさに、お彼岸の時に咲くから(彼岸花)。
これは薄い黄色の花が咲く変わった品種の
彼岸花。
紅い品種のは余り好きじゃないけど、これは
亡き母が園芸教室で貰ってきたのが増えたもの
です。儚い薄い黄色が気に入っています。

今日は多摩墓地に行ってきました。
案の定墓石の間のあちこちに咲く紅い彼岸花を
たくさんみかけました。
でも、紅い彼岸花はお墓の花という位置づけが
できているようで、それだからこそ人々に愛着を
持って接して貰えないのかもしれませんね。
決して、切花にはなりえない。

この黄色い品種は根元から切って束ねたら、きっと
綺麗。

醤油麹と甘麹

毎日ではないけど、時々かき混ぜてやらないと
ご機嫌が悪くなるこの麹たち。
最近はこれを使っての料理のレパートリーが増えた
為か、特別かき混ぜるというより、料理のたびに
ちょっとひと混ぜすれば良い事が分かり、料理も
美味しくなって、便利、べんり。

醤油麹はお醤油系の煮物でもいいし、お肉や魚をあらかじめ
この麹に半日でも漬けておけばあとは焼くだけでおいしい。
あとはモヤシやキャベツなどを一緒に炒めれば、おいしい
野菜炒めになる。
甘麹はそのまま少し薄めて甘酒で飲んでも良いし、カボチャ
やサツマイモなどを甘く煮たい時に使えば簡単に柔らかく
なります。
最近、柔らかく煮てもどした大豆を冷凍して置いた
ものと、ニンジン、ハス、牛蒡と一緒にヒジキを
煮たのですが、(勿論、醤油麹を使ってですが)、麹は
煮たあとも生きていて分解し続けるので、食べ切るまでに
大豆がドンドン柔らかくなり、食感が悪くなってしまいました。
これは使わないほうが良いのかもしれません、麹をね。
クタクタの大豆がお好きな方には良いかもしれませんが、
私はダメでした。
何でも使えば良いというのではなさそうです。
食感も大事です。

2013年9月20日金曜日

今年も月下美人

今年は6月の1カ月の私の不在が祟ってか、
花芽が少ない。
それに加えて、満開の時期が2度も訪れて
いたのに、みんな何故か忙しくて、愛でない
ウチにひっそりと咲いて、しぼんでいた。
可哀想にもほどがある。
誰にも褒められず、なんの為に精一杯咲いたのか
分からない・・・とやけにもならず、最期の力を
振り絞って昨夜一輪だけ咲いてくれた。
今回はどんなに遅くても、眠くても、付き合わねば。

流石にウチの相棒も裏の孫まで借り出し、みんなで
静かに騒いで?・・・なんせ、夜の10時ごろですから。
写真を撮るやら、ツイートするやら、で大騒ぎでした。
今回の事で、機嫌を直してくれただろうか。

2013年9月19日木曜日

アメリカ横断ウルトラクイズ

今朝、なんの気なしにyou-tubeを開いたら、
『アメリカ横断ウルトラクイズ』の総集編
のようなものをやっていて、思わず引き込まれて
しまった。
これって、1976年が始まりだったんですね〜。
この時代はこの番組に国民みんながはまって
いたのでは・・・。
日本テレビの黄金時代だったのではと思います。
そして、you-tubeも進化を遂げ、この映像も
なんと40分もの長い時間の放送?でした。
で、ついでにパート2も観てしまって、朝の
貴重な?時間を2時間近くも消費してしまいました。

思い出しますね〜。こんな過酷なクイズなんて
とても無理だと思って、結局アメリカ旅行を
企て、自由の女神に会いに行ってしまいました。
あの時、1ドル147円くらいだったと思うけど。

そして、テレビなど見ない生活がこんなに楽しいとは。

でも、視聴する私が主役なのに、テレビと同じ感覚で
いつでも見られるという映像に朝の時間を費やして
しまったのは残念。
もっと、私主体でありたいデスね〜。
自分が本当に観たいものを選びたい。

朝イチでyou-tubeを開けるのは危険‼
面白いコンテンツがあり過ぎ。

2013年9月18日水曜日

自転車を買った!

miniの自転車を買いました。
少し前かがみになって走ります。
誰だっけ?あの(ジテジテ、ジテンシャに乗って)
って歌う人は?
考えてもカンガエテモ、あのなぎら健壱
と高田ワタルしか出て来ない。
このふたりマイナー過ぎて誰もわからない
と思う。
せめて、小坂一也の(サイクリング、サイクリング
ヤッホー、ヤッホーぐらいのマイナー止り
なら良いのにね。
私の時代も遠くなったな〜、なあ〜んて
思いながら、西荻窪のお豆腐屋さんまで、
ひとっ走り。
ここのお店は70過ぎと思われるご夫婦で
やっているのだけど、お店を閉めるXdayは
いつかと心配していました。
今日は40?代くらいの息子さんかな?
出て来て接客してくれましたよ。
わーい!まだまだ美味くて安心な
お豆腐に付き合えそうです。
良かったな〜。
で(ジテジテ、ジテンシャに乗って〜)は
若いもんに聞いたら、高田ワタルさんでした。
胸のモヤモヤが晴れました。

2013年9月14日土曜日

“空海の風景”下巻

司馬さんは雑密の世界が好きだった・・・というのは
意外な感じもするが、前からこの事はどういうことなのか
という疑問を持っていました。

『雑密というのは、インドの非アリアン民族の土俗的な
呪文から出たと思われるが、その異国の呪文を唱える
ことによって何らかの超自然的な力を得たいとい願うこの
島々の山林修行者が時に痛ましく、時に可愛らしく思われた。』
と司馬さんは言っています。

平たく言えば、安倍晴明などの出てくる"陰陽師"の世界
なのかと思いますが、例えば明日呪文によって雨を降らせる
とか、誰かの病気平癒を願って火を使い、護摩を炊き錫杖
のようなモノを振り回すようなものらしいんですね。
こういうようなシーンを映画の一コマとして観て、私は
かなりバカバカしいと思っていました。
妙な処で信じて仕舞えば大変な事になる・・・と近ずくのを
恐れていました。
しかし、私の実家には所謂祈祷師のような小父さんが時々出入り
していました。
この人は私の右手のペンだこのようなモノを蛇の抜け殻でこすって
治してしまった事があります。
その辺の細かい情景は覚えていませんが、確かにあのザクロのような
デキモノは治ってしまいました。

司馬さんは戦後の7〜8年間に仕事で京都の寺々を回ったそうで、
この時に日本思想史上、密教的なものを最も嫌っていたと
言っています。
純粋に非密教的な場を作り上げた親鸞のほうが好きになって
いて、好きなあまり、自分の中にある雑密好みを追い出そうと
しています。
しかし、皮肉にも現実に接触した僧たちとしては真言宗の、
つまり密教の僧のにおいの方がどの宗派の僧よりも人間として
切実に感じられるように思えてその人達と最も親しくなった
と言っています。

『空海の風景』というのは果たして小説なのか。
空海が生きていたその時代の日本、当時世界一だったという中国の
長安の都の風景、それに比べて日本という国の何と卑小な佇まいだったか。
とにかく、千年以上も前の人を小説にするのですから、大変だった
と書いています。
文章も"〜だったのではないか、〜と言ったと思われる、〜と感じた
に違いない。"という書き方がそこここに登場して、司馬さんの真摯な
態度が感じられます。

空海は日本一の天才だったと言います。
空海は日本文化の最も重要な部分を一人で創設したのではないか
と思われるほど様々な事をしたそうです。
日本思想史上の最初の著作とも言うべき『十住心論』を書きました。
政治的には密教教団を形成し、芸術的には密教に必要な絵画、彫刻、
建築から細々とした法具までの制作。
庶民階級の最初の学校『しゅ芸種智院』を京都に開設、詩や文章
を作るための法則を論じた『文鏡秘府論』まで書き、さらに、
『篆隷万象名義』という日本の最初の字書もつくりました。
このほか、讃岐の満濃池を修築し、あいまいではあるが、『いろは』
と『50音』を作ったとも言われている・・・らしい。

空海は孤独だったのではないか・・・と司馬さんは言います。
晩唐の文化は長安において爛熟していて、彼は自分の水準ーつまり
知的好奇心を含めてーに近い人々を仲間に持つ事に不自由
しなかったばかりか、向こうからかれの盛名を聞いて交わりを
求めて来る者も多かった。人生の悦楽の一つは自分と同じ知的水準
の人々と常時交わりを持ちうる事であるとすれば、帰国後の空海に
おけるこの面での寂しさはあるいは当然の事であったかもしれない。

空海は天皇にも倦き、京の田舎くさい貴族たちにも倦き、あるいは
南部の泥臭い長老たちを相手にしていたことにも倦いていたのでは
ないか。
空海の最初の弟子、実慧にも長安の都が恋しい位の事を言ったのでは
ないか・・・と筆者は考えます。
思えば、感情の量の多い人だっただけに狂おしい程のものがあったのでは
ないか、日本での空海は孤独であったろうと。

空海は承和2年(835年)3月丙寅(21日)に紀州高野山において生を
了えた。高野山の奥の院の廟所に黙念と座って居ると信じられている
など、諸説あるが、荼毘に付された、つまり火葬されたという記述が
ある。

今空海を思う時、司馬さんの、彼は孤独だったのではないか、の言葉が
哀しい。

2013年9月10日火曜日

いつものお店

深大寺に行くと必ず立ち寄るお店。
20年ほど前から多磨霊園に行って、
帰り道にわざわざ足を伸ばして?
ここに寄るのが楽しみです。
何軒か試して見て、やはりここかな
と落ち着きました。
それが蕎麦処"きよし"

深大寺蕎麦屋“きよし”

中之島の梨園の帰りに立ち寄った蕎麦屋"きよし"。
今日はここの親父さんが暇そうにお店の中で寛いで
いたのに、出くわしました。
いつもどんな人が中を仕切っているのかと顔が見て観たい
と思っていたのが、こんなにも簡単に、なんの惜しみなく
会えて仕舞うと、この感動?をどう隠したら良いのか・・・。

ちょっと動揺してしまいましたが、やっぱり、何か
曰く有り気な顔付きです。頭に白い手拭いを緩めに巻き、
口髭から顎にかけて白い髭が威厳ありそうに生えている。
小柄ですが、がっしりした感じ。
いつもながら、全く声は聴けません。男は黙って仕事と
いうのでしょうか。
そうですね〜、お歳は70代の真ん中位でしょうか。
でも、まだまだやるぞ!という気迫があります。
役者にこんな人がいたような気がしますが、名前が
わからない。
今日は天婦羅蕎麦。
この具材が凄い!
フキノトウ、アスパラ、レンコン、カボチャ、ニンジン、
エリンギ、インゲン、サツマイモ、たらの芽、海老2本と
盛り沢山。
このお品書きもこの小父さんのものなんですかね。
で、こんなに天麩羅を食べたらお蕎麦が食べ切れませんでした。

2013年9月8日日曜日

武蔵野美大の文化祭

吉祥寺からムーバスに乗って、"武蔵美"へ。
初めて訪れる美大ですが、文化祭というのも
久し振り。さぞかし賑やかな・・・と思った
のですが、閑散としていました。
時折の雨のせいかとも思いますが、静かですね〜。

展示物もあまり多くなく、生徒が少ないのだろう
かと高揚した気分も下降気味です。
油絵や陶芸の作品は少なく、生徒さんのデッサンの
習作が多かったのですが、流石にグラフィックデザイン
は凄い!
就職に直結という意味もあるのでしょうか、気合が
入っています。

ここは漫画"ハチミツとクローバー"の舞台になったところ
らしいですね。映画の実写版には主人公が好きになる
風来坊的な役に『伊勢谷友介』さんがでていました。
いささか芸能ニュース的になってしまいますが、この
伊勢谷さんがNHKの『白洲次郎』役をやってデビュー
した時、こんな美男子がいたのか、とおどろきました。

そして、最近では山本寛斎と兄弟らしいという事も
判明だそうですが、こういう美男子はどんな噂があろうと、
眺めていて楽しく、昔風に言えばブロマイドが欲しい
ところですが、今は、検索すればタチドコロニ会えますね。

な〜んて思いながら、吉祥寺に帰って来ました。

2013年8月30日金曜日

手打ち蕎麦“美郷”

正に田舎の蕎麦畑が広がる絶景の場所に
ある、知る人ぞ知る蕎麦屋さん"美郷"
もり蕎麦の上に野草の天麩羅がのってきます。
これはフキの葉だそうです。
他にもイタドリ、アマランサスなどの
珍しい野草が添えられていました。