Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2011年10月30日日曜日

今年も月下美人

本当は暑い時に咲く花だと思う
のですが、この陽気ですからね〜
もう一度咲きますよと、一つだけ
花芽が付いていました。
ココ2ー3日夜が寒かったので、
もう無理だと諦めていました。
でも昨晩、やっぱり咲いてしまった
んですね〜、一人でひっそりと。
今朝、チョットぐったり気味の
月下美人がいました。
美人薄命ですかね。

2011年10月29日土曜日

秋も深まってきましたね。

ハナミズキが紅葉したのも束の間
ちょっと風が強いとはらはらと葉を
落とします。
これから暫く落ち葉の掃除が日課に
なります。
これも楽しい仕事です。
庭仕事は誰かと一緒にすればピクニック、
一人ですれば哲学。
誰が言ったかは忘れましたが
いい言葉です。
せいぜい、庭をはきながら、自分を見つめ直して
みます。

2011年10月27日木曜日

アップルパイが焼けました。

ただいま、アップルパイが焼けました。
今週のケーキはこれです。
美味しいですよ〜。

2011年10月26日水曜日

何でも干してます。

今ベランダで干しているのは
大根、柿の皮、大根の葉。
大根は大量にもらった大根の行く末を考えて
今度は太めの割り干し大根を作ります。
柿の皮はぬか漬けのぬか床に、
大根の葉は相も変らず、
"干葉湯"にするため。
ひばゆはこれを煮出して腰を漬けると
婦人病に良いとか。

林檎を冷ましています。

林檎を冷ましている間に、
パイ生地を作ります。
今は小麦粉の値段が上がっています。
そして、バターが高い上に品薄。
そしてそして、無塩バターは手に入りません。困りますね〜。

林檎は少しお汁を残して、
コーンスターチでトロミをつけるのがみそです。

アップルティー

紅玉の皮が大量に出ました。
林檎を煮ている間にチョット休憩。
皮と少しの林檎と、今回は色の
美しい"アッサム"を使ってフルーツティーを淹れてマッタリ。
アッサムは煎じた色がルビー色で
その割には渋くなりません。
好きな茶葉です。

アップルパイ

これから、アップルパイを作ります。紅玉がようやく出てきたので嬉しい
のですが、まだまだお高いデスね〜。
今はアップルパイのシチュー作り。
後で、切ることを考えると林檎は細か
い方が良さそうですね。

2011年10月24日月曜日

司馬遼太郎が考えたこと5巻のレビューを書きました。

このエッセイは1970年から1972年に書かれた 
ものを纏めたものです。 
この年、大阪万国博覧会を初めとして、大きな事柄が 
相次いで起きています。 
特に衝撃的な三島由紀夫の割腹自殺は世間を、世界を 
驚かせました。そして、その為に司馬さんは思想と 
いうものは何かを言及して、あとに続くものを止めようと 
しました。 
よど号のっとり事件や浅間山荘事件、そして、札幌 
オリンピックなどがそれに続いた時代です。 
この巻でもあらゆる角度のエッセイを書いておられますが、 
私は何と言っても《わが空海》が圧巻だと思います。

後に司馬さんは《空海の風景》を書いておられます。 
私が司馬さんを読みたいと思ったまさにそのものが 
司馬さんによる仏教の考えかたでした。 
勿論、空海の風景の中にある“余談ながら”も面白い 
でしょうが、こういう書いている途中のこぼれ話は 
また格別のような気がします。 
空海と最澄は真言密教を学ぶために長安をめざしたのですが、 
その才能の違いは歴然としていたとか。

司馬さんに拠れば 
『空海は少年の頃から稀代の秀才であったらしい。 
らしいというより日本史上最大の秀才をあげよと言えば、 
やはり空海であろう。 
彼は大学在学中、音博士について語学をやったために、 
のち入唐するとき現地の教養人を驚かすほどの文章と 
会話の能力を、すでに身に付けていた。』

こういう文章を読んでいると日本人である事がなにか 
自慢に思えてきてしまうのは私だけでしょうか。 

過剰という名の病、過剰という不幸

クラター・コンサルタントのやましたひでこさん
この方、今『断捨離』を説いて有名な方ですが、
元々はヨガの先生だとか。

このヨガを学んだなかに
断業、捨行、離行
があります。
この心と物との関係を長い間考え続けた後に
今の『断捨離』の考え方ができたとか。
決して整理術やお片づけの本ではないんですね。

世の中は不景気で、自然災害も多いです。
不安をかきたてる現代です。
が、私たちは未だに飽食の時代を
生きています。
冷蔵庫にはたくさんの食品が溢れているし、
家の中には要らないものがいつも溢れている。

これはどういうことかというと
『足りない不安、うしなう畏れ』
に囲まれているからだそうです。

無くなると困るからたくさん買い込んでおく。
失いたくないからしまい込む。
結果、家の中は物があふれてくる。

動物は本能的に『断つ』ことを知っています。
お腹いっぱいの動物は食べ物に見向きもしません。
人間は意図的に『断つ』ことができます。

人の生理は不足に対しては我慢が出来ますが、
過剰に摂取して食べ物が身体に溜まると
悲鳴をあげます。
処理しきれない食べ物はからだの中で
悪さをするんです。

やましたさんは言います。
『癌』という字はやまいだれに品が山にある、
という意味です。これは家の中にたくさんの
物があり、これが悪さをする・・・。
つまり、片付かないイライラが募る。

癌という病気はたくさんのものを食べる飽食から
きた病。

私たちは足りなくても大丈夫という心構えが
必要なのではないでしょうか。
なくてもしばらくはないですませられる。
無ければ食べない。無ければしない。
しばらくはなくても大丈夫。
生活に本当に必要な物は何か。
もう一度考え直せば、自ずと何が必需品なのか
が分かります。
その上で片付けるべき物が見えてくる。

で、最近私もかなりのものを片付けました。
中でも多い着ない服。これを片付けたら、自分が
何を持っていて、何をいつも着ているのかが
はっきり分かりました。
タンスの中もすっきりして、いつでも好きな
服が取り出せます。
多くの服を持っている時より、今の整理されて
少ない服の方が、ほんの少しお洒落になれて
いるような気がします。

今まで、いざという時に取り出せなくて着られない
自分に対してのイライラも解消しました。

ものがないのは困るけど、過剰なのはもっと困りもの。

2011年10月21日金曜日

マクロビ教室

昨日の料理教室は品数一杯
本来は少食が基本ですが、そこはそれ
料理を少しでもたくさん覚えるという
趣旨ですから、たくさん教えて頂きました。

美味しかったのは茶碗蒸し風の
蒸し物。
ほんの少しの自然薯をすりおろしたのと
豆腐をミキサーにかけて、出汁と塩と
醤油をまぜたものを器にいれて蒸すと
茶碗蒸し風に成ります。
何しろ動物性たんぱく質を使わないで
作るので一工夫もふた工夫もします。
これは豆乳を飲んでいるようでとても
美味しかったデスね〜。

2011年10月14日金曜日

アゲハの幼虫

今年もアゲハの幼虫が孵化しようと
しています。
薄いピンクの横線が3本入って
いるから、さぞや美しいピンク系の
アゲハになるのではないかな!
しかし、いつも孵化する場面に
遭遇できませんねえ。

2011年10月13日木曜日

教養主義

私たち中高年が大学を出る頃は大学というものは
《象牙の塔》と言われて久しい時で、
大学はレジャーランドだとか、駅弁大学だとかの
言葉で揶揄され始めた時だったと思う。
この頃に大学を出た先輩達は、その専門分野
に就職するのではなく、全く専門外の分野に
就職して行く人もちらほら現れてきていた。

農芸化学を卒業して、船橋のヘルスセンターへ、
教育学部を卒業して某デパートへ、という進路で
私たちはへ〜と驚きもし、唖然ともしていた。

大学での知識は絶対なものと信じていたのに、
必要ではない時代になってしまった。

おりからの高度成長と好景気の時代。
社会に対する反抗を唱えて、西洋文学を読み、珈琲を
飲み、クラシックを聞いていた先輩たちが、妙に
貧乏くさくなって、格好わるくなって来ていた時代。

しかし、あれから数星霜、今、私は知識を得たいと
必死になっている。
今や、私の中の《新、教養主義》は進歩の思想だと思う。
社会はよくなっていくんだ、それを個人に引きつければ
自分がより良くなって行くんだという成長物語を信じて
いこうと。

自分は何ものか、自分はどう生きれば素敵なのか、
かっこいいのか。

こういう時、自分を見つめる一つとして、長文の、難解な
いい文学作品を読むというのはどれほど、自分を鍛えるか
あまり期待はできないけど、少しは変われるんじゃないか

今の若者に苦言を呈すれば、ネットで、細切れの情報を得て
分かったつもりになっているのは、いささか違うのではないか
と思う。
忍耐のいる作業かもしれないけど、美しい日本文学に帰って来て
ほしいと思う。


2011年10月10日月曜日

『李欧』

高村薫さんの本を久しぶりに読みたくなって、
ブックオフでみつけました。
家に帰って開けば、すぐに読みたい。
雑事を片付けて、読み始めればやっぱり
引き込まれます。
この人の文章は工場が舞台になる事が多く、
男の人の文章か?と思うほど機械に詳しい
記述が延々と続いたりします。
別の本『照柿』では旋盤を使った微細な
過程を長々と読まされて嫌気がさした
こともありますが、文章の切れの良さは
こういう辛さを差し引いても余りある
面白さです。

この物語の一方の主人公である李欧は魅力の
ある人物に描かれています。
もう一方の主人公吉田一彰はこの李欧に
男の魅力を感じます。
同性愛のような輝きをもって描かれて
います。男がオトコに恋をする
李欧は一彰に言います。
『惚れたっていえよ!』

この二人は
お互いに22歳の頃に同じ工場の宿舎で
すれ違いながら、ほんのひととき暮らします。
拳銃、麻薬、人殺し、テロ、マネーロンダリング
など、危ない稼業を余儀なくするはめに
陥り、警察にいつも見張られるという生活を
するのですが、この作家には珍しく
明るい、明るい未来の生活が描かれて、
ほお〜っと心が浮き立ちました。

私もこんな風に人性が終わったらいいな
と思ってしまいました。

この話の真ん中に一本の桜が基軸に
あって、全てのお話や登場人物に
この桜が濃厚に影響しています。
桜は日本人にとっては欠かせない木であり、
生活の節目ふしめに色を添える木ですが、
李欧にとっても、大切な木になっています。

『黒竜江省に土地を用意した。・・・
ハルピンとチチハルの間の何もない
草原と砂漠だ。
河岸の湿地に桜の苗木を千本植えた。
来年も、再来年も植えよう。』

私もこの李欧に会いたい。
この作家が描く人物には魅了されます。

ナスのあぶら味噌

なんて事はない秋の定番料理です。
ナスの味噌炒め。
茄子って本当に油に良く馴染みます。
そして、味噌にも。
ただし、良く馴染むまで油で
炒めると油を相当使わなくては
いけないので、ゴマ油で軽く炒めたら、
お出汁を入れて蓋をして軽く煮ます。
それから、分量の味噌と、みりんと
醤油を入れてショウガのおろしを
タップリ入れて和えれば出来上がり。

器に盛ってから、白胡麻をふりかけます。
美味しいですよ。

2011年10月6日木曜日

血糖値その2

前回の続きですが。
ある60代の夫婦に実験してもらいます。
毎日血糖値を測ってもらいます。
ご夫婦ともスポーツを楽しまれる2人。

食事も、スポーツも適度にしているお二人。
しかし、毎日血糖値が上がり続けます。

実はこのお二人に4時間以上寝てはいけない
と指示していました。

寝てはいけないというストレスと
睡眠不足により、血糖値が上がり続けた
のだそうです。

睡眠は多過ぎてもいけないし、少な過ぎても
血糖値を左右してしまうということでしょうか。

新しい糖尿病の治療

昨晩NHKの《試してガッテン!》で
糖尿病は治る!という事を実験や
最新の画像で説明していました。
素晴らしいですね。

そのメカニズムはこうです。

膵臓の中にあるベーター細胞はインシュリン
を造り出す細胞ですが、これが大量の
血糖を処理しきれない時、このベーター
細胞は死んでしまう・・・と考えられて
いました。
しかし、このベーター細胞は休んでいる
だけで、復活ができるそうです。
中には死んでしまった細胞もありますが、
復活する。
それも、インシュリンを送り込むことで
復活する。
糖尿病の治療ではインシュリン注射を
するのはかなり進んでしまって、飲み薬では
間に合わないという末期の病人に限られて
いるというのが常識でしたが、違うのですね。

早めにインシュリン注射をすることで、
ベーター細胞が復活する。
ある患者さんは食事の度にインシュリンを
お腹に注射して、3週間めには血糖値が
下がり、退院。
それから、一日一回のインシュリンの注射に
通い、3ヶ月ほどで完治。
今まで糖尿病は治らないとされていたこの
病気も今や治るのです。

ゲストに假屋崎省吾さんが出ていました。
このかたのドキュメンタリーを観た事が
あります。一日凄い勢いで仕事をこなして
いた頃、朝はホテルのバイキング、昼は
レストランでバイキング並み、夜は夜で
猛烈に食べて、夜食も沢山食べていました。
この時、ただ、美食家とか、太っている
というのではなく、仕事をこなしたい
という切実な希望からだったとおっしゃって
います。
500近い血糖値で、即入院を宣告されますが、
自分で食事療法を考え薬を飲みながら、独特の
ダイエットを開始します。

假屋崎さんは順天堂の先生に言います。
これが分かっていたら8年間も苦労しなくて
すんだのに・・・と。
実はこの事は30年も前からわかっていた。
しかし、インシュリン注射による注射の一般の
抵抗感もあり、なかなかできなかったそうです。
もう一つ、一番大きい事は日本人の技術力です。

町工場の岡田さんという方が、世界で一番
細い注射針を造り出しました。
細いと言う事は痛くない。
しかし、注射液が流れる太さもある。
皮膚を通ることが出来る強さも必要。

そして、この注射針による治療が可能に
なった。
日本人はやっぱり、凄いのですね。