Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2010年11月24日水曜日

『塩』

で、塩のお話しです。
『塩』とは『食塩』のことと誰でも思っています。
そして、塩とは『塩化ナトリウム』だと考えています。
でも、日本において塩(自然海塩)は海水をまるごと
凝縮して作るものでした。
その塩には主成分の塩化ナトリウムの他に(にがり)
の成分である塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、
塩化カリウム、硫酸カルシウムなどの(少量成分)
がふくまれています。
この微量成分が大切なミネラル分なのに、『イオン交換膜法』
によって排除してしまったのです。

さて、前回の青木先生は減塩食にしても一向に高血圧
の患者の血圧が下がらないことを踏まえさらに実験を続けて
塩分をとっても血圧が上がらないヒトが圧倒的に多いと
いうことがわかりました。
その後、1988年食塩摂取量と血圧の関係を明らかにした
国際的な調査『インターソルト・スタディ』では32カ国の
52のセンターで、約一万人を対象に、調べました。

未開センターの4センターを除いて、48のセンターで食塩摂取量
と高血圧の関係は何もなかったそうです。

今危惧されるのは食塩を減らす必要のない人までもが『塩ぬき』
になっていることです。
塩は元気の元です。余分な塩は体内にとどまるコトなく汗や
尿になって体外に排出されるのです。
日本は欧米に比べ、高温多湿です。
欧米は日本に比べ乾燥しています。
そして、日本人は古来植物である野菜を食べてきました。
欧米の人は野菜があまり取れない土地のため、昔から
肉を食べてきました。
動物性の食材は、植物性に比べて、圧倒的に塩の主成分で
ある『ナトリウム』が多く含まれています。
野菜は塩を含んでいません。
日本人は塩を摂る必要があるのです。

で、高血圧症の本当の原因は何かというと、
摂取した塩分に見合う水をとって、尿として排泄する
だけの力が腎臓にあれば問題はないことからも、腎臓の働きが
弱いヒトに起こるのです。
そして、今の塩化ナトリウムだけの『ナトリウム単独過剰摂取』
が問題なのです。
ヒトの体は絶妙のミネラルバランスによって調子を整えています。
単純に言ってしまえばカリウムとナトリウムのバランスです。
カリウムは果物などにたくさん含まれていますが、この果物や
甘いものの過剰摂取は体液のミネラルバランスを乱します。
ナトリウム単独の過剰摂取もバランスを乱すのです。

自然海塩はナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウム
などの『4大ミネラル』を含んでおり、体のバランスをとって
くれます。
要するにこの微量成分のバランスと言えます。
塩が足りないと言っても極端にたくさん食べる人は
いないでしょうし、実際出来ないのです。
それよりは塩の摂取が少ないヒトの場合が問題です。
それも、減らす必要のない人の場合ですね。
で、つづきますw。

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2010年11月23日火曜日

日本人には塩が足りない

昭和46年(1971年)4月に『塩業近代化臨時措置法』
が成立しました。
この年のうちに全ての塩田が廃止され『イオン交換式』
という科学工業的な製塩法に切り替わって
しまったのです。
その理由は塩専売制度廃止にむけ、生産コストを
低減し、輸入塩に対して価格競争力をつけるため
ということでした。

ここにもまた、国の為というお化けが国民を無視して、
そして、国民の健康など一つも考えない変な制度が
闊歩し始めます。

厚生労働省は2000年に開始した健康づくり運動
『健康日本21』で、日本人は塩を取りすぎている
から減らしなさい、1日10グラム以下にしなさい
と指導しています。
今私たちの常識では
"塩は体に悪い"と考えています。
何故かといえば、だれも同じように高血圧になる
からと答えます。
何故、塩が高血圧の原因だとされたのか。
これは1953年、アメリカのメーネリーが行った
ネズミを使った実験によります。
ネズミに6ヶ月間、通常の20倍に当たる20〜30g
もの食塩を与え、さらに飲み水にも1パーセントの
食塩を飲ませました。
この結果、10匹のうち、4匹が高血圧になったそうです。
これが『塩が高血圧の犯人説』のキッカケです。
その後、1960年アメリカの高血圧学者のダールが発表
した論文では日本の東北地方と南日本を対象に、食塩
の摂取量と高血圧の発生率を調べました。

その結果、東北地方は一日平均27gで、一日平均
14gの南日本より多く摂取していることがわかりました。
しかし、寒い地方は寒い環境では血圧を上げて
血液循環をよくして、寒さに打ち勝とうとするのです。
また、この調査では同じように塩をとっていても
高血圧のヒトが多い所と少ない所があったことが
見逃されていました。
その後、メーネリーの実験を引き継いだ名古屋
市立大学教授の青木久三先生はもっと細かい
グループに別けて実験して、
『ネズミの死亡原因は高血圧ではなく、食塩の
排泄ができなかったために体液のバランスが
悪化したことだ』としています。
この功績により、米国心臓学界より、高血圧の
最高の賞と言われるチバ賞を受賞しました。
このことから分かったことは
『遺伝性の高血圧のネズミには食塩の摂取と血圧
には関係がないこと。』
『かなりの高塩分食でも水を十分に飲み、尿を排泄
できる能力があれば、血圧は上昇しないこと』
でした。
で、長くなるから次回にね。

2010年11月19日金曜日

軽井沢

軽井沢に行ってきました。
朝、まだ白々している時間に出発して、
約2時間。
高速を降りて碓氷峠を走るあたりから
雪が降りはじめて、この冬初めての雪。
寒いけど、サラサラ降る雪に非日常の
感動。
早起きしてきてよかった。

まだどこも開いてないので、プリンスホテル
ウエストの《桃李》で朝食。
残念ながら、ちょっとお粗末でした。

でも、2200円の元を取ろうとするものでは
ありませんねえ、ちょっと、胃に負担を
かけたかも。

その後ショッピング.モールへ。

その途中の散歩道に
この美しい絨毯の上に敷き詰められた
紅葉などの色とりどりの葉っぱたち。
自然というのは最高のアーティストですね。
マネのできない配合で落ち葉を敷き詰めます。

この上にどんどん降り積もる雪
絶景でした。
こういう悪天候は意外にも素晴らしい素顔を
見せてくれる。
寒さもものともせず、魅入ってしまいました。
モールでの買い物より数倍嬉しい。
自然は、時々意地悪のように顔色を変えるけど、
よくよく見れば、一瞬の間に至福の光景を
見せてくれる。

これを糧に師走もがんばろ!

2010年11月12日金曜日

水遣り

花を買って植木鉢に入れて、所定の場所に置いて
飾る。
庭がその花で華やかになり一時の慰めになるかに
思える。

だけど、このあとが忌々しい。
夏の間は、朝、晩の水やりを欠かすと、とたんに
容色が衰え、色が失われる花がある。

こういうのは大体決まって高いものだ。
お金と慰めとを天秤にかければ、確かに
無駄な!と思われる。

我が家はまず、ベランダの入り口、
そして、ベランダの先にある庭、
隣との間にある、狭いけど、長い空間、
我が家の表玄関、
そして、裏の家のこれまた狭い長い空間、
などなど、それぞれに陽の当たりと風の
吹き抜ける条件が違うところが様々に
違う草木を必要としている。

これらを存分に生かすにはどうすればいいのか。
何もしなければ、どんどん荒れていくこの庭は
私に安住することを許さない。

木はひたすら大きくなって、暴走する。
電動バリカンの大物のようなものを買ってきたり、
数々の新手のハサミでゴキゴキ、チョキチョキ、
ちょんちょんとやっつけて、
食い止めてきた。

小さい花への執着というのはないけど、
毎年、この時期にいつも花持ちがよく、
雪にうもれても健気に咲く
パンジーを買ってきてしまってから
はたと考え込んだ。

また、水遣りに翻弄される。

私は本当は小さい花のチマチマしたのが好きではない。

どちらかと言えば草木というような地植えの庭木の
世話がしたい。

家の前に飾る小さな花々もいいけど、
枯れては、また買って来て鉢植えにする・・・というのが
つらい。
それも花々がたまたま一年草ということもあるけど、
私がついつい忙しくて枯らしてしまったものがほとんど。

水やりは相変わらず忌々しいのだ。

暑くもなく、寒くもないこの時期、
夏のころほど、忙しくはないけど、
案外気を抜いていると枯らす事もある。

前はいつ遣ったかしらん・・・なんて思っているうちに
萎びている。

で、相変わらず枯らしている。

今度は草木の類いの少し大きな買い物をして、
地植えの庭木に挑戦してみようかと思っている。

今年の猛暑であちこちの家の生け垣が枯れてしまっている。

地植えだから、とか、庭木だからとか、
鉢植えほどは
“のどが乾いたよ〜”とは言わないだろうけど、
やはり枯れるんですねえ。

毎日通る散歩道にかなり枯れた木を発見して
今年の猛暑を思い出している。
そして、私がどんなに水遣りに時間を使ったかを。

“安曇野の白い庭”の著者の丸山健二さんは
《水やりは単調で退屈だが、植物をじっくり
観察できる。》と書いています。

そう、私は植物が好きだと言いながら、
植物に話しかけることがない。

いつも水遣りは面倒と言っていた私は本当に
庭の仕事が好きなのか考えてみる。

庭仕事は
息抜き、慰み、やすらぎ、唯一の労働と言えるもの。
やはり、庭がある限り頑張ろうと思う。

そして、水やりは相変わらず忌々しいもののままだろうか?


2010年11月7日日曜日

《土を喰らう日々》

水上勉さんの《土を喰らう日々》を読みました。

ところがなんと、この最後の解説のところに
丸元淑生さんが書いておられてびっくりしました。

そして、食という行為を自らの人生を踏まえて考えてきた
人だからこそ言える滋味あるエッセイは今の私にとって、
頭をガツンとなぐられるほどの感動をもたらしました。

水上さんは9歳の時に禅寺に預けられ、
その時から精進料理を覚えます。
そこの老師は承弁(水上さんの小僧時代の名前)に
『何もない台所から絞りだすことが精進や』と教え
予期せぬお客の到来時にも
『承弁や。また、お客さんが来はった。こんな寒い
日は、畑に相談してもみんな寝てるやもしれんが、
2、3種類考えてみてくれ』と言いつけたそうです。

水上さんは《典座教訓》という料理の本を書いた
道元さんをよく引き合いにだしておられますが、
これをまた、
丸元さんが引き合いにだして書いています。
《道元さんというのはユニークな人だと思う。
・・・・・
一日に3回あるいは2回はどうしても喰わねばならぬ
厄介なぼくらのこの行事、
つまり喰うことについての調理の時間は、
じつはその人の全生活がかかっている
一大事だと言われている気がするのである。》

ここにも食が大事であって、
《あなたはあなたが食べたものである》
ということが語られている。

丸元さんがこの本、この人の生き方に好感をもつのは
なによりもその料理の工夫が慰みやあそびではなく、ひとつの
「大事」としてなされているところ、だと言っています。

この一大事をコンビニなどで済ませることはやはり
寂しいかもしれませんね。

2010年11月6日土曜日

ほっつき歩く

曽野綾子さんの素晴らしいお話しをききました。
先日、podcastでその経験するところを聞いていましたら、
読書の薦めは勿論ですが、やはり、実際のところを
眺める・・・という視線は必要だと力説しておられました。

どなたもご存知だけれど、
日本船舶振興会のお仕事をしておられた経験から、
世界各地の貧困地域に行かれて
学校や病院や電気、水道の施設の普及などに尽力なさった
わけだけれど、その中で
世界はほとんどの、多くの貧国からなっていることと
『貧乏の定義は"今晩食べるものがない"』ということだけだと
おっしゃっておられます。

従って、今の日本には"貧乏人"はいない!
と喝破しておられます。

最近の著書では
《弱者が強者を駆逐する》というのをお書きになったそうです。
まだ、読んではいないのですが、言わんとする所はなんとなく
わかりますね。

今の日本の状況を嘆いておられる訳ですが、この方は猛女ですから、
嘆くというよりは"喝!"という感じ。
怒るけど、それについては悩まない姿勢が冷たく感じる方もいて、
それが嫌いという方もいるけど、私はこう言う姿勢が好きですね。

"自業自得"というのがこの方の基本的なお考えなようで、
好きな様になさい!
ですね。
そこには深い悩みを越えての上の姿勢なのではとも思います。

で、読書の薦めの他に観念的になるのを戒めて
"ほっつき歩き"の薦めもなさっています。

曽野さんはこのほっつき歩きを世界230何か国(?)のうち
200くらいの国を訪問して、経験しています。
それもほとんどがアフリカを訪れています。
そこで観てきたことを日本人に発信しているわけですね。

先日久しぶりにタクシーに乗る機会がありました。
そのタクシーの運転手さんはおしゃべりが大好き。
わずか1時間くらいの間に
ご自分の介護の経験と
それが終わった今、
近所の介護タクシーをやってあげようと思っている
という抱負と
今の預金高と収入が如何にあるかを話し、
そして、だから、みんなの為に働きたい
ということまで
つぶさに語ってくれて、
タクシーを降りた時には
すっかりくたびれ果てた。

けど、今の中高年は年金という有り難い制度の中で
ぬくぬくしているのは事実で、私などはほんとうに
ありがたや、ありがたや・・・なんだけど、そういう
ぬるま湯がなんとなく居心地が悪いと感じている。

勿論、それぞれが一生懸命働いて、自分で積んだお金に
色をつけてもらっているわけだから、
堂々と楽しめばいいのだけど、
このたかが運転手と言ってはなんだけど、
良い心がけには完敗、で、乾杯!










2010年11月5日金曜日

i-kuyou《アイ供養》

ヨドキチに久しぶりに行く。
照明器具とカメラのニューモデルを観に。

駐車場に入ろうとしたら、角の大手の
ファミリー・レストランが《仏壇屋》に変わってた。

『こっちの(仏壇)の需要が多いってことねえ。』
で、車がヨドキチの駐車場に吸い込まれるうちに
ひらめいたんだ。

『私さあ、仏壇に入れなくていいから。
で、お葬式もいらない。
あの有名な人だって、
『葬式無用、仏壇無用』って言って死んだんだし。』

『だったら、“バーチャル・仏壇”なんて、いいかも』
『あっ、それいいかも』
『アイ仏壇とか、アイ供養とかで落とせるようにしたらどうかな』
『そうそう、そしたら、遺影なんかも入れられるようにして、
お線香も、それから、あのチ〜ンとかやんのも出来るようにして、』

『お水を取り替えたり、お花を入れ直したり。』
『あとさ、アイお経とかも作ったり』

『いいねえ、宗派によって替えて、
浄土真宗とか、日蓮宗とか、曹洞宗とかみんな違う
宗派が選べるってやつ。
でさ、お坊さんの声の質や年齢や選べるのもいいね。』
『イケメンのお坊さんも用意して、』

『これっていくらぐらいで落とすと思う?』

こういう金勘定にうとい私、密かに千円かな・・・と思っていたら、
うちの若いもんが
『450円くらいかな?』
『いや〜どうだろう?マジに考えて105円がいいとこじゃない?』

ははは・・・こういう儲け話しは夢があっていいねえ。
だれかこの儲け話しにのる人いないかなあああああ。




デミョ・コサン・カラ・モソ

水上勉さんの『土を喰らう日々』という本の中に
タケノコについての章があります。

食べるには孟宗竹がおいしい。
そして、大久保恒次さんの『うまいもの歳時記』には
タケノコについての蘊蓄があると紹介しています。

でも、それに拠れば、タケノコの味は
《デミョ・コサン・カラ・モソ》の順においしいと
書いてあるのを不服として、食べるのは孟宗竹が
美味しいのにと、不満を述べているんですね。

で、デミョは大名竹
コサンはほていちく
カラははちく
モソは孟宗竹
のことらしいのですが、初めて聞きますねえ。

水上さんは小さい時、
貧乏な大工の息子として育ったそうですが、
隣の家のタケノコの林を羨ましく思いながら眺めたとか、
9歳の時に預けられたお寺にはタケノコの雑木林があって、
いつもそこにタケノコを掘りに行かされ、
タケノコ料理を作らされた話を情感豊かに語っておられます。

その想い出が大きいからか、
東京の自宅にも竹を植え、
仕事場の軽井沢にも植えて、自分で料理をし、
季節ごとに味わっていたそうです。

我が家にもかつて、孟宗竹の林がありました。
《雨後のタケノコ》というように強くて成長の早いこの方は
ときおり困り者にもなります。

ある時
床の間のタタミの床が変。
『ちゃんと、納まってないんじゃないの』
と持ち上がっている処を足でドン。
戻ってみれば又傾いている。
我が家の床の間の床は
どういう訳かタタミ一畳の広さもある。
そして、実際タタミで出来ている。
で、おかしいってことで、持ち上げたら
すぐ下は床下がのぞめる・・・
という作りになっていて、
はたして、この縁の下の力持ちはタケノコでした。
《良寛さんじゃあるまいし・・・》と
言われそうだけど、
これ、本当のはなし。
で、情け容赦もなく、切りましたけど・・・

あの頃少し大きくなり過ぎのタケノコを掘っては
タケノコご飯にしたり、
ワカメとの炊き合わせにしたり、
木の芽和えに(今でも山椒の木の芽が出ていると
大切に掘って一ヶ所に集めて植え直しています。)
したり、
そうそう、タケノコの千切りの卵とじとか、
そして、青椒肉絲ですね。

あの頃はタケノコなどは買うものだとは思いませんでした。
それに梅の木も紅梅、白梅、小梅(名前はしりませんけど、
小さい梅がなりました。)などがあり、
獲れるときは25kgも実って、
梅干し作りや、梅酒作りにおおわらわでした。

だから、梅も買うものだとは思いませんでした。
最近では義理の母が
《おにぎりなんて買うものだなんて思わなかった。》
と盛んにぼやいていました。
で、ばばあになった私は
《水なんて、買う物なの!》
とボヤイておりまする。