Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2015年8月27日木曜日

ヒトは毎日サイコロを振っている

向田邦子さんのエッセイにこんなフレーズがあったような。

女は日々、買い物に行く度にこれがいいか、あっちがいいか

品定めをして、毎日小さな賭けをしている。


あっちのほうが良かったのではないか・・・などと思うことなど

は日常で、いつも後悔ばかり。


夏物の洋服を買いに行く。

風が入って、生地が涼しくて、着やすくて、しかも、オバさん

ポクないシャツを買いたい。

ところが、行って観ているうちに花柄の綺麗な色のブラウスに

眼が惹付けられ、似合わないのに、買ってしまう。

パーティーとか、お呼ばれの時にでも・・・なんて言い訳を考える

のだけど、まあそんな機会はあまりない。

チェック柄のサラサラとした生地のシンプルなシャツがあったのに。

今回も賭けに失敗しているかも。


さて、ヒトの人生や生き死にに関係する選択の場合は後悔ごとき

では間に合わない。

シーナ・アイエンガーさんの《選択の科学》ではヒトの選択の時の

心理や傾向について探求をしていて、『そうそう、そうだよねえ』

という結果から、『エ~、そうなの!』という結果まで様々で面白い。


最近では、我々中高年は病気の治療や医者とどう付き合うかという

場面で大きな選択をしなくてはいけない。

自分たちもそうだけど、親の分も背負っている。

癌治療では医学がかなり進歩した。けれども最近の死生観のありかたも

変わって来ていて一概に同じ選択ではないようだ。

肝臓がんを患った友達は抗癌剤と闘うといって始めたけれど、どうやら

がん細胞の方が強かったらしく、あっと言う間に彼岸の彼方へ行って

しまった。

闘う医療もあれば、そういう病気とゆっくり付き合うという方法もある。

一昨年の夏、癌と闘い、見事回復した4人のヒトの話を聞きに行って、感銘を

受けた。

勿論治る癌と一つしかない臓器だから治らない癌といろいろある。

そのヒトに備わった、病気と向き合う時の力量なども関係するのでしょう

けど、ここには大きな選択をしなければならない場面がいくつかある

と思う。まさに賭け。


私たち中高年は親の介護が終わったか、正に真最中か、そろそろ・・・

というヒトたちがいる。

あの時、車椅子を使った方が良かったのか、いや使わないで自力で

頑張らせれば、もう少し元気でいられたのではないか・・・などから

始まってどこの医療機関に任せればいいのか、ありとあらゆる事で

選択を迫られる。その選択の際にはそれを選ぶという様々な前知識

が必要になる。

さて、医者はその最後の決断の場合、患者本人に任せるかどうかは

多いに悩むところだそうだ。私たちの今の文化では、選択の概念が

尊厳と主体性の美徳ときわめて密接に結びついている。

そのためだれからも、たとえそれが退行性脳疾患に苦しむヒトであって

も、選択の権利を剥奪すべきでないという強い意識が働いて、肉体的

健康への配慮さえ、どこかに押しやってしまうことがある。


けれど、いつでもヒトは自分で決めたいかというとそうでもないことが

ある。

苦境に立たされた時、自分が正しい方向に進んでいると太鼓判を

押してくれるヒトがいれば、たとえ現実の結果が変わらなくても、苦しみ

は大いに軽くなる。ヒトはそんなに強くないのですね。


アイエンガーさんは言います。

『私の同僚の女性はまるで天啓にうたれたようにあることに気がついて

から、肩の荷がおりたような気がしたと話しています。

《治療をどうするか何年も悩んでいたある日、突然はっと気がついたの。

母は私が何をやってもやらなくても、いつかは亡くなるってことに。

残酷に聞こえるかもしれないけど、自分が母を治せないこと、母に自主性

を戻してあげられない事を理解することは大切だった。そのお陰で一緒に

暮らした最後の数年間は質の高い生活を二人で送ることだけを考えること

ができた。》』


私は思います。完璧じゃなくてもいいじゃないかと。

みんな、そうなるために頑張りすぎてはいないか。


買い物に失敗しても、まっ、いいかですねえ。

で、今日もルミネで素敵なバッグを買うかどうか迷っている。


2015年8月13日木曜日

塀塗り、やっと完成。

この暑いのに、何を好んでなのか、突然、塀の汚さが
我慢ならなくなりました。
そして、思い切って塀のペンキ塗りを初めてしまいました。
というのも、白いペンキをかなり前から買ってあったので
使ってしまわなければ・・・というのもあったのですが。

いやはや綺麗になるもんですねえ・・・誰も褒めてくれ
ないので、自分で自分を褒めてあげるという、最近の流行の
言葉を自分に浴びせて満足しています。

この前を通るたびにウフフと言ってしまいます。
思えば、この2週間、朝5時に起きて一時間ほどペンキ塗りを
します。それから、シャワーを浴びて、朝ご飯を食べれば、
もう、その日一日使い物にならない・・・。
あっ、でも3〜4日でこのパターンに身体がなれましたけど。
少しづつ綺麗になるのに気を良くして、この充実感は半端ない。
この夏はこの一事で◎かなあ。
さて、これから美味いものでも食べに行きます。
なんか、これを書いているうちにそんな気分になってきた。
昨日、中華街で散々美味いものを食べてきたにも拘わらず。

大人のいない国、日本

2020年のオリンピックの為の国立競技場を巡って、信じられない程の

関係者の無責任ぶりには国民のみんなが呆れてしまったと思う。

特に下村文科相は『だって、僕は大臣だから、みんな言う通りにやって

くれないの?』とでも言いそうな幼い顔つきで、何故5百億円以上もかかる

のかを自分でも十分に説明を受けないまま(のように見えるけど・・・)

とにかくかかるから、出してね・・・と言っているように思える。

で、こんな感じで、この世界を渡ってきたように思える・・・まさかねえ~。


偉くなる、役付になるというのはその実績を買われて、このヒトならやって

くれるだろう、とか、やれる力量を認めた・・・という経緯で抜擢される

のかと思うけど、どうやらそんな単純なものでもなさそうですね。


一流料亭がもったいないからと、料理の付け合わせを使い回しをしたり、

利潤を上げる為に得体のしれないものを混入させる某食品メーカーや

今回の東芝の3代社長の辞任問題など、どう見ても社長の器ではないのでは

と思えるヒトがトップに上って社長を務めている。

多分、トップに上り詰める能力があったんでしょう、どういう能力か知らないけれど。

不祥事が起きる度に嫌々ながらも、渋々表舞台に引っ張りだされ、謝罪を求められた

このトップ達も、それでこの難事を渡りきれるのかと観る者を不安にさせる程に

謝罪の仕方や態度に尊大な態度が見られて、違和感を覚えたヒトは少なくないのでは。

他の一般の人たちを足蹴にでも仕兼ねないような奢りがみられるのはなぜなんだろう・・・

と映像を観る人たちに疑念を抱かせる。

この人たちも最初はそんな考え方、そんな人柄ではなかったのかもしれないけれど、

その社長というトップの座を得て、業績を上げることに躍起になっているうちに初心を

忘れてしまったのかもしれない・・・と世間の見方は優しい。


でも、こういうヒトの生き様は今の若いヒト達から観れば、《こんな大人になりたい》という

成熟した人間のモデルには当てはまらない。


日本が明治維新を過ぎるころにはこんな凄いヒトがいた・・・というモデルがいっぱい

いた筈。

内田さんは言います。

『官僚や政治家やメディアに出てくるヒトたちがこれほど幼稚なのに、致命的な破綻もなく

動いている日本社会というのは、改めてみると、きわめて練れたシステムになっているな

といつも感心する。』と皮肉な言い方をしています。

『幼稚な人が幼稚なままでちゃんと生きている。』

『欧米にもアジアにも、そんな社会はない。

外側だけが中高年で、中身が子どものままというようなヒトたちが権力を持ったり、

情報を集中管理していたら、ふつうは潰れる。何故日本社会は子どもたちが統治しているのに

つぶれないでいるのか・・・そのほうがずっと不思議だ。』


本当にそう思いますね。

で、前々から、考えていたことなんだけど、政治家がダメでも、優秀な官僚が

いるから大丈夫なのよ・・・という次の論拠にも賛成したくない。

勿論、優秀で人望のある官僚が日本には多いのでしょう、例えば佐々淳行さんのようなヒトが

いる。でも、ああいう爽やかな、涼やかな官僚って稀ですね。

ヒトは顔付きにその中身が出るというのは本当だと思うし・・・。

そして、そういう優秀な官僚をこきつかう政治家が時々目に余る暴言や失言や誤った

舵取りをして、国民を路頭に迷わせるんですね。世の中は余りかわらないのかな。

残念ながら。


2015年8月9日日曜日

地方の醸造元のがんばり

先日KAI日本語スクールの夏のパーティーに参加してきました。

ヨーロッパ系の学生が多く、中国、韓国系の学生が少ない希有な

日本語学校ですね。

そして、最近は学生が多くなって、大盛況だとか。

国の施策も一枚かんでいるようにも思えますが。


さて、ここに東北のいち醸造元の宣伝マンがやってきて、自社の

お酒を勧めていました。頑張りますねえ。

このメーカーさんはこの大久保通りにこのお酒の販売店を開いて

います。ここで、じぶんの好きな写真をラベルにして酒瓶に貼って

あげるというサービスをやっているとか。


先日はあのパイレーツ・カリビアンに出ていた、オーランド・ブルーム

さんがやって来て、ラベルを作ってご満悦だったとか。

『王蘭努』という漢字をあてて作っていたようですね。


この宣伝マンに筑波の香取神社のそばにある

あの有名な《寺田屋総本家》の話をしてみました。

知らないようでした。

自分のお酒をみんなに広めたいという意欲がラベル作りに集中していて、

寺田屋さんというお酒本来の味わいを大事にして、頑張り抜いたヒトの

話に興味も示さないこのヒト。

いづれ本来のお酒作りに向いていくのかなあ。