Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2011年4月28日木曜日

近頃思う事

近頃メディアはだめだというけれど、
毎日やってくる産経新聞は時々、
やすらぎを与えてくれてはいる。

ネットを調べればすぐに情報は
つかめるけど、
いちいち自分で積極的に調べなければ
分からないことを、教えてくれる。
《今日何気なく開いてみたら》
あ、天皇ご夫妻の事が出ている!とか、
あ、櫻井よしこさんの講演会の記事が
でている!とかで、
思わず身を乗り出して
読んでみている自分がいる。


メディアはとかく都合のいいこと、
予定調和しか書かない・・・と思う
けど、時々はいいことも言っている
んじゃないかと考えることに
しようと思う。

今朝は天皇ご夫妻の被災地行脚の御様子
を読んで、ありがたいことだと感謝しつつ
読んでいて、いつのまにか涙だった。

そして、こんな状態なのに今の政権は
なにもしてないじゃないかと怒りが
ふつふつと起こってくる中、
櫻井さんの講演会の記事を読んで
『すさまじい被害の中でも、日本人は
かくも雄々しかった。・・・管さんは
一命をなげうってでもやるといった。
が、人間は自分の実像を観る眼を
もっていないとピエロになってしまう。
じぶんがどこまでの器かをみることが
大切だ。
だが、その任にあらずというのが、
世間の見方だ。』
私もそうだそうだと、溜飲をさげた
わけだけど、何気なく読むという
のもいいことですね。
でも、多分それは私の眼がそれに
向いていたという運命論的予定調和
なのかもしれませんけど。

2011年4月26日火曜日

即興しじん

この《即興詩人》はアンデルセン原作の

小説ですが、森鴎外が小倉にいる時に

9年の歳月を費やして日本語に翻訳した

ものです。

これは時代的には文語体で書かれている

のですが、安野光雅さんがもっと若い人

にも読んでもらいたいと今回、口語訳に

挑戦して6年の歳月を費やして完成

したものです。


この物語はアントニオという即興詩人が

イタリアを渡り歩きながら恋をしたり、

失恋したり、友人のベルナルドと決別

したりしながら、イタリアの各地の

素晴らしさを描写していきます。

ある意味ではイタリア旅行案内書にも

なっていると思います。


南はソレント、アマルフィ、ナポリ、

そして、ローマ、フィレンツエ、パドヴァ、

ヴェネツイア、北のヴェローナ、ミラノ

などの美しさが詩に謳われるように描写

されます。

出来れば森鴎外の文語体のほうも読んで

ほしいと安野さんはおっしゃっていますが、

本当に私も読みたくなりました。


『無人島に持って行くなら

この《即興詩人》を持って行く』

という人が著名人の中には多く、

安野光雅さん、山田風太郎さん、

小泉信三さんなど多数おられるとか。


この口語訳は簡単に読めますよ。

2011年4月20日水曜日

“ジーン・ワルツ”

久しぶりに海堂尊さんの本を読んだ。
この人は今をときめく人気作家だが、
私はこういう世の中を騒がせている・・・
という作家が苦手でした。

ミステリーというのも、どうだろう?
と考えてしまう。

でも医療ミステリーということで、
毛色の変わったものも読もうかと
手に取ってみたのが、この本。

“ジーン・ワルツ”
映画化されたそうですが、観なくても
いいなと思います。
なぜって、この本は読むから面白い
のであって、映画は露骨な感じが
しますね。
って、どんな風に映像化されたのか
分かりませんが。

現代は女性の時代ですが、
働く女性にとっては出産は重荷でしょう。

以前は産婆さんが取り上げれば事足りた
出産が現代はそれほど単純では
なくなりました。

その単純ではない出産のいろいろな悩みを
かかえた産婦さんたち5人をとりまく
出産のあり方を一地方の産婦人科を
中心に物語が展開します。

そして、その続編が
“マドンナ・ヴェルデ”
おりしも、今NHKでドラマ化され、
松坂慶子さんと国仲涼子さんの主演で
放送されています。

何曜日だったか忘れましたが、
ジーンワルツを読んでから見ると
面白いかもしれませんね。

いつだったかな〜。

2011年4月16日土曜日

叡山の諸道

ここ何日か《叡山の諸道》を読んでいました。
この本で、司馬さんは
『知人が法華大会をうけるという』
という文から始めます。
この法華大会を一般人として
見学するというのは本来は許されない
ことらしいのですが、この知人は
少年の頃に叡山の無道寺谷で修行をし、
長じて朝日新聞のカメラマンになって
いて、司馬さんの知るところになります。

今回、この人がこの延暦寺大講堂で問難を
うけることになり、特別見学が許されます。

司馬さんはこの時、高僧からお茶の接待
を受けます。
法曼院という僧坊の主、大行満光永澄道師
自らのお手前に感じ入ります。

司馬さんのこの人の人物評は
『道師の顔は樫のあらきで鉈彫りしたように
質朴な骨柄である。』

で、この人の凄さ
昭和38年、千日回峯、
12年籠山に入る、
昭和45年、千日回峯を満行

一山の僧がこの人を敬して呼ぶときの
呼称は
『北嶺大先達大行満大阿闍梨』と
呼ぶそうな。

この人は青春期から、中年にかけて
の12年、比叡山に籠っていた。
このあいだ、延べにしておよそ地球上
一周ほどの距離を歩いた、千日回峯という。
文字通り、千日の間、一日、30キロ
から84キロの行場を歩く。
84キロになると、一日中あるきづめに
歩いている。意識朦朧となる。
そして、この回峯行だけでなく、
9日間の断食、断水、不眠、不臥
という人体保持の限界を越える行も
達成している。

という。

こういう人とは思えない超人が
いるのですね。

司馬さんと同席している人が
アッケラカンとこの高僧に質問します。
『なぜ、行を発願されたのですか?』
というと
『伝統ですから』と答えられたという。

考えに考え抜いたあとの
解答はこういうものなんですね。




2011年4月14日木曜日

レビューをかきました。

最近、中毒にかかったようになっている。
“レビューを書く”のが面白いんですわ。

で、amazon
の回し者ではないけど、ほとんどここで
必要な(ここが大事です)ものをかっています。

よく買うのが本。
これは便利ですねえ。
本屋さんや、古本屋さんに行くのは
面倒だし、そこで捜すのも面倒。

で、かたっぱしから読んでは
レビューを書くをやっている。

自分でも
“こんなことしていていいんだろうか?”
と思うのだけど、レビューを書いている
人って随分たくさんいるんだなと
驚き。

まあ〜ね、飽きるって。
で、
いつ、飽きるんだろう?

で、今回は司馬遼太郎さんの
『街道を行く16 叡山の諸道』でした。


『知人が『法華大会』をうけるという。』
という書き出しで始まるこの巻は
『叡山の諸道』
の副題でも分かるように、
比叡山を開いた最澄のことについて、
生い立ちから始まり、
その人となりや、その宗教の起こりや
その教義内容について、実に面白く、
司馬さん独特の語り口で埋め尽くされている。

そして、そういう宗教の生まれる土台に
なったこの土地についても比叡山が
京都の東に位置し歴史上のどのような
影響を受け、その地形や気候が
どのようであるかをこの人ならではの
視点で解き明かしている。

一緒に随行している挿絵画家の
須田刻太さんについての短い
コメントなどは、多くを語ってはいませんが
温かい眼差しと深い尊敬があらわれていて、
とてもいいですね。

空海の弘法大師と並び称される伝教大師
の最澄は嵯峨天皇や橘逸勢とともに書聖
として有名だとは高校の勉強で習ったこと
ですが、司馬さんは正岡子規との対比で
コメントしています。
『子規と最澄は似たところが多い。
どちらも物事の創始者でありながら、
政治性をもたなかった。自分の人生の主題に
ついて、電流に打たれつづけるような生き方で
みじかく生き、しかもその果実を得ることなく、
死に、世俗的には門流のひとびとが栄えた
ことなどである。
書のにおいが似るというのは、偶然では
ないかもしれない。』
と結んでいます。
最澄を理解するのにこれほどわかりやすい
評はないと思います。


読み終わって、今最高にこの辺の旅に出たい
と思っている。




2011年4月11日月曜日

風邪引きさんのうどん

最近ノドが痛い日が多い。
花粉アレルギーなら、仕方が
ないのかな・・・と考えていた
のだけど、余りにも夜が
寝苦しい。

耳鼻科での判断は風邪らしい。

熱は出ないけど、ノドが真っ赤。

こういうときは熱々のうどんが
いいですねえ。

で、調べたら、
かるべけいこさんの
『自然がくれた愛情ごはん』の
本にあった
"風邪ひきさんのうどん"が
おいしそう。

ダシを昆布と鰹で丁寧にとって、
お醤油で味をつけてうどんを
煮込みます。
うどんを盛りつけた上に
ショウガのすったものを
のせて、出来上がり。

のどの痛みがほんの少し
解消しましたよ。




2011年4月4日月曜日

ひよどり

我が家のモクレンは
住んでいる住民と同じ性格
だから、
全てに晩稲(おくて?)
と思っていた。

つまり、
大きくなるのが遅い、
花芽をつけるのが遅い、
などの理由でいつも
私をイライラさせていた。

そして、今年、
曾てないほどに花芽がついて
私の眼を楽しませていたのに、
花びらがどんどん短くなり、
短くなったところから、
茶色くなり、
最後には花びらがすっかり
なくなってしまう。

相棒からは
『これ変だよ、
病気なんじゃないの?』
と言われて、すっかり
意気消沈。

・・・虫がついている
ようでもないし、
モグラが根を齧った
かも知れない・・・
と仕方がないなあ〜と
考えていた。

『木を引っこ抜いて、
土の質を調べて
土壌を改良かな?』

と考えている矢先に
目撃!!!!!!

なんと、ヒヨドリが花弁を
ついばんでいる。

悲しい、
やがて、嬉しい。
複雑です。



2011年4月3日日曜日

ろうそくの灯り

夕餉のあとのおしゃべりは
楽しいものですねえ。
時には熱中して、次の日に突入して
しまうこともありますが、
それはそれで楽しいですね。

最近はロウソクの灯りの元で
エコな談話室になっています。

暗いのはなかなか良いモノです。
相手の顔があまり見えないのが
いいのかもしれません。
時には話しに熱中して、
"アブナイ!"感じにも
なりますが、人はみんな考えが
違うもの。
みんな会話が上手です。

昨晩はアコースフィアのお二人と
お弟子さん達が10時過ぎに集まり、
延々と音楽談義。

司馬さんの『風塵抄』のあとがきに
こんな文章があります。

『会社に勤めるというのはどの業種であれ、
前提なしで、話しができる多くの仲間を
持っているということである。
言いがたい幸福と言っていい。』

司馬さんは産経新聞を辞めて、文筆業に
入ったとき、独り仕事の暮らしの寂しさ
が身に沁みていたのでしょう。
人は誰でも仲間を持ちたいもの、仲間に
入りたいもの、でも、自分が居心地が良い
と感じる場所を捜すことは意外に難しい。

昨晩、集まって来ている若者たちは
本当に幸せそう。
音楽談義の中に身を置かせてもらえて
私も幸せでした。

蠟燭の灯りはすばらしかった。



2011年4月1日金曜日

《司馬遼太郎が考えたこと》3巻

今回は《司馬遼太郎が考えたこと》
の第3巻のレビューです。

レビューを書くことでもう一度読み返す
機会ができたことは嬉しいですね。
そして、あの3年前の頃は何を考えて
いたのかを思い出しました。

宗教というものを考えたい・・・というのが
発端だったような気がします。
でも、宗教の専門書では難し過ぎます。
で、司馬さんのような大先輩が
どう考えておられるのか聞いてみたい
とおもいました。

読み返すと前とは随分違う印象を
持ちますね。
分かりたい、知りたい、という観点が
ずれて来ているせいですね。

で、今回のレビューです。

『この3巻ではますます龍馬色が
強くなっています。そして、この
龍馬を書くことによって、分かって来た
維新周辺のことを書いた短いエッセイが
多くのせられています。
これを"維新こぼれ話"として、薩摩や
土佐や京、江戸、長岡、敦賀、吉野、
萩、小倉、会津、函館、などの土地の
歴史やそこに棲む人達への想いなどが
纏められています。
司馬さんは
《坂本龍馬は維新史の奇跡的存在である。》
と言ったのは平尾道雄氏であるが、この言葉
には限りない魅力がある。私はこの言葉に
魅きいれられてこの人物を調べたくなり
・・・と書いておられます。
そして、続けて、
この男が薩長連合・大政奉還という日本史上
の大芝居をほとんど一人で案出し、演出し、
成功した。
歴史を2度にわたって転換せしめた点、
これは維新史上奇跡的な事実といえる。
ともう一度、その奇跡を論じておられます。

この巻の前半は維新についてですが、
後半はその時代へのメッセージなども
あり、そろそろ、日本人に対する
応援的な文章も出て来て、世相が
悪くなってきていることが反映してきます。

昭和40年11月に龍馬についての
随想があります。
竜馬は、天が日本史上最大の混乱を
まとめるために、差し下した若者の
ように、思われる。
その役割がおわった時、天はただちに
かれを召し上げた。
この点がいっそう竜馬という青年の存在に
奇跡的なにおいを放たしめる。

この巻は"竜馬がいく"との併読をすると
面白いかもしれませんね。