Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2015年10月31日土曜日

諸葛孔明その3

 三顧の礼と言えば、諸葛孔明と連想が働くほど有名なこのお話。

  でも、あの立派な司馬遷が書いた『史記』にもあの中国人の誇大

妄想的な大袈裟な表現は否めず、どうもこの三顧の礼は誇張し過

ぎではないか・・・といささか揶揄しながら面白可笑しく書いている

のがこの本。

  孔明は一躍名前を売ろうとして、様々な画策を繰り返し、劉備玄徳

をじらしている。一度請われたからといって、ハイハイ行きましょう・・・

では軽過ぎると思ったのでしょうね。

  何度玄関先に立たれても、出て行かず、仕官したいのに、自分では

行かず、散々焦らした後で、そんなにお求めでしたら、仕方ないな、

行きましょう・・・という道筋をつけたい。

  まあでも、現代においてもこの人間的感情は同じで、少しく、小賢しい

人間はこの位の事をいつも画策していますね。一番面白いのはこういう

模様を傍から眺める時。

眺めるヒトは冷静ですものね。

  で、この酒見賢一さんは冷静に観て、この辺の諸葛孔明を書いてい

ますが、この皮肉な見方が長過ぎて、分析しすぎて、読んでいる私まで

人間の見方が斜めになってきていて、辛いですねえ。


  司馬遷というヒトは親がかなりのお金持ちだったらしく、一生、中国の

歴史を調べて書き続けたヒトなんですって。で、中国はその時代が

終わるとすぐにその歴史を書くヒトがいて、代々続いているのだそう

ですが、司馬遷は何代にも渡って書いた凄いヒトらしい。

  司馬遼太郎さんはそのペンネームにも《司馬遷に遥かに及ばない日本

の太郎》ということでその名前にしたそうですが・・・。

  そして、中国は明の滅亡から歴史書が書かれていないそうですが、

何故ですかね。その後の歴史書が残っていれば、領土問題やら、南京

事件やら、例え身びいきに書いたとしても後世大もめになる事が小もめ

くらいになっていたのでは。

  歴史というのはやはり、その後50年も100年も後にならないと確かな

ことは分からないと言う事も言えますし、現実にその渦中にあったヒトの

それぞれの証言を色々な角度から観なければいけない・・・となると、

正確な分析は不可能かもしれません。でも、書いて残す事は必須です。


  さて、劉備に請われてあの有名な赤壁の戦いで勝利を治めるのは

これまた有名な話ですが、私は劉備玄徳の無計画で無鉄砲、無頓着、

しかもお人好しで、みんなに好かれ、画策などしない、いや出来ない

こんな奴がいいなあ~としみじみ思うのです。

2015年10月27日火曜日

吉祥寺の《茶の愉》

 全面ガラス張りになっているから中が外から丸見えになっている。

座ってお茶しているヒトが全て女性。中でお茶をしながら歓談して

いる様子がよく分かる。こういうお店に入ってみたくて何度も挑戦

しているけど、入れない・・・でも、今日は時間的にも良さそうだ。

アプローチを通って中に入ろうとするけど入り口が分からない。

少しモタモタしていると大きな水色の化粧した板がすすっと動いて

開いた。

  ヒエーですねえ。

  だって、取手もないし、手を引っ掛ける所もないし、天井まで塞いで

いる大きな板が自動で動いて開く・・・のですから。

しかしですね、停電なんてありえない現代では考えないだろうけど、

電気がなければ,作動しないというのはどうでしょう。

勿論そのくらいのことは考えてあるのでしょうけど、デザイナーも設計

士も策に溺れていると、こういう簡単なことに気がつかないもの。

だって、最近我が家のそばの送電線に雷が落ちて、夕方から10時ころ

まで大騒ぎになった時も、近くの電動で動く車庫が開かなくて困ってい

たご近所さんもいましたから。

最近の車だってドアの窓が開かなくて、うまく機能しないために・・・

なんて事故もあるんだし。

  とまあ、こんなことはいいんだけど、ここでせっかく《茶の愉》なのです

から、お抹茶を頼んでみました。なんとご自分で点てて下さいとの指示。

ははは、イヴェント性を入れたのですね。で、二人でしゃかしゃかと点てて

ほろ苦いお抹茶を堪能。そして、抹茶には合わないかなと思ったけど、

チャイフレンチトーストを頂きました。美味しかったですねえ。

 やっと入れた《茶の愉》でした。

2015年10月26日月曜日

諸葛孔明その2

さてさて、この孔明、始めは近隣のヒトから奇人変人と呼ばれ、その意味で

有名人であったそうです。

  自分自ら、《臥竜》と名乗り、衆人を恐ろしがらせたのが効きすぎて、変人扱

いになってしまった。そんな訳でなかなか縁談がまとまらず姉がヤキモキする

のですが、その義理の父の策略を恃みにします。

その地方で大金持ちである黄承彦の娘が嫁き遅れているのを聞きます。

この娘は稀に見る醜女(しこめ)で孔明に劣らず縁談の話がない。背が高く、

髪は茶髪で酷い顔と記されているらしいですが、黄家の娘としかなく、名前は

分からないのですが、なんと、この時、二人とも一目惚れ。

  黄氏はすぐさま結婚したいと嫌がる父親に懇願しますが、孔明は気のない

振りをして策略をめぐらし、まんまと娶ってしまいます。それもスピード結婚だそう

で、この後、3年ほどは俗世間には出ず、晴耕雨読の毎日を送っていたそうです。

  孔明は妻を娶って、腑抜けになってしまったと噂されます。

  が、これも策の内やも知れないと《三国志》の中には書かれているそうです。

  策略家で知られると全てが計の内と勘ぐられるのも辛いところでしょう。


さてさて、ここから愈々私が好きな武将が出てきます。

《劉備玄徳》

《関羽雲長》

《張飛翼徳》

《曹操孟徳》

この人たちは30年ほども前にあの人形作家で有名な辻村ジュサブローさんに

よって作られた芸術的且つ驚異的な着物姿の美しさを見せ付けてくれた作品の

主人公でした。

NHKの《人形劇三国志?》に出て活躍した素敵な武将達です。夕方の5時か6時

ころにテレビで放送されていたのを子ども達と夢中になって観ていたのを思い出し

ます。

  このジュサブローさんは坊主頭に着物の着流しスタイル。巾着袋を下げて颯爽と

歩いていました。

  私は長いこと、この主人公達が、中国のどの時代のヒトでどういう生き方をしたのか

どういう武将について闘っていたのか、どんな地方の生まれで、どういう係累がいた

のか、その辺の詳しいことを知りたいと思いながら、今日まで調べられずにきたのを

残念に思っていました。司馬遷の《史記》まではいかないまでも陳舜臣さんの《史記》

ぐらいは読みこなしてみたいと思っていました。それもまだですが。

  でも、司馬遼太郎さんの《項羽と劉邦》は面白く読みましたし、酒見賢一さんの

《墨攻》は小説でもコミックでも読んで格段に面白い・・・とおもいました。

この墨攻では小国・梁王が援軍を頼んで墨家に願いを入れるのですが、たった

一人の軍師《革離》がやって来て、様々な技術と知恵を使ってこの窮地を脱します。

  それがなんと、ボートピープルとなって日本にやってくるという結末です。

面白い発想ですが、司馬さんにもこれと似た発想で中国のヒトが日本にやってきた

のではないかの記述があります。そっとつぶやいた程度ですが。

  中国の越、呉、楚などの名前のついた場所がありますよね。越前、越後、呉(くれ)

九州には楚という処があるそうです。


 さて、これから、劉備は《三顧の礼》をもって諸葛孔明を迎えに行きます。


  

2015年10月23日金曜日

諸葛孔明

インドの人たちは何故か歴史を軽く観ていたフシがあって、史実を書き残す

という習慣がなかったそうですが、そこにいくと中国は史実を書き残す事に

熱心だったようですね。

 そのお陰で私たち後世の人は全くの事実ではないにしても、それなりにその

時代に生きた人間の生き様を窺い知る事ができます。中でも司馬遷が書いた

『史記』は壮絶で雄大でこれを読んだ後世の人々は感動したり、いやそうでは

ないのでは・・・と疑問を挟んだりしてはいますが、この歴史書が残っている

お陰で我々は多いに楽しめているのですね。

 春秋時代の戦乱がようやく収まって、中国の辺境に住んでいた政が秦という

国を興して秦の始皇帝になった話は余りにも有名です。

度量衡を定め、万里の長城を作り、国を30何県かに定めて、法律を作り、

この法律に従わない者は容赦なく殺すなり、罰するなりをして、治安を図った。

 この政というヒトがどういうヒトであったかはあまり記述はなさそうですが、

自分一人だけを『朕』と呼ばせたことや、文字通り高い所に座って、臣下を

階下に座らせて、『陛下』と呼ばせた・・・などはこれがそのまま日本の文字文化

に影響を与えて、今の皇室で使われているなどは驚きですよね。そして、とん

でもない天才だったのではないでしょうか。

 このヒトが国を治める為に常に諸国を回っていなければいけなかったのは、

悲壮ですね。結局50歳の若さで亡くなります。

 この壮大な知謀知略で築いた国がなんと一代で終わってしまうのも皮肉です。

自ら敷いた刑罰主義が命取りになりました。地方に派遣していたわずか800人

の兵が大雨の為に河を渡れず、期日までに到着出来ない・・・遅れれば、即死刑。

 兵士達はやけになってしまいます。そして、反乱を起こす。その時たまたま遠方

から帰ってくる兵士がやはり期日までに帰って来られない・・・が重なり、この二つの

偶然が重なって《秦》は滅びます。

 この後、いよいよ『項羽と劉邦』が活躍して漢が出来るのですね。

 その時大いに重用される『諸葛孔明』が知恵者として登場します。

 この『泣き虫弱虫、諸葛孔明』の本はこの時代の中国に憧憬が深い酒見賢一

さんの作品です。以前この方の《墨攻》を読んでワクワクするほど面白かった

のが、印象的でした。結末はなんと驚くなかれ、日本人のルーツが分かるという

筋書きでしたよ。

 さて、この諸葛孔明さんは曲者です。


2015年10月14日水曜日

和洋折衷《スリッパ考》

あの着物姿に革靴の坂本龍馬の写真を観る時、私はふと思う。

日本人で初めて革靴を履いたのは坂本龍馬ではないか・・・。

そうではないにしても、おそらく日本諸国を歩きに歩いた彼に

とっては、草鞋は余りにも役に立たなかったのではないか。

そこへ革靴の登場である。

あの合理主義の、利に聡い龍馬が

『これは凄い!』

と早速取り入れ、着物姿に革靴という何とも珍妙なファッションで

あの明治維新寸前の、空気が沸騰している中を闊達に自由に歩き

回ったで有ろう事は想像にかたくないですね。

この時代は西洋人が盛んにやってきた時。

金持ちの商人や、幕府の役人たちはタタミの上に絨毯を敷いて、

応接セットを置いたり、椅子とテーブルを置いたりして外国人をもてなし

ていました。

しかし、この外国人の靴は困りものだったにちがいないですね。

今のように舗装されていないのですから・・・。

時に彼らが泊まる宿屋や神社仏閣ではかなり迷惑だった筈。

そこで、東京八重洲の仕立て職人が室内用上履きとしてスリッパを

考案したんだそうですね。


そして、時は過ぎて戦後は列強に追いつけ追い越せの元に、住宅や

生活様式が欧米並みになり、一般庶民にも広まって来ました。

今や机の生活がどんな家にも普及してタタミの部屋がない・・・という

家も多くなりました。

私の知り合いには"ロイヤル井草"というスリッパの会社を起こし、一躍

優良企業に仕立て上げて大成功したヒトがいます。


事程左様にスリッパは普及したのですが、さて、話は病院のスリッパに

うつります。一昔前の旧式の個人病院は入り口を入ると、スリッパに履き

かえました。このスリッパは片付ける時、片方づつを互い違いにつま先

部分を頭に入れて仕舞います。又は旅館やホテルでは山のように積み

かさねます。旅館やホテルはまだ許せるとしても病院は重ねたらアウト

ですよねえ。

病院の床の病原菌がついているかもしれないのに、それを重ね、又違う

ヒトが履くなんて信じられない。

一時、タワーのような箱形の機械に使い終わったスリッパを乗せると、

それが、殺菌されて下から出てくる・・・という機械を置いている病院が

ありました。

今は靴を脱いで入るという病院はなくなりましたね。

というか、公共施設、会社、レストラン、ホテル、などなどほとんどの

建物が靴のまま入る形式になりました。よほど、和を強調するところ

以外は・・・。


さて、日本の住宅は夏涼しいように出来ています。冬、スカートやズボン

でも靴を脱いでスリッパに履き替えて、テーブルの椅子に座っていると

寒いですねえ、足が。

外国の家、特にアメリカの映画など観ていると、スニーカーや靴のまま

ベッドに身体を預けて寝転ぶのを観ていると、本当に家でも靴を脱がない

のだなと感心しますが、これだから、足が寒くないのですねえ。

和洋折衷はだから難しい。

そうそう、龍馬は靴は暖かいなあ・・・と気がついていたのでは・・・。





2015年10月3日土曜日

舌から鱗

疲れる、だるい、何となくやる気がしない・・・こんな不具合を随分前は

《不定愁訴》とかなんとか言っていたと思う。今はこんな言葉を聞かな

くなったけど、正にこんな状態が8月頃には私を支配していたような気

がする。

で、思い出した。自分が玄米食をやっていた事を。

十年程前にも中性脂肪がやや多めですとか、『血中コレステロールが・・・』

とか言われていました。でも、どうしても薬に頼るのが嫌でした。

食事療法を自分なりにやってもなかなかうまくいかない。

お医者様は

『食事療法なんて無理ですよ。』とにべもない。

そこで始めたのが玄米菜食。

やせるつもりもないのに、いつのまにか健康に痩せていた。

それなのに、玄米食が3年程前からグズグズに崩れてきてしまい、

肉食に戻っていた。

『やっぱり、お肉を食べなくちゃ、力が出ない。』なんて言って。

で、玄米食にほんのちょっとでも戻ると、舌がかわるのですね。

コンソメが不味い。合成調味料がすぐ分かる程にその科学物質を感じ

てしまう。又、昆布と椎茸で出汁をとるのが辛いけど・・・いやいや、この

辛いと感じているようではダメなんですね。やりはじめるとなんでもない

ことだったのに、そう感じた時から、続けられない・・・が始まるのですね。


で、玄米にすると魚は合うのですが、お肉は合わない、というかまずい。

大根おろしや、青菜のごま和えとか、そして、お味噌汁が圧倒的に合うし、

美味いですね。納豆、豆腐、厚揚げの煮物など、昔からある食材が美味

しいんです。

白米は江戸期の元禄時代にお金持ちの食事として始まったそうで、この

栄養分を削ぎ落した白米は後に脚気なども引き起こしたわけですね。

今の時代は食べ物が溢れているご時世だから、脚気は問題にはならなくて

むしろ偏った過剰な栄養摂取が問題になっています。玄米を食べていれば

食物繊維は無論、あらゆる栄養素が含まれていて、ビタミンだタンパク質だ

カルシウムだと騒がなくてもいいのに・・・と思う。

やはり、この縄文時代からの食事が日本人の健康食なんですね。

《目から鱗》いや《舌からうろこ》です。