Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2016年1月31日日曜日

千日回峰・ぶちゃけ寺

 最近、みんなが知りたいと思っている仏教の事やお寺の内部の事などを

面白可笑しく紹介する番組が流行っている。そこに出てくるお坊さん達の

真摯な態度は観ている側からしても心底感心してしまう。

《テレビは面白ければいいのだから、ぎりぎりの嘘をてんこもりしている

もんだ・・・》という所に辟易している我々視聴者にはちょっと違う感覚で

のめり込んでしまう。

 で、先日、お坊さんの修行についての回がありました。

 滝行などの実際の映像なども紹介されたのだけど、一番人間業とは思えぬ

あの《千日回峰》に挑んだお坊さんのことを具に報告している映像が流され、

その凄さに驚いてしまった。

 随分前に司馬遼太郎さんの《街道を行く》の《叡山の諸道》で読んだ中に出て

くるお坊さんは千日回峰をやり遂げたお坊さんで、

  『大行満光永澄道師』(だいぎょうまんこうえいちょうどうじ)

と言います。

 これをやり終えたお坊さんは『大阿闍梨』となられるそうで歴代何十人もいる

わけではない。この方はこの修行をやり終えて、

 『北嶺大先達大行満大阿闍梨』(ほくれいだいせんだつだいぎょうまんだいあじゃり)

になられた。

  司馬さんがこのヒトを尋ねて伺っている時に一緒に居合わせた記者さんが

『なぜこのような修行をなさるのですか』と尋ねたとき、

『伝統ですから』と淡々とお答えになったと、その答えにも驚き、また、その

ようなアケスけなというか、屈託のない質問をする記者の あっけらかんぶり

 にも驚いたと書いてらっしゃいます。そして、対座している自分が、贅肉で

ふくらんだなまの鶏のように思われてきてわれながら気味がわるかった・・・

と言っています。

  確かにこのような大阿闍梨に会ってしまったら、消え入りたい自分を発見して

しまうでしょうねえ。

 さて、このお坊さん達が峻険な山を歩いて修験者としての修行を積む時、草鞋を

愛用するらしいのですが、今のような科学技術が進んだ時代ですから、山歩きの

シューズでもいいのではと誰かが質問していました。

 答えは『否』。

 昔からずっと今も草鞋が一番いいのだそうです。現代は人間が文明に甘やかされ過ぎ

てはいないだろうか・・・ということでしょうか。

  私は最近外反母趾が痛くてどの靴も難ありで自分専用のウオーキングシューズを

作ってもらおうかと思っているのですが、ワラジかあ~。

 なるほどねえ~。ワラジを履いて、後は自分の足を鍛えるのですね。

2016年1月22日金曜日

大作に挑戦

次のレース編みができあがったのだけど、なんだかオカしい。

普通の細編みの処の編み目が大きい。かといって、これ以上緩くはできないぞ!

で、よーく考えてみたら、毛糸編みの編み針とレース編みの編み針は違うことに

遅まきながら気が付いた。何たる失態、なんたる愚かさか・・・。

 でも、これこのように出来上がってしまった。一応大作なのでしばらく眺めていた

のだけど、結局この後ユザワヤに行って、レース編みの編み針を買い、レース糸

も買って、さあこれから本格的にやるぞ!っと思ったら、やはりこの編み針間違いが

気になって、全部、ほんとにぜ~んぶヤキモチ焼きのおばちゃんがイライラして

やる体のほどきかたでほどいて、チリチリしたレース糸の山を築いてしまった。

 しかしまあ、随分久しぶりに、自分の気持ちを抑えられずに物に当たって、鬱憤

を晴らすヒトを演じてみたけど、すっきりとか落ち着いたとかいうものとは違うな・・・

  さてさて、楽しいレース編みの始まりです。大作に挑戦。

大作に挑戦

 次のレース編みができあがったのだけど、なんだかオカしい。

普通の細編みの処の編み目が大きい。かといって、これ以上緩くはできないぞ!

で、よーく考えてみたら、毛糸編みの編み針とレース編みの編み針は違うことに

遅まきながら気が付いた。何たる失態、なんたる愚かさか・・・。

 でも、これこのように出来上がってしまった。一応大作なのでしばらく眺めていた

のだけど、結局この後ユザワヤに行って、レース編みの編み針を買い、レース糸

も買って、さあこれから本格的にやるぞ!っと思ったら、やはりこの編み針間違いが

気になって、全部、ほんとにぜ~んぶヤキモチ焼きのおばちゃんがイライラして

やる体のほどきかたでほどいて、チリチリしたレース糸の山を築いてしまった。

 しかしまあ、随分久しぶりに、自分の気持ちを抑えられずに物に当たって、鬱憤

を晴らすヒトを演じてみたけど、すっきりとか落ち着いたとかいうものとは違うな・・・

  さてさて、楽しいレース編みの始まりです。大作に挑戦。

2016年1月8日金曜日

そして、大量のレース編みを残して君は・・・

『終活』とヒトは言うけれど、なかなかそれと向き合う事は難しい。

  終活とは自分の人生の総決算であり、どう死にたいか、どういう遺言

を残すかなどらしい。

  多くのヒトはこういう生(なま)なことは先延ばしにしたがる。

私などはいつも、何でも後手に回ってしまうヒトだから、正にそうだ。

それで、一応持ち物の整理だけはとりあえず始めることにした。

始めて見ると自分でも呆れる程の物持ちだと言う事に気が付いた。

それもお宝などはほとんどなく、ガラクタや古着ばかりだけど、思い出と

言うスパイスがくっついてくるから、他人様の評価は待つ必要がないようだ。

だからこそ捨てる捨てないの判断は難しく時間がかかる。

それでも、一応片付けの基本に従ってようやく『断捨離』なんてやってみた。

そして、ようやく片付いたのに、 またぞろ趣味とやらがモゾモゾと動きだす。

今までのめり込んできた油絵、トールペイント、陶器の絵付け、編み物、

茶道等々。

  まだまだあるけど、これらのお道具が山とあった。で、一応ほんの少し

だけ残してあらかた処分した。でも、このほんの少し残してに思い切りの

悪さがある。

  そして、処分した後のこの後悔の気分はどうだろう。

私が買って着古した服などはもうどうでもいいけど、母に作ってもらった着物

やそれを容れる立派過ぎる桐の箪笥を処分した事は今でも、いや、時が過

ぎれば過ぎる程、母に対して申し訳ない気持ちで一杯になる。

  もったいない・・・というのではなく、母の想いを考えるときっと無念だろうと

おもうからだ。着物は母がいつも想いを込めていたものだから、4人の

娘達を着物で着飾ることはさぞかし嬉しいことだったに違いない。私が学生

の頃、茶道を習っていた関係で私の知らないところで娘に・・・と着物を誂え

るのが楽しみだった母。いつの間にか箪笥は母の宝箱になっていった。

或るとき、いつもの呉服屋さんで私は地味な格子模様の着物を何故か一人

で注文していた。どういう事情だったのかそのいきさつは分からないのだが、

そして、後日出来上がってきた着物を観て私は何だセンスがないなとガッカリ

してしまった。目利きの母を差し置いて自分で注文した私は一体何を考えて

いたのだろうか。でも、何事にも厳しい母が『そうですか、娘がこれが良いと

いったのですね。』と言ったというのを聞いて母の度量の大きさに感謝した

わけだけど・・・。

 しかし、母チョイスの素晴らしい着物の中にくすんで目立たない、言っては

何だけど田舎のお手伝いさんの着るもののような一着は一度着ただけで、

箪笥の奥にしまい込まれてしまった。

 今回、これは真っ先に処分したけれど、良い物でも、これから正式な場所

には行く事がない事を考えればいらない・・・と処分。

 さて、趣味は辞める事ができない。ガラクタを増やすのはいやだけど、レース

編みはどうだろうとパイナップル編みを始めてみた。

 これは楽しい。こんなものなら誰かが、喜んではくれないだろうか・・・。


森を焼く

 池上彰さんの何かの番組を観ていたら、『COP21』に関する話題を取り上げていました。

地球温暖化の事例を言及するために、わざわざアフリカの奥地に行ってのレポートがあり、

なかなか興味深い内容です。

   アフリカでは未だに焼き畑を行ったりして、不法に森林を焼いて、『地球の肺』と言われる

面積を減らしています。政府はこれを禁止して取り締まりを強化しているのだそうですが、

一向に効果が上がらないのだそうです。それも車で走っての方法では現場を見つけにくく、

空から実際に見下ろさないと分かりにくいと言う問題があります。そして、見つかれば逆に

銃撃を受けることもあり、操縦士と撮影をするヒトと、銃を構えるヒトと3人が必要で経費が

かなりかかる事で、検挙できないことが多いそうです。

 そういう中、池上さん達が発見した大量に焼かれた現場では元警察官だったという強面の

爺さんがその首謀者らしいのですが、敵もさるもの、ああ言えばこう言う体で、逃げまくって

いました。しかしこういう人たちは生きるためには何でもやるんだ・・・というヒトたちですから、

地球温暖化がどうこう言ってもどうにもならないのでしょうね。

  こんな人たちは自然を残すことの大切さなんか分かる筈がないのでしょう。

  今や、世界の環境は一国のみならず、近い将来の全世界に影響を及ぼします。それなのに、

この不法に森を焼いている人たちにはこういう事が想像もつかないのでしょう。こういう害を恂々

と諭したら、涙を流して後悔するのでしょうか。

 でも、自分たちにはこういう生きるすべしかないのだというのでしょうね。

森を焼いて、大きな樹木を切って、製材して、これを運び、さらに焼き畑をして土壌に何かを

植えて収穫する。このことの方がずっとずっと体力的にも大変なのにも拘わらず・・・

  彼らは勤勉なのでしょう。この人たちに文明や文化を教えるのは難しいですね・