Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2014年9月27日土曜日

訂正して、お詫び申し上げます。

9月24日の"白馬の地元の人に人気です"で
取り上げた蕎麦店の名前は《岳人》ではなく、
《山人》です。
読み方は・・・やまと・・・。
実際、超絶美味い!!!
蕎麦通の山男達が、ウオホホ!!!と喜びに
咽びながら、食べていたから本物です。
皆が"もり蕎麦"と言うのに、蕎麦がそんなに
好きでない私一人が"熱い蕎麦にトロロ掛け"を
頼んで顰蹙を買いました。

で、ついでに、しばらく前に書いた角田光代さんの
本の名前は《8日めの蝉》ではなく、《7日めの蝉》
のようです。
そうすると、ずいぶん寓意が違ってくるな〜・・・
申し訳ございません。
iPadから送信

2014年9月26日金曜日

高原の花は発色がいい。

ヤブの中に分け入って行って、
ひっそり咲いている釣船草を発見。
余程の知識が無いと見つけられない
珍しい植物だそうで、ツリフネ草と
いうのだそうです。
高原の花は色が美しい。
何故かと言えば、紫外線が強い
ので、抵抗する為に色を強く
するのだそうです。
こんなこと当たり前でしょっ、と言う
感じで説明するのを聞いていて、専門家と言う人は
ヤッパリ、凄いと感じました。

白馬のフシグロセンノウ

植物の先生の後ろを歩いた
ので、この収穫。
いろいろ教えて頂いたのに、
覚えられない。
これはフシグロセンノウ。

珍しい植物発見

サラシナショウマ
ペンションの周りは冬支度
大量のマキを束ねたソバに咲いている
のを発見。

かりがね草

朝早く起きて散策。
かりがね草を発見。

2014年9月25日木曜日

石神井山荘近辺

朝から雨。
一面、けぶっています。
今日は一日中雨だそうで、山には
登らず、お昼すぎには麓に下りる
予定です。

2014年9月24日水曜日

八方温泉

先月の21日に始まった八方温泉。
露天風呂です。
とろっとしたお湯で気持ちがイイ。
いつまでもポカポカ。
山小屋は寒い。

白馬の地元の人に人気です。

白馬町の人気蕎麦店
【岳人】
お酒のおツマミにこの漬物を
出してくれました。美味しい。

黄金色の信濃大町

収穫を迎える畑を眺めて
今年は豊作?なのだろうか
と訝る程の黄金色。
もっと手前の諏訪辺りでは
もう収穫が終わって、干す作業が
終わっていた。
それでも遠くの方では藁を焼いているのか煙が一筋上がっている。
その前の土手を女性ランナーが
ひたすら走っていた。
長閑だ。

2014年9月22日月曜日

距離の感覚を失う事

実家から歩いて10分ほどの距離に私が通った小学校がある。
あれからほぼ45年たっているから、大きな様変わりは当然で、
今歩くと、昔ここに何があったか思い出せない場所もあるし、
記憶の底に沈んでいる昔ここで鬼ごっこして遊んでいたな・・・
確実に此処だ・・・というところもある。
その頃は原っぱで所有者は誰かも分からない処で、なんであるのか
分からないけど、やたらドカンが放置してあった。
そんな処で日がな一日遊んでいた。
そして、よく犬の糞を踏んでしまった。
あの頃は野犬が多く、私は学校の帰りに何度も追われて転んで、膝を
擦りむき泣いて帰った覚えがある。
戌年の癖に今でも犬が怖いのはそのせいだ・・・と思っている。

昔通った学校が意外に小さかった、とか、校庭が狭かったというのは
よく聞く。あの頃は肉体的に子どもだったから目線が低かったのだから、
長じて背がいくらか伸びている事を考えても距離感や広さの感覚は
違って当然・・・という会話の帰結になるのだけど、
果たしてそれだけなのだろうか?

私の今住んで居る家は建て替える前は入口が南側のバス通りに向いて
いたのだけど、今は西側の路地に開口部があって、当然番地表示も変わ
った。大谷石の門を出てバス通りに出るこのルートを使っている頃、
駅まで行くのがとても遠くて、自転車か、もしくはバスでが普通だった。
ところが南側よりわずか5mも駅までの距離を稼いではいない西側の入り口
になった途端に駅まで歩くというのがなんでもなくなる。
子供が大きくなっていて抱っこしたり、手を引いたりしない頃だった・・・
とか、借金を背負ってバス代を払うのが嫌だった・・・とか、駅まで
行かないとその頃自分的に流行っていたケーキ作りの材料が揃わなかった・・・
とか、新たに始めた仕事に夢中で駅まで歩くのはなんのその・・・だったとか。
いろいろ理由はあるのだけど、これらは全て心理的なもの。
大人になってからの距離感や広さの感覚は専ら気分。

今の住宅事情と荻窪近辺の家の建て替え・・・しばらく歩かなかった
路地に入って見ると、私が気に入っていた昭和時代?の家が更地になり、立派な
家が取り壊されて何軒かの鉛筆のような上に上に伸びた狭小住宅が立ち並んでいて、
最早、ここに住まい始めた頃のノスタルジーもなくなってしまった。
ここの路地を曲がると立派な桜の木があって、季節には薄紅色の花を咲かせて
したを歩く人の目を楽しませてくれていた。
それが、ある時、ない!
そんな処で住まわせていただいて居るという仲間意識も御近所感もだんだん
なくなって行く。

心が物事をどう捉えるかという事はとても大事なんだなと思う。
そして、今や歩くのが億劫になってきている私は又、距離の感覚が崩れて
きて、バス代が一区間220円になってきているのにも拘らず、疲れたから
いいか〜・・・を理由にし始めている。

2014年9月18日木曜日

『内蔵が生み出す心』

この本の著者西原克成さんは『心はどこにあるか』という
研究をしている学者さんです。
心、つまり感情は脳にあるのではなく、腸にあるのではないか・・・
という仮説をたて、研究している内に確信に至ったのはクレア・シルビア
さんの『記憶する心臓』という報告を聞いてからでした。
クレア・シルビアさんは心肺同時移植を行って生き返った人です。
移植手術後クレアはドナーであるバイク事故で死亡した若者の臓器が
それ自体の意識を伴って、自分の中にあるのではと思えるように
なります。
クレアはドナーである若者の死亡事故を図書館でみつけ、夢の中の
青年と同じ名前であったことに驚愕します。
他の同じ移植を受けた人たちとのグループミーティングでは生活習慣が
術後変わり、バナナが好きになったり、綺麗好きだったのが、それほど
執着しなくなったり、又ある人は引っ込み思案で内省的だったのが、
おしゃべりでやんちゃになったり・・・とその変化を報告しています。

こういう事をディーパック・チョプラ博士は"経験はわれわれが自分の
内に取り込むものであることから、細胞には記憶が染み込んでいる"
従って、細胞を体内に取り込めば、同時に記憶までをも取り込むこと
になる・・・といっています。

『生命は腸から発生します。』
生命体とはエネルギーの渦がめぐるとともに個体のパーツが発生、成長、
リモデリング(新陳代謝)する仕組みのことで、これによりエイジング
を克服する仕組みです。個体の丸ごとの作り替えが遺伝現象であり、通常は
生殖を介する・・・。
エネルギーの渦が巡るというのは高等な脊椎動物では細胞呼吸と解糖の
ことで、ともに腸から吸収した栄養を好気的(酸素を使って)または
嫌気的に(酸素なしで)分解して得られるエネルギーを生命活動に利用
している。このエネルギーはもともと植物が太陽光線によって、光合成で
作っていたものが、食物として腸から消化、吸収されることで得られる
ものです。

ある患者の話ですが、重症の痴呆と皮疹で白血病の診断のもとに内科で
治療を受けていた老人が歯周病の歯を10本ほど抜いて、すべて治って
しまった症例やひどいジンマシンで悩んでいた女性が口呼吸を鼻呼吸に
あらためただけで治癒してしまったというのがあります。

腸の特徴とその機能を無視すると、直接脳や皮膚等体壁系に影響して思考
や思想、精神を障害します。一方、腸の機能が種々の理由で衰えて、腸の
門脈の酸素不足になると、内臓から活力がうしなわれます。そして、心の
病になるのだそうです。

人はもともと原始脊椎動物の軟骨魚類のネコザメから発生した・・・と言われて
います。その鰓から、肺や心臓が出来てきて内臓その他もつくりだしてきています。
人間の身体は一本の長い管であるとよく言われますが、その通りでその内壁と
外壁の筋肉の働きで各器官が出来ているらしいのです。

その中の腸は最も重要で、一日に一兆個の細胞が作り替わるリモデリングで
生命が維持されています。

骨休め不足の内臓下垂、
腸を冷やす冷たい物中毒、
噛まない雑な食べ方、
口呼吸で腸の内臓筋を痛める、
これらのことにより、生理痛、子宮内膜症、頭痛、片頭痛、ノイローゼ、
うつ病と言った、副交感神経の変調による心の病が訪れます。

口で呼吸が可能なのは哺乳動物では1歳以後の人類だけだそうです。
これが人体の仕組みの最大の弱点になっているそうです。

つまり、口呼吸と腸を冷やすことで、扁桃のM細胞から、とめどなく常在菌が
白血球に乗って身体をめぐるのです。骨休め不足では骨の中で血液を作る
仕組みが上手く働かずに白血球がくたびれてしまうと、この常在菌がからだの
あちこちで悪さを始めるのだそうです。

でも、(骨休め不足)とはいい言葉ですね〜、(過労)とか、(働きすぎ)
とは言わずに骨休め不足・・・。人を労わるにはいい言葉です。
さて、私はナルベク、口呼吸をせずに鼻呼吸をする練習をしなければ・・・。

2014年9月11日木曜日

小林秀雄の左翼批判?

小林秀雄先生が学生の質問に答えられてこのように応えて
おられます。
学生;僕は死ぬまでに生まれて来て何が良かったかという事を
掴みたいのです。理想です。
こういう質問に答えて、
小林;では、こういう話をしましょう。
僕は理想など抱いた事はない。貧乏で、女を養うためもあって、
大学のときから、僕は自活していた。原稿を書いて、金に変えて
いた。・・・
僕には理想などなかった。僕が原稿を売らなきゃ二人は暮らして
いけなかった。
そして、これからが本題なのです。
その頃の時代は左翼が盛んな時でした。いっぱい左翼がいた。
左翼はみんなお金をもっていた。どうして、あんなにお金を持って
いるのか僕にはわからなかった。そして、左翼は空想していた。
日本を共産主義にしようという空想に燃えていた。
そして、彼らは生活に困らなかった。その金はどこから?みんな親父
からだしてもらっていた。稼いでいる左翼の奴なんか一人もいなかった
そして、一気に答えに向かいます。
僕には理想がなかった。それが君への答えだ。そんな生活をしている内に
だんだんと僕の中から理想が育ってきたんだ。埋め草原稿を書いている
うちに、もう少しうまく書こうと思うようになったんだ。

一生懸命何かに向って努力をするうちに、創意工夫が生まれる。
そうやって実感のある生活をしていることが理想ということでしょうか。
何かを発明することや、結果にこだわるのではなく、そういう生産のある
生活の中に理想がある。
とかく空理空論の中に充実を見出し、空想に陥り勝ちな若者を戒めての
言葉であったのではないか・・・。

2014年9月10日水曜日

小林秀雄『学生との対話』

太平洋戦争の敗北から10年程過ぎた頃、世間では『世代の断層』
という言葉が流行っていました。
この頃の20代、30代の間では明らかに人生観に相違が見られました。
依存した伝統は崩れ、頼るべき目標もなく、新しく実現すべき
社会の姿も見出せない状況にありました。
学園では思想は混迷し、イデオロギッシュな議論が横行して、誰もが、
抽象的で概念的な理論のやり取りに陥っていました。
そんな中、同じ志を持った学生達が『国民文化研究会』を結成して、
霧島で第一回『合宿教室』を開催しました。
この趣旨はいままでの日本の古い文化や伝統にもう一度向き合い、
問いただし、自己確立を図ろうとしたのです。
そして、この会の催す『全国学生青年合宿教室』(4泊5日)に昭和36年
から53年にかけて夏の暑いさなかに小林秀雄氏は5回も出席なさった
そうです。講義は朝8時半から2時間。小休止を挟んで、約一時間、学生の
質問に答えられた。
この時、全国から学生が300名、400名と集まったそうです。
この合宿教室を主催した国民文化研究会の理事長、小田村寅二郎はこの会を
"貧乏学生の集まり"と言っていたが、世間では『昭和の松下村塾』と呼んで
いたそうです。
しかし、何故こういう動きが日本の西側で起こるのでしょうか。
何故日本の中心と言うべき東京で起こらないのでしょうか。
思えば、ハウステンボスが出来たまさにその年に九州を目がけて車を走らせた
時、真っ先に有田焼や伊万里焼の窯元を訪れて、その堅牢な伝統に驚きました。
有田焼や伊万里焼のあの藍の美しさを観ると、何故か明治維新を考えて了う。
こういう伝統に根ざした職業に支えられている生活の場には、良くも悪くも、
少しも揺るがない価値観が息づいているのではないか・・・。
良く聞く"九州の封建制"・・・例えば、女の物と男の物を一緒に洗濯したりしない
というのはつい最近まで聞いています。いや、まだそうかもしれません。
女は黙ってついて来い・・・という気は裏を返せば、男が全責任を持って
家族を、社会を守るという気概の表れでは・・・。
阿部第2次内閣に女性が6人も入って、一気に支持率が跳ね上がったのは
凄い事です。こういう時代に何を言うか!・・・と叱られるでしょうが、まさに、
女性の時代になった事は女の幸せなのか・・・。

さて、この昭和30年代の講演録が何故今、本になり出版されたか・・・。
実は小林先生は講演内容を勝手に人の手で纏められたり、解釈される事に
違和感を感じられていて、録音、筆記その他の行為を禁じておられました。
生涯一行も書かなかった古代ギリシャの哲学者ソクラテスを引いて、文字で
書かれた言葉はいつも同じ顔をどんな人の前でも曝しているだけだと、書かれた
言葉より話し言葉の方を重視しておられました。
余談ですが、あの巨人小林先生でも噺家の5代目古今亭志ん生の『火焔太鼓』
のレコードを擦り切れる程に何度も聞いて間の取り方や自分の伝え方を
学んだそうです。小林先生の口調は志ん生さんによく似ていたそうです。
いやはや、聞きたかったですね〜、その肉声が。
で、だからこそ、他の人の手になる自分の講演録を文字にしたくはなかったのでしょう。
しかし、どうしてもこの素晴らしい講演内容を雲散霧消したくないという
主催者の考えで秘密裏に録音をしていたのです。
単なる商業主義ではなく、どうしても世の若者に読んでもらいたい、聞いて
もらいたいという一途な思いです。
そして、今ご家族の同意の元に陽の目をみる事になりました。
素晴らしいです。

2014年9月1日月曜日

鎌倉 雪の茶屋

久し振りに鎌倉に行って、たまたま見つけた"ハンバーグ店"。
最近肉が不足・・・と感じていたので、迷う事なく入りました。
所がこれが大当たり。こんな旨いハンバーグ、食べた事がない!
というまるで、宣伝文句のような使い古した感想で申し訳ない
けど、本当に掛け値なしに
『美味しい‼』
そして、デミグラスソースが当たり前だけど、美味しかった。
鎌倉黒毛和牛のハンバーグだけど、肉が美味しいからデミグラスも
推して知るべし・・・というところですね。
付け合わせの目玉焼きもいい具合に黄身が焼き上げてあって、ご飯は
ワザワザお釜で炊いているとか。
又直ぐに食べに行きたいお店でした。
それから、腹ごなしに鶴岡八幡宮に散歩にいきましたが、わずか5分ほどの
ちかくに位置していていたのですね。
今はハスの花がちらほら。
花も端境期でしょうか。

夏も終わりだろうか。

角田光代さんの有名な小説"8日目の蝉"は蝉の短い命を、
又は役目を終えると潔く消えて行く・・・という宿命を
暗示して小説を進めています。
私はあの夏の盛りの"ミンミンゼミ"の最期のミーンという鳴き声に
ちょっとイラっとして居ました。
あの暑さを助長するミーンという引っ張り方に他の大きな生物の
嫌がらせを感じて自分の卑小さに慄いていました。
『夏は暑いよ!』
『俺たち夏の暑さが大好きさ、イエイ!』
『これでもか!』
それでも夏は確実に終わり始めているんですね。
異常気象なのか、毎日の雨と季節ハズレの寒さにさすがの蝉も
慌てている様子。道端には息を耐えて、人間の走らせる車の
下敷になって、哀れな姿になっているのを見かけるようになりました。

ホーシンツクツクの鳴き声に混じって、漸く、カナカナが聴こえて
きました。
昨日は孫がセミの死骸を蟻がエッサエッサと運んでいるのを
見つけてしばらく眺めていました。
『今、一生懸命、巣に運んでいるから、そこ邪魔しないで!!』
蟻はアリなりに冬への備えをもう、始めているのですね。
そんな折、義理の兄が88歳の米寿を祝ったのも束の間、8月30日に
身罷りました。
姉は12歳年上で同じ寅年の兄と結婚して、寅年の息子をもうけました。
同じ干支が家族に3人いると安泰という古くからの言い伝えを
文字通り身に受けて、全うして来たこの家族。ひたすら家族を守ってきた兄も、
ここで役目をおわったのでしょう。
お疲れ様でした。