Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2011年3月30日水曜日

レビューその4

今回は『司馬遼太郎が考えた事』の2巻です。

『坂本龍馬の話しが初めて本の中に出てくる
のは、勝海舟の《海軍操練所》の記事のところ。

司馬さんはこう書いている。
《龍馬を書く為に近頃、高知や京都などに
よく出かける。
私は今、かつて土佐藩の大阪屋敷のあった
場所に住んでいる。
そこは11階建ての鉄筋アパートであり、
その10階に住んでいる。
今なお、アパートの前は鰹座橋であり、横には
藩邸の守護神であった土佐の稲荷という神社が
現存している。》

こういう偶然というか因縁はまさに龍馬を
書くのは司馬さんに与えられた天職だったと
思える。
彼自身龍馬を書き始めたのは昭和37年の
初夏からだと言っている。
そして、小説が始まったころにもう一つの
偶然があった。
龍馬が千葉家から貰った北辰一刀流の免許皆伝
の伝書一巻が大正の末年に渡米しているが、
この頃に親族が高知県に帰って来て、永久保存を
託している。
これを、偶然司馬さんは眼にすることになる。

勿論この2巻には初期の司馬さんのたくさんの
随筆や身辺雑記がちりばめられていて、面白い
のだが、中心になるのはこの《龍馬が行く》
でしょう。
そのほか、神戸の街に対する想いや歴史的
随想もなるほどと思います。
私は河村瑞軒の話しや、西本願寺に三百数十年
も出入りしているお菓子屋さんの息子さんとの
会話も楽しかったですねえ。
小説家としての司馬さんが走り始めた頃に
何を感じていたか、そして、奥様みどりさんの
との夫婦の会話も可笑しい。』


2011年3月27日日曜日

司馬遼太郎が考えた事

今回のレビューは
"司馬遼太郎が考えたこと"1巻です。

司馬遼太郎さんは言わずと知れた事だが、
もと産経新聞の記者であった。
終戦を栃木県佐野の連隊で迎えます。
『東京への道は人でいっぱいです。
戦車が通れません。』
と上官に聞いた時、
『そんなもん、轢き殺して来い!』
との答えがかえってきた。
その時の衝撃は言いようがなかった。
日本人というのはこんなだったろうか
と考え始めたそうです。

それから、新聞記者になり、
京都の西本願寺などの宗教担当の
記者になり、宗教に造詣が深く
なります。
新聞記者から作家になり始めの
初期の司馬遼太郎さんの珠玉の
エッセイがこの1巻に収められて
います。

特にあの独特の文体についての随想が
あります。
『私は奇妙な小説の文体の修行法を
とりました。
小説を書くのではなく、しゃべくり回るのです。
・・・さる友人一読して、君の話のほうが
おもしれえや。此れは痛烈な酷評でした。
となると、まず、私は私の小説を、私の話にまで
近づける為にうんと努力しなければなりません。』
そして、出来たのがあの文体ですねえ。

勿論あの『梟の城』の製作秘話?ではちょうど同じ頃
日本という国は至る所がブルドーザーで破壊されて
いたのですが、その無念な想いを信長の比叡山焼き討ち
と結びつけて、独特な論法で読者を引き込みます。

そして、神戸や大阪などの街に対しても愛情を込めて語っています。
この辺の処では嫉妬を感じる程ですが、しかし、こういう
精神の屈折を(司馬さん流に言えば)もし、東京で生まれて
いたら、持ちえなかっただろうと思います。
実に面白いです。

2011年3月26日土曜日

レビューはじめました。

amazonで本のレビューをはじめました。
今回は福岡博士の
《ルリボシカミキリの青》でした。

週刊文春に連載していたものです。
それだけに読みやすく、一つ一つ
の話題が簡潔でわかりやすいです。
福岡博士は文章も巧いですが、
タイトルのつけ方も絶妙。

博士は分子生物学の立場から、
《物を観て、考える》方なので、
あらゆる事象を細胞学に結びつけて
解明してくださいます。

ほほおと感心したり、
え〜と驚いたり、
実に楽しい。

とにかく、いままで難しいと
考えていた生物学が
『どうやら、面白いかも』
と気づかせてくれます。

特に(風鈴と脳とホタル)の
ところでは人の細胞は60兆個も
あるけど、それぞれの連携は意外に
狭い範囲で完結していて、
隣同士が密接に関係して
役割分担をしている。
脳が鳥瞰的な眼で指令している
のではないらしい、など、記述が
面白いのです。

うどんとそばについては
ここでは、(グリセミック・インデックス)
について詳しく説明しておられます。
この指数はどれくらい急激に血糖値を
あげるかを数値にしたもの。
勿論ソバはおよそ54、うどんは85
数値が低いほうが、太りにくい。

他にも“はちみつを神聖化することの
危うさ”とか、楽しい話題が盛り沢山です。

そして、、読んだあと、これからの
食生活をどう考えるべきか、
どう食べるべきかのヒントが
つかめます。


レビューというものを
どう書くべきかも分からずに
書いてしまいましたが、
どうなることやら。




2011年3月24日木曜日

地震列島に住んでいる。

毎日大きい、小さいの差こそあれ、
有感地震が多発しています。
60年以上も生きていると
学問がなくても、何となく
分かる事があります。

《地震予知は誰にも、専門家にも
出来ない。》

地震研究家のはなしを聞きました。

例えば、阪神の地震の時も
研究者が毎日、フィールドワークで
この建物のここにこういう形で
亀裂が走っている。
ここにも亀裂が。
という結果を元にしてみると、
そこは大きな断層が走っている
真上である。
だから、ここは地震の際に大きく
ずれて被害が大きいだろう。

そして、この断層の上に神戸という
街が作られていた。

一方、この街の地震の1年後くらいに
台湾で同程度の大きな地震が
起きていたが、山間部であった
ことから、人の被害も少なく
あまりニュースにはならなかった
そうだ。

神戸に、地震が起きる。
そして、
近畿一帯に起きると予言?していた
その地震学者はそう宣言して
地震に関する本を出版する際、
一番起こりやすい近畿地方から
取り上げて行くのですが、
おりしも、その出版の1週間後に
阪神の地震が起きます。

しかし、その地震の起きる時に
関しては1週間後であるかも
しれないし、100年後である
かもしれない。
時間を特定することは出来ない
らしい。

私たち日本人は地震列島に住んでいる。
そして、島国であることから、
地続きの大陸に逃げる
ことも叶わない。

《怖がり過ぎるのも、
怖がらなさ過ぎるのも簡単だが、
正当に怖がるのは
難しい。》
寺田寅彦さんの名言です。




2011年3月23日水曜日

腸年齢

理研バイオリソースセンター室長
辨野よしみさんのお話です。

"病は腸とストレスから"という
題でお話になったことをまとめて
みました。

この辨野さんは35年前から大腸の
腸内細菌を研究しています。
人の消化器は胃、小腸、大腸と続きますが
小腸は病気の起こりにくい器官に比べ、
大腸には腸内細菌がたくさんいて、病気の
起こりやすいところ。
近年はこの器官の癌が多く、特に女性の
大腸がんが多いそうです。

腸内細菌は1gあたり10の12乗個、
つまり1兆個の細菌が存在し、1000種
以上の細菌がいる。
これを辨野さんは最初培養法で研究していた
のですが、1995年頃からは微生物遺伝子を
取り出して、研究が出来る様になりました。

今は全体の20%が培養できるようになった。
が、しかし、80%は培養が困難であると
おっしゃいます。
司会者が『できないのですね?』
と聞くと
『できないのではなく、困難なんです。
でも、この5年間に20種ほど解明して
います。』
辨野さんは後進がこれを解明してくれること
を期待しているとおっしゃいます。

さて、日本人の腸内細菌は最近大きく変わっている。
今の日本人は平均一年間に45kgの肉、または
その加工品を食べている。
アメリカは125kgほど。
日本の若い人は慢性的な高脂肪、高タンパクに
さらされていて、今まで多かった胃がんに
取って代わり、大腸がんが死亡原因の一番に
なってきている。

特に女性の大腸がんが多くなってきている。
今の若い女性は肉の食べ過ぎ、運動不足、
アルコールの飲み過ぎ、野菜不足、ストレス
などの要因で、腸が老化している。

今の日本の長寿を支えているのは今の
お年寄りです。
この人達が亡くなれば長寿国ではなくなる
のでは・・・

2006年の"NATURE"の論文には
腸内細菌は全身の病気に関係があることが
わかった。
俗に言う、善玉菌と悪玉菌だが、腸内細菌の
2割が善玉菌、1割が悪玉菌、そして、残りの
7割が日和見菌で、その時の強い方に見方する。
つまり、選挙のときの浮動票のようなもの。

21世紀は腸内細菌の機能が見えて来た時代。
どんな菌がいて、どんな機能をもっているか
を解明すれば病気を診断できるようになる。
現実には肥満を促進する細菌や、痩せる菌
などが腸内にいて、その時々でこの菌の数が
変わって行くそうだ。
この腸内細菌の遺伝子を使って応用研究
する道が開かれている。

人の身体のしくみがどんどん解明されて
いますね。
きちんとした、正しい情報を見分ける
力が必要な時代です。

2011年3月18日金曜日

そろそろ学問

地震発生から1週間
何故か、ティッシュペーパー
トイレットペーパーが
何処のお店からもなくなった。

オイルショックの折も
なぜか軒並みなくなった。
紙は石油から作られるから
やがて無くなるという
噂が飛び交い、
何のことはない
みんなが買いだめに
回って足りなくなった。

今回もそうではなかったのか。
今日久しぶりに
売っているのを見つけて
買って来たけど、
通常の2倍の値段だった。

今回の地震ではツイッターが
活躍したそうだが、
情報を得る方法は
成熟しているようにも見える。
しかし、情報を仕入れた後
どう行動するかを決めるのは
個人個人に任される。

1965年8月3日から約5年半
も続いた"松代群発地震"
の時の松代町の町長
が言った言葉は重みがある。
この期間の有感地震は6万回以上。

この処の一日2~3回以上の
地震に些かまいっている
私には信じられない数だ。

町長は
『私たちには学問が欲しい』
と言ったそうだ。

地震についての本を読む
のもいい。
リスクマネージメント
をするのもいい。
"備え有れば憂いなし"
だろう。
"災害は忘れた頃にやってくる"
なんて格言に感心していては
ダメなんでしょうね。

2011年3月16日水曜日

含嘉倉

今回の被災地の報道を
聞いて、観て、思うことは
ヒトは学ぶということ。

ある被災者は
インタビューに応えて
"自分で備蓄してたよ。
半年分の水だろう、
それに米。
俺は3回津波にあっている。
今だって自分のウチの
2階でくらしてるよ。"

凄い!実にシンプル

我が家も庭の隅にある
物置に備蓄はしていた。
しかし、いささか
ピクニック気分ではないかと
反省。
お餅やレトルトのカレー
までは許せるが
お汁粉やみつ豆までは
いらないだろう。

ワンダーフォーゲルの
経験を生かして
派手に買い揃えて
しまっていた。
今回、これを小出しに
出して食べ始めている。

折からの放射能もれの
報道や、春一番の風や
もの凄い量の花粉で
外に出られない状況。

いつまで保つか
わかりませんけど、
暫くこれを食い潰す
覚悟。

で、含嘉倉は中国の
唐の時代の貯蔵庫。
中国の最大の自慢は
あの12億ほどの人口
を飢えさせていないと
いう事。

唐の時代、この貯蔵庫が
地下にたくさんあったとか、
1969年洛陽郊外で261個も
発見されました。

戦争が一度起きれば
大量の流民が大発生
する。
この頃の政治は民に
飯を食わせること。

今の政治はそんなに
単純ではないけど、
基本においては飢えさせない
こと。
今回は情報に飢えさせない
ことだろうか。
それにしても
チェーンメールなどの
余分な情報の氾濫などを
目の当たりにして、
何事も程よい量の
さじ加減が必要なんですね

しかも、その取捨選択の
権利と責任が
民である我々にあり、
時の政治家ではなく、
個人個人に委ねられている

時代は大きくかわっている。
そして、余分な量の
備蓄は意味が無い。
我が家の備蓄は2009年のもの。
賞味期限も気になりますが
バッファリングなどの薬もしかり、
ホッカイロも効き目が
薄くなっていて
役に立ちません。
トホホと言うべきか。

2011年3月9日水曜日

マクロビ教室

昨日はマクロビオティック
教室でした。

左下の"五目焼きそば"が
絶品でした。

普通の日本ソバを
硬めに茹でて、
野菜とともに
炒めます。

ほとんど、塩コショウ
はしないで、
もりつけてから、
大根おろしと
貝割れ大根と
ドレッシングを
かけて、食べます。

で、右下がクリームスープ
右上が糸切り団子
上が那須にある
パン屋さんの"コロボックル
さんのパン。

お腹いっぱい。
おいしかったあ〜。

春ですねえ

荻窪駅近くの
線路沿いにある
お寺の梅の花。
7分咲きという
ところでしょうか。

春は淡い色から
始まりますが、
春一番の色と言えば
薄い黄色ではない
でしょうか。

ミモザはその筆頭
ですねえ。
黄色は淡い生命の
息吹です。

何か新しいこと
を始めたい季節です。

2011年3月6日日曜日

『ウイルスは恐くない』

正食講座で初めて
知った"半断食"の世界。

この本を書いた
国清先生は
静岡県の三島で
断食道場を営み、
ヒトはいかに食べる
かを実践して
いらっしゃいます。

簡単すぎるとは
思うけど、
"ウイルスは恐くない"
は要は邪食をせず、
正食をしていれば
ウイルスに
かかることもないという、
あまり説得力のない
お話なのだが、
正食がどういうものか
解っているヒトには
うなづける展開だと
思います
で、この本の中に
コレラ菌の話しが
出てきます。
これが面白いですねえ。

『コレラ菌は飲み物
食べ物と一緒に
口から入ってきます。
コレラが流行している
時に、誰も生水など
飲みません。
・・・食べ物に
付着したコレラ菌は
生きたまま胃に入ります。
胃酸はPH1〜2くらいの
強酸性ですから、
この胃液でタンパク質
であるコレラ菌は
死んでしまいます。
この時に、食事をしながら
水分をガブガブ飲んだら
どういうことになるか。
・・・液体の水分は
生きたままのコレラ菌
とともに腸に流れ、
発病することに
なります。
夏場の食中毒もだいたい
このケースです。
腐敗菌を大量の水
とともに腸に運んで
発病するのです。
ですから、水分は
食後30分たってから。』

こういう情報に接して
思うことは
恐いとされる病気も
キチンと対処する
知恵と正しい食べ方を
していれば、
乗り切れる、ということ
なんですね。
この本はそういう意味で
何をどう食べるかを
解説しています。

そう言いながら、
また、甘いものを
食べ過ぎている私は
どうなんだろう。

2011年3月5日土曜日

ヒヨドリ

我が家の庭に
最近よく来る
ヒヨドリ。

ご夫婦か恋人同志か
はたまた、
単に友達同士か
いやいや、
どうも様子を観ていると
餌にありつきたいと
機会を狙って
いるらしく、
仲良くシェア
しましょうね!
という雰囲気でも
なさそう。

今日の餌は
オーガニックの
シリアルをすり鉢で
すり潰したもの。
まあね、我が家は
全員、オーガニック
ですから。

で、ヒヨドリちゃんは
満足してくれるの
かしらねえ?

2011年3月4日金曜日

朝食

昨日のIKEAの戦利品
(このテーブルです)
の上で朝食です。
ウチの若いもんが
昨日遅くまでかかって
組み立てて
くれました。

そして、これ又
違う若いもんが
(天然酵母のパン)
を焼いてくれたので
今日はこれと
3年番茶で、朝ごはん。

良いですねえ、
4月から、私も新学期
ここで、またもや
喫茶店を始めようと
思います。
いい季節ですねえ。

2011年3月3日木曜日

任侠“俄”

かつてあんなに読んだ
司馬遼太郎さんの本。
久しぶりに
手に取って読めば、
やっぱり、めちゃくちゃ
面白い。
お風呂で腰湯に浸かると
最低20分はかかるので
いつも文庫本を持って
入るのだけど、
そういう時に持って
入るのは面白くないと
途中でお風呂を
出たくなってしまう。

しかし、この
"俄"はちがいまっせ。
お風呂に入るのが
待ち遠しい・・・
という感じ。

これは明石屋万吉という
男があの明治維新の
時代を庶民の意地と
正義で駆け抜けた
という一代記の
お話なのだが、
折しも
中東で起きている
国家転覆の争乱は
この本に書かれている
庶民の生活や感覚が
似ているのではと
ついつい、想像して
面白い。

どの国でもそうなんだろう
と思うけど、
上層部や取り巻きは
認識が偏るか
そうは思いたくない
と執着するのか、
ことの成り行きを
正確には判断できない
ものらしい。
そして、庶民が
この物見に行けば
『これはあきまへんなあ』
と見抜いてしまう。

近藤勇の率いる新撰組が
京都の警護を
引き受けている一方、
大阪市中の警護を任された
一柳藩は
人数も少ない
金もない
おまけに幕末ゆえに
日和見だけの腑甲斐ない
サムライしかいない
というないない尽くし。

そんな時
この任侠の万吉に
人を提供してもらいたい
お金も都合してもらいたい
大阪の警護を願いたい
と頼んでくる。

いやはやこの後が
面白いんだわ。

というわけで、いつも
お風呂で読むものだから、
見事に本が
波打ってしまった。
司馬さん、ごめんなさい。

又、しばらく司馬文学に
のめり込みそう。


IKEA

久しぶりのIKEAです。
イロイロ物色して、
お腹が空いたので、
レストランへ。

食べながら、もう一度
買うかどうかを
検討しました。

しかしまあ、
相変わらず
なんて言うことのない
味付けで、
スウエーデンの人の
味覚は何が基準なのか。
ハッキリは
いわないけど。

で、帰って来てから
我が家で"おからピザ"を
食べました。
これが美味い!
ヘルシー、
そして、安い。
お腹もやっと満足。

さて、さて、
これから、組み立て
楽しみですよ。

健康食!

マクロビオティックにはまって
おります。今日のメニューは
ヒジキ