Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!
2011年3月30日水曜日
レビューその4
2011年3月27日日曜日
司馬遼太郎が考えた事
"司馬遼太郎が考えたこと"1巻です。
司馬遼太郎さんは言わずと知れた事だが、
もと産経新聞の記者であった。
終戦を栃木県佐野の連隊で迎えます。
『東京への道は人でいっぱいです。
戦車が通れません。』
と上官に聞いた時、
『そんなもん、轢き殺して来い!』
との答えがかえってきた。
その時の衝撃は言いようがなかった。
日本人というのはこんなだったろうか
と考え始めたそうです。
それから、新聞記者になり、
京都の西本願寺などの宗教担当の
記者になり、宗教に造詣が深く
なります。
新聞記者から作家になり始めの
初期の司馬遼太郎さんの珠玉の
エッセイがこの1巻に収められて
います。
特にあの独特の文体についての随想が
あります。
『私は奇妙な小説の文体の修行法を
とりました。
小説を書くのではなく、しゃべくり回るのです。
・・・さる友人一読して、君の話のほうが
おもしれえや。此れは痛烈な酷評でした。
となると、まず、私は私の小説を、私の話にまで
近づける為にうんと努力しなければなりません。』
そして、出来たのがあの文体ですねえ。
勿論あの『梟の城』の製作秘話?ではちょうど同じ頃
日本という国は至る所がブルドーザーで破壊されて
いたのですが、その無念な想いを信長の比叡山焼き討ち
と結びつけて、独特な論法で読者を引き込みます。
そして、神戸や大阪などの街に対しても愛情を込めて語っています。
この辺の処では嫉妬を感じる程ですが、しかし、こういう
精神の屈折を(司馬さん流に言えば)もし、東京で生まれて
いたら、持ちえなかっただろうと思います。
実に面白いです。
2011年3月26日土曜日
レビューはじめました。
2011年3月24日木曜日
地震列島に住んでいる。
2011年3月23日水曜日
腸年齢
2011年3月18日金曜日
そろそろ学問
何故か、ティッシュペーパー
トイレットペーパーが
何処のお店からもなくなった。
オイルショックの折も
なぜか軒並みなくなった。
紙は石油から作られるから
やがて無くなるという
噂が飛び交い、
何のことはない
みんなが買いだめに
回って足りなくなった。
今回もそうではなかったのか。
今日久しぶりに
売っているのを見つけて
買って来たけど、
通常の2倍の値段だった。
今回の地震ではツイッターが
活躍したそうだが、
情報を得る方法は
成熟しているようにも見える。
しかし、情報を仕入れた後
どう行動するかを決めるのは
個人個人に任される。
1965年8月3日から約5年半
も続いた"松代群発地震"
の時の松代町の町長
が言った言葉は重みがある。
この期間の有感地震は6万回以上。
この処の一日2~3回以上の
地震に些かまいっている
私には信じられない数だ。
町長は
『私たちには学問が欲しい』
と言ったそうだ。
地震についての本を読む
のもいい。
リスクマネージメント
をするのもいい。
"備え有れば憂いなし"
だろう。
"災害は忘れた頃にやってくる"
なんて格言に感心していては
ダメなんでしょうね。
2011年3月16日水曜日
含嘉倉
聞いて、観て、思うことは
ヒトは学ぶということ。
ある被災者は
インタビューに応えて
"自分で備蓄してたよ。
半年分の水だろう、
それに米。
俺は3回津波にあっている。
今だって自分のウチの
2階でくらしてるよ。"
凄い!実にシンプル
我が家も庭の隅にある
物置に備蓄はしていた。
しかし、いささか
ピクニック気分ではないかと
反省。
お餅やレトルトのカレー
までは許せるが
お汁粉やみつ豆までは
いらないだろう。
ワンダーフォーゲルの
経験を生かして
派手に買い揃えて
しまっていた。
今回、これを小出しに
出して食べ始めている。
折からの放射能もれの
報道や、春一番の風や
もの凄い量の花粉で
外に出られない状況。
いつまで保つか
わかりませんけど、
暫くこれを食い潰す
覚悟。
で、含嘉倉は中国の
唐の時代の貯蔵庫。
中国の最大の自慢は
あの12億ほどの人口
を飢えさせていないと
いう事。
唐の時代、この貯蔵庫が
地下にたくさんあったとか、
1969年洛陽郊外で261個も
発見されました。
戦争が一度起きれば
大量の流民が大発生
する。
この頃の政治は民に
飯を食わせること。
今の政治はそんなに
単純ではないけど、
基本においては飢えさせない
こと。
今回は情報に飢えさせない
ことだろうか。
それにしても
チェーンメールなどの
余分な情報の氾濫などを
目の当たりにして、
何事も程よい量の
さじ加減が必要なんですね
しかも、その取捨選択の
権利と責任が
民である我々にあり、
時の政治家ではなく、
個人個人に委ねられている
時代は大きくかわっている。
そして、余分な量の
備蓄は意味が無い。
我が家の備蓄は2009年のもの。
賞味期限も気になりますが
バッファリングなどの薬もしかり、
ホッカイロも効き目が
薄くなっていて
役に立ちません。
トホホと言うべきか。
2011年3月9日水曜日
マクロビ教室
教室でした。
左下の"五目焼きそば"が
絶品でした。
普通の日本ソバを
硬めに茹でて、
野菜とともに
炒めます。
ほとんど、塩コショウ
はしないで、
もりつけてから、
大根おろしと
貝割れ大根と
ドレッシングを
かけて、食べます。
で、右下がクリームスープ
右上が糸切り団子
上が那須にある
パン屋さんの"コロボックル
さんのパン。
お腹いっぱい。
おいしかったあ〜。
春ですねえ
線路沿いにある
お寺の梅の花。
7分咲きという
ところでしょうか。
春は淡い色から
始まりますが、
春一番の色と言えば
薄い黄色ではない
でしょうか。
ミモザはその筆頭
ですねえ。
黄色は淡い生命の
息吹です。
何か新しいこと
を始めたい季節です。
2011年3月6日日曜日
『ウイルスは恐くない』
知った"半断食"の世界。
この本を書いた
国清先生は
静岡県の三島で
断食道場を営み、
ヒトはいかに食べる
かを実践して
いらっしゃいます。
簡単すぎるとは
思うけど、
"ウイルスは恐くない"
は要は邪食をせず、
正食をしていれば
ウイルスに
かかることもないという、
あまり説得力のない
お話なのだが、
正食がどういうものか
解っているヒトには
うなづける展開だと
思います
で、この本の中に
コレラ菌の話しが
出てきます。
これが面白いですねえ。
『コレラ菌は飲み物
食べ物と一緒に
口から入ってきます。
コレラが流行している
時に、誰も生水など
飲みません。
・・・食べ物に
付着したコレラ菌は
生きたまま胃に入ります。
胃酸はPH1〜2くらいの
強酸性ですから、
この胃液でタンパク質
であるコレラ菌は
死んでしまいます。
この時に、食事をしながら
水分をガブガブ飲んだら
どういうことになるか。
・・・液体の水分は
生きたままのコレラ菌
とともに腸に流れ、
発病することに
なります。
夏場の食中毒もだいたい
このケースです。
腐敗菌を大量の水
とともに腸に運んで
発病するのです。
ですから、水分は
食後30分たってから。』
こういう情報に接して
思うことは
恐いとされる病気も
キチンと対処する
知恵と正しい食べ方を
していれば、
乗り切れる、ということ
なんですね。
この本はそういう意味で
何をどう食べるかを
解説しています。
そう言いながら、
また、甘いものを
食べ過ぎている私は
どうなんだろう。
2011年3月5日土曜日
ヒヨドリ
最近よく来る
ヒヨドリ。
ご夫婦か恋人同志か
はたまた、
単に友達同士か
いやいや、
どうも様子を観ていると
餌にありつきたいと
機会を狙って
いるらしく、
仲良くシェア
しましょうね!
という雰囲気でも
なさそう。
今日の餌は
オーガニックの
シリアルをすり鉢で
すり潰したもの。
まあね、我が家は
全員、オーガニック
ですから。
で、ヒヨドリちゃんは
満足してくれるの
かしらねえ?
2011年3月4日金曜日
朝食
(このテーブルです)
の上で朝食です。
ウチの若いもんが
昨日遅くまでかかって
組み立てて
くれました。
そして、これ又
違う若いもんが
(天然酵母のパン)
を焼いてくれたので
今日はこれと
3年番茶で、朝ごはん。
良いですねえ、
4月から、私も新学期
ここで、またもや
喫茶店を始めようと
思います。
いい季節ですねえ。
2011年3月3日木曜日
任侠“俄”
IKEA
イロイロ物色して、
お腹が空いたので、
レストランへ。
食べながら、もう一度
買うかどうかを
検討しました。
しかしまあ、
相変わらず
なんて言うことのない
味付けで、
スウエーデンの人の
味覚は何が基準なのか。
ハッキリは
いわないけど。
で、帰って来てから
我が家で"おからピザ"を
食べました。
これが美味い!
ヘルシー、
そして、安い。
お腹もやっと満足。
さて、さて、
これから、組み立て
楽しみですよ。