Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2013年9月30日月曜日

天然酵母のお店“宗像堂”

軽くお昼をと入ったお店で
大嶺実清さんのコーヒー茶碗とケーキ
皿を発見。
いい色合いです。

読谷山窯

4つの窯元が集まって使っている
という登り窯。
ここの総帥が大嶺実清さん。
ここで総帥のかなり大ぶりの水玉
模様の急須を買ってしまった。

ヤチムンの里

沖縄の言葉でヤチムンは焼き物の事
なんですって。
これは有名な作家さんの作品。
欲しい!

木の生命力

フクギの根っ子の凄さ!
人はこんなにも生命力はないけど、
こんな木の姿を観て、何かを感じない
訳にはいかないですねえ 。

首里城の中

首里城の中も外も今は半分が
修復中。
漆を塗って美しく改装中です。
木を最大に保存する為に漆が
有効だと誰が発想したのか、それだけの
為ではなく、おまけに美しいとは。
それにひきかえ、式年遷宮の伊勢神社
のなんと時代に合わない贅沢さ。
日本建築の白木作りの無残さ。
どこのお宅も白木作りの玄関は2ー3年
の内に雨水と土汚れで酷い事になって
いる。なぜ最初からニスでも
塗らないのか。
無垢であることが神聖で有る
•••ということなんでしょうけど。
先日も柿渋で家を磨くという伝統を守って
いる人達をテレビでやっていたけど、
ああいう技術は何としても残して
貰いたいデスねえ。
欧米の石作りの建築に比べ、木造の
なんと貧弱な•••と思っていましたけど、
ダカラこそ、こういう工夫が生まれている事に誇りを感じます。
ここは首里城の中。
係り員のおじさんが『写真撮っていいよ』
と誇らしげでした。

2013年9月28日土曜日

(千と千尋の•••)の物の怪の入口?

さーて、ここの石の入口を通れば、
あの千尋が千と呼ばれるもののけの
世界。
宮崎駿さんは色々な世界からその影響をうけているんですね。

守礼の門

正に沖縄といえば、(守礼の門)
ここの前で家族全員証拠写真と
言いたい処ですが、却下。

しむじょうの裏側

本土では見られない植物が庭いっぱいに生い茂っています。
草いきれがムンムン。

沖縄ソバの店(しむじょう)

沖縄の古民家そのままの佇まい。
家も庭もお•き•な•わ そのもの
おそばも美味しかった。
沖縄は植物も道も人の顔も看板も
服装もみんな本土とちがいます。
そして、時間というテンポも。

2013年9月27日金曜日

風を切る!

時々強く吹く風を感じながら、軽快に?自転車を駆る心地良さ!
スキーの直滑降の醍醐味には負けるけど•••
随分前、いや、ずっと昔に味わったかもしれない、この自分が支配している•••という快感、いや錯覚に酔い痴れるのもいいものですねえ。
とは言っても、都会のかなしさ、飛び出して
くるトラックやタクシーにヒヤヒヤ、ハラハラも醍醐味の一つ•••と言うのは
悲しい。
今日も知らない道を行って、日蓮宗の
お寺さんを見つけました。
それに、もう一つ、言ってはなんだけど、(出口)という表札を見つけ、思わず
写メしようと思ったけど、失礼だな、
と思い、断念。
明日は沖縄です。

2013年9月24日火曜日

Tears in heaven

蛙のマペットが歌う"Tears in heaven"。
トム ハンクスのような声がお父さんの
子守唄のようにも聞こえて、癒されます。

歌う蛙は言います。
現代において、お父さんのような優しい
歌声と励ましの声を子どもたちに送りたいと。

現代において確実に音楽は衰退しているように
思われます。しかし、メディアに翻弄されない
しっかりした音楽集団は存在します。
この人達は本物を子供たちに伝えたいと
がんばっています。

本編はyou-tubeのacousphere tears in heaven
で検索すればみられますよ。

2013年9月23日月曜日

彼岸花

まさに、お彼岸の時に咲くから(彼岸花)。
これは薄い黄色の花が咲く変わった品種の
彼岸花。
紅い品種のは余り好きじゃないけど、これは
亡き母が園芸教室で貰ってきたのが増えたもの
です。儚い薄い黄色が気に入っています。

今日は多摩墓地に行ってきました。
案の定墓石の間のあちこちに咲く紅い彼岸花を
たくさんみかけました。
でも、紅い彼岸花はお墓の花という位置づけが
できているようで、それだからこそ人々に愛着を
持って接して貰えないのかもしれませんね。
決して、切花にはなりえない。

この黄色い品種は根元から切って束ねたら、きっと
綺麗。

醤油麹と甘麹

毎日ではないけど、時々かき混ぜてやらないと
ご機嫌が悪くなるこの麹たち。
最近はこれを使っての料理のレパートリーが増えた
為か、特別かき混ぜるというより、料理のたびに
ちょっとひと混ぜすれば良い事が分かり、料理も
美味しくなって、便利、べんり。

醤油麹はお醤油系の煮物でもいいし、お肉や魚をあらかじめ
この麹に半日でも漬けておけばあとは焼くだけでおいしい。
あとはモヤシやキャベツなどを一緒に炒めれば、おいしい
野菜炒めになる。
甘麹はそのまま少し薄めて甘酒で飲んでも良いし、カボチャ
やサツマイモなどを甘く煮たい時に使えば簡単に柔らかく
なります。
最近、柔らかく煮てもどした大豆を冷凍して置いた
ものと、ニンジン、ハス、牛蒡と一緒にヒジキを
煮たのですが、(勿論、醤油麹を使ってですが)、麹は
煮たあとも生きていて分解し続けるので、食べ切るまでに
大豆がドンドン柔らかくなり、食感が悪くなってしまいました。
これは使わないほうが良いのかもしれません、麹をね。
クタクタの大豆がお好きな方には良いかもしれませんが、
私はダメでした。
何でも使えば良いというのではなさそうです。
食感も大事です。

2013年9月20日金曜日

今年も月下美人

今年は6月の1カ月の私の不在が祟ってか、
花芽が少ない。
それに加えて、満開の時期が2度も訪れて
いたのに、みんな何故か忙しくて、愛でない
ウチにひっそりと咲いて、しぼんでいた。
可哀想にもほどがある。
誰にも褒められず、なんの為に精一杯咲いたのか
分からない・・・とやけにもならず、最期の力を
振り絞って昨夜一輪だけ咲いてくれた。
今回はどんなに遅くても、眠くても、付き合わねば。

流石にウチの相棒も裏の孫まで借り出し、みんなで
静かに騒いで?・・・なんせ、夜の10時ごろですから。
写真を撮るやら、ツイートするやら、で大騒ぎでした。
今回の事で、機嫌を直してくれただろうか。

2013年9月19日木曜日

アメリカ横断ウルトラクイズ

今朝、なんの気なしにyou-tubeを開いたら、
『アメリカ横断ウルトラクイズ』の総集編
のようなものをやっていて、思わず引き込まれて
しまった。
これって、1976年が始まりだったんですね〜。
この時代はこの番組に国民みんながはまって
いたのでは・・・。
日本テレビの黄金時代だったのではと思います。
そして、you-tubeも進化を遂げ、この映像も
なんと40分もの長い時間の放送?でした。
で、ついでにパート2も観てしまって、朝の
貴重な?時間を2時間近くも消費してしまいました。

思い出しますね〜。こんな過酷なクイズなんて
とても無理だと思って、結局アメリカ旅行を
企て、自由の女神に会いに行ってしまいました。
あの時、1ドル147円くらいだったと思うけど。

そして、テレビなど見ない生活がこんなに楽しいとは。

でも、視聴する私が主役なのに、テレビと同じ感覚で
いつでも見られるという映像に朝の時間を費やして
しまったのは残念。
もっと、私主体でありたいデスね〜。
自分が本当に観たいものを選びたい。

朝イチでyou-tubeを開けるのは危険‼
面白いコンテンツがあり過ぎ。

2013年9月18日水曜日

自転車を買った!

miniの自転車を買いました。
少し前かがみになって走ります。
誰だっけ?あの(ジテジテ、ジテンシャに乗って)
って歌う人は?
考えてもカンガエテモ、あのなぎら健壱
と高田ワタルしか出て来ない。
このふたりマイナー過ぎて誰もわからない
と思う。
せめて、小坂一也の(サイクリング、サイクリング
ヤッホー、ヤッホーぐらいのマイナー止り
なら良いのにね。
私の時代も遠くなったな〜、なあ〜んて
思いながら、西荻窪のお豆腐屋さんまで、
ひとっ走り。
ここのお店は70過ぎと思われるご夫婦で
やっているのだけど、お店を閉めるXdayは
いつかと心配していました。
今日は40?代くらいの息子さんかな?
出て来て接客してくれましたよ。
わーい!まだまだ美味くて安心な
お豆腐に付き合えそうです。
良かったな〜。
で(ジテジテ、ジテンシャに乗って〜)は
若いもんに聞いたら、高田ワタルさんでした。
胸のモヤモヤが晴れました。

2013年9月14日土曜日

“空海の風景”下巻

司馬さんは雑密の世界が好きだった・・・というのは
意外な感じもするが、前からこの事はどういうことなのか
という疑問を持っていました。

『雑密というのは、インドの非アリアン民族の土俗的な
呪文から出たと思われるが、その異国の呪文を唱える
ことによって何らかの超自然的な力を得たいとい願うこの
島々の山林修行者が時に痛ましく、時に可愛らしく思われた。』
と司馬さんは言っています。

平たく言えば、安倍晴明などの出てくる"陰陽師"の世界
なのかと思いますが、例えば明日呪文によって雨を降らせる
とか、誰かの病気平癒を願って火を使い、護摩を炊き錫杖
のようなモノを振り回すようなものらしいんですね。
こういうようなシーンを映画の一コマとして観て、私は
かなりバカバカしいと思っていました。
妙な処で信じて仕舞えば大変な事になる・・・と近ずくのを
恐れていました。
しかし、私の実家には所謂祈祷師のような小父さんが時々出入り
していました。
この人は私の右手のペンだこのようなモノを蛇の抜け殻でこすって
治してしまった事があります。
その辺の細かい情景は覚えていませんが、確かにあのザクロのような
デキモノは治ってしまいました。

司馬さんは戦後の7〜8年間に仕事で京都の寺々を回ったそうで、
この時に日本思想史上、密教的なものを最も嫌っていたと
言っています。
純粋に非密教的な場を作り上げた親鸞のほうが好きになって
いて、好きなあまり、自分の中にある雑密好みを追い出そうと
しています。
しかし、皮肉にも現実に接触した僧たちとしては真言宗の、
つまり密教の僧のにおいの方がどの宗派の僧よりも人間として
切実に感じられるように思えてその人達と最も親しくなった
と言っています。

『空海の風景』というのは果たして小説なのか。
空海が生きていたその時代の日本、当時世界一だったという中国の
長安の都の風景、それに比べて日本という国の何と卑小な佇まいだったか。
とにかく、千年以上も前の人を小説にするのですから、大変だった
と書いています。
文章も"〜だったのではないか、〜と言ったと思われる、〜と感じた
に違いない。"という書き方がそこここに登場して、司馬さんの真摯な
態度が感じられます。

空海は日本一の天才だったと言います。
空海は日本文化の最も重要な部分を一人で創設したのではないか
と思われるほど様々な事をしたそうです。
日本思想史上の最初の著作とも言うべき『十住心論』を書きました。
政治的には密教教団を形成し、芸術的には密教に必要な絵画、彫刻、
建築から細々とした法具までの制作。
庶民階級の最初の学校『しゅ芸種智院』を京都に開設、詩や文章
を作るための法則を論じた『文鏡秘府論』まで書き、さらに、
『篆隷万象名義』という日本の最初の字書もつくりました。
このほか、讃岐の満濃池を修築し、あいまいではあるが、『いろは』
と『50音』を作ったとも言われている・・・らしい。

空海は孤独だったのではないか・・・と司馬さんは言います。
晩唐の文化は長安において爛熟していて、彼は自分の水準ーつまり
知的好奇心を含めてーに近い人々を仲間に持つ事に不自由
しなかったばかりか、向こうからかれの盛名を聞いて交わりを
求めて来る者も多かった。人生の悦楽の一つは自分と同じ知的水準
の人々と常時交わりを持ちうる事であるとすれば、帰国後の空海に
おけるこの面での寂しさはあるいは当然の事であったかもしれない。

空海は天皇にも倦き、京の田舎くさい貴族たちにも倦き、あるいは
南部の泥臭い長老たちを相手にしていたことにも倦いていたのでは
ないか。
空海の最初の弟子、実慧にも長安の都が恋しい位の事を言ったのでは
ないか・・・と筆者は考えます。
思えば、感情の量の多い人だっただけに狂おしい程のものがあったのでは
ないか、日本での空海は孤独であったろうと。

空海は承和2年(835年)3月丙寅(21日)に紀州高野山において生を
了えた。高野山の奥の院の廟所に黙念と座って居ると信じられている
など、諸説あるが、荼毘に付された、つまり火葬されたという記述が
ある。

今空海を思う時、司馬さんの、彼は孤独だったのではないか、の言葉が
哀しい。

2013年9月10日火曜日

いつものお店

深大寺に行くと必ず立ち寄るお店。
20年ほど前から多磨霊園に行って、
帰り道にわざわざ足を伸ばして?
ここに寄るのが楽しみです。
何軒か試して見て、やはりここかな
と落ち着きました。
それが蕎麦処"きよし"

深大寺蕎麦屋“きよし”

中之島の梨園の帰りに立ち寄った蕎麦屋"きよし"。
今日はここの親父さんが暇そうにお店の中で寛いで
いたのに、出くわしました。
いつもどんな人が中を仕切っているのかと顔が見て観たい
と思っていたのが、こんなにも簡単に、なんの惜しみなく
会えて仕舞うと、この感動?をどう隠したら良いのか・・・。

ちょっと動揺してしまいましたが、やっぱり、何か
曰く有り気な顔付きです。頭に白い手拭いを緩めに巻き、
口髭から顎にかけて白い髭が威厳ありそうに生えている。
小柄ですが、がっしりした感じ。
いつもながら、全く声は聴けません。男は黙って仕事と
いうのでしょうか。
そうですね〜、お歳は70代の真ん中位でしょうか。
でも、まだまだやるぞ!という気迫があります。
役者にこんな人がいたような気がしますが、名前が
わからない。
今日は天婦羅蕎麦。
この具材が凄い!
フキノトウ、アスパラ、レンコン、カボチャ、ニンジン、
エリンギ、インゲン、サツマイモ、たらの芽、海老2本と
盛り沢山。
このお品書きもこの小父さんのものなんですかね。
で、こんなに天麩羅を食べたらお蕎麦が食べ切れませんでした。

2013年9月8日日曜日

武蔵野美大の文化祭

吉祥寺からムーバスに乗って、"武蔵美"へ。
初めて訪れる美大ですが、文化祭というのも
久し振り。さぞかし賑やかな・・・と思った
のですが、閑散としていました。
時折の雨のせいかとも思いますが、静かですね〜。

展示物もあまり多くなく、生徒が少ないのだろう
かと高揚した気分も下降気味です。
油絵や陶芸の作品は少なく、生徒さんのデッサンの
習作が多かったのですが、流石にグラフィックデザイン
は凄い!
就職に直結という意味もあるのでしょうか、気合が
入っています。

ここは漫画"ハチミツとクローバー"の舞台になったところ
らしいですね。映画の実写版には主人公が好きになる
風来坊的な役に『伊勢谷友介』さんがでていました。
いささか芸能ニュース的になってしまいますが、この
伊勢谷さんがNHKの『白洲次郎』役をやってデビュー
した時、こんな美男子がいたのか、とおどろきました。

そして、最近では山本寛斎と兄弟らしいという事も
判明だそうですが、こういう美男子はどんな噂があろうと、
眺めていて楽しく、昔風に言えばブロマイドが欲しい
ところですが、今は、検索すればタチドコロニ会えますね。

な〜んて思いながら、吉祥寺に帰って来ました。