Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2014年2月21日金曜日

マオちゃんが泣いた。

六つのジャンプをこなして、見事演じきった浅田真央さん
凄い!
自己ベストを達成しました。
観ていて思わず涙がこぼれてきてしまいました。
村上佳菜子さん、鈴木明子さん、そして、浅田真央さん
日々の研鑽を積んで、このたった一度の闘いに照準を合わせて
成果を出す・・・というおそろしいほどの集中力。
それでもチョットした心の動揺が邪魔をします。

無駄のない肢体に美しい衣装を纏った姿はただ綺麗という
だけではなく、羨ましいというより、むしろ嫉妬を感じる!
それは美しさに対してだけではなく、その日々の努力に
向かって出来ない事を可能にしているその生き方そのものに
なんでしょうね。
演技の終盤には会場の人々がその想いを一つにして、手拍子で
参加する。
素晴らしい熱狂です。
人というのはなんと素晴らしい。






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2014年2月16日日曜日

山本一力『たすけ鍼』

作家が常日頃行動して、経験した事がそのまま作品に
現れる・・・こういう事は勿論そうだけど、そのまま
その文脈に現れたり、言葉を変えて現れたりする。
しかし、この作家の場合はあまりにもエピソードが
多すぎて、こういう人が文章を書くとどういう作品に
なるのか、とても興味がありました。

この作家さんは結構テレビに出て自分の経歴をお話しに
なっています。
そして、私はたまたまそういう番組に遭遇するのです。

この作家さんの結婚にまつわるお話は中々ロマンチック
です。
ある時、一力さんが銀座を歩いていると目の前を自転車
で通り過ぎる女性がいます。この女性の後ろ姿がなんとも
言えずいい!
かれは追いかけて交際を申し込みます。
ここから結婚までの過程は語られませんでしたが、なんと
素敵な出会いでしょうか。
そして、この女性は大店のお嬢さんで、ご多聞に洩れず、家は
経営に行き詰まっている時。
一力さんも借金に行き詰まっている時。しかし、この女性の親は
その辺を理解した上で、一力さんに協力をします。
サラリーマンを勤めながら、ひたすら小説を書き続けて、やっと
借金を返します。
事実はもっと複雑で、理解に苦しむような困難が続いたのでしょうが、
大まかに彼は語ります、『僕は極道者です。無茶苦茶な事をしていま
した。』と。
しかし、彼は真面目そうな真摯な眼を聞く人に真っ直ぐに向けて、
太く低い声でかたります。
声優でもやっていけそうないい声で素敵です。

さて、この作品には『医は仁術である。』という二人の医者がいます。
一人は鍼灸師であり、一人は町医者です。
この二人を中心に弱い人間や業腹な人間が巻き起こす事件が続きます。
この作家さんは自身の人間関係や家族関係の破綻を経験しているから
でしょうか、作中の人間に優しい眼差しをむけています。
『途方もない暴利であっても、人助けになっているのは、まちがいない』
と高利貸しにも一応の理解を示し、彼ならではの解決策を講じていきます。

ただ、残念なのはこの一冊で終わりではないのです。
続く・・・ということらしいですねえ。
さて、この後を買ってこなければ。

2014年2月12日水曜日

司馬遼太郎『街道をゆく 本郷界隈』

ソチオリンピックの開会式に安倍首相が出席。
後の北方領土問題会談を睨んでのことらしいですが。
おりしもこの本郷界隈という本に北方探検家の近藤重蔵の墓が
あると言う記述があって、思わずのめり込んでしまいました。

近藤重蔵1771年から1829年
この人は『死んだら魂魄は樺太に飛行し、其土にとどまりて、境辺を守護す』
と言ったそうです。
最晩年は獄中にあったそうで、幕府の忌諱にふれ、近江の大津藩にあずけ
られていたとか。
獄中、よく千島列島のエトロフ島経営の苦心談を物語り、幕府の
役人は腰抜けだから、いずれあの島もロシア人が横領してしまう
だろう、と言ったそうです。
その通りになってしまいましたが。

重蔵はエトロフ島の開拓者でもあり、ロシア人が勝手にやってきて
標柱を立てたのを倒し、『大日本恵土呂府』という木標をたてた
そうです。

さて、この標柱ですが。
ニコライ・Pレザノフ(1764〜1804)が日本を開国させ、日本から
物資を運ばせればいい・・・ということに異常な熱意を持って奔走
し始めたことが始まりだそうです。
この男は居丈高で常に行動力がありました。
元来が宮廷の官吏でした。
ところがイルクーツクに出張して、土地の毛皮商人と癒着し、その
女婿になります。
そして、皇帝の親書をとりつけ、皇帝の軍艦2隻借りて、勅使として
はるか長崎にやってきます。
これが、文化元年1804年のこと。
しかし、当時の長崎奉行はこれを冷遇し、半年も待たせ、皇帝親書を
突き返してしまいます。
そのため、かれの部下は樺太を襲い、エトロフ島の日本村を襲撃し、
また利尻・礼文島沖において日本の船舶を攻撃して焼きました。

函館に行った時、ロシア人の多い事や、ロシア料理店の多さにも
驚きましたが、帰って来てから地図を観て愕然としました。
何と北方四島の近いこと。
モスクワの政府にとってはシベリアの軍事・行政組織に食料や
日用品を送ろうにも遠すぎたために、この世界最大の領土は
慢性の食料不足の状態にあります。
北方四島は魅力的でしょうねえ。

重蔵は大津藩でなくなりましたが、駒込の西善寺にも墓があります。
今の西善寺のあたりは町名変更で文京区向ヶ丘1丁目になっています。

札幌の知人のお婆ちゃんはロシア人を(ろすけ)と言って侮蔑した
らしいですが、いつの時もお隣さんは利害関係が密接なだけに
仲良くは行かないのでしょうね。
ロシアにとっても大事な要衝の地ですから、そう簡単に返すはずも無い
でしょうし・・・。

2014年2月3日月曜日

ネスカフェ・ブックカフェ イン原宿

ネスカフェの経営するブックカフェがオープン。
原宿と神戸三宮?に2店舗だそうで、早速行って見ましたが、
イイとしのオジサン、オバサンは勿論、若いカップルも
沢山いまして、そして、皆さん、本を読んでらして、日本人の
"本好き"を如実に語っていましたが。
しかしながら、大画面のスクリーンに小山薫堂さんや西村なんとか
さんの対談が映し出されていますが、マニアックな本がずらりと
と思いきやほとんど本などなく、いや、何処かにあったのだろうか。

私的には全くなかったと思う。
何処が"ブックカフェ"かとがっかりです。
やはり、ブルックリン パーラーがいいですねえ。
本当に誰がセレクトするのか、面白いマニアックな本が
ズラリとならんでいますから。

でもでも、雰囲気はよかったですよ。
原宿って中々入れる所がありませんから。

2014年2月2日日曜日

(影法師)百田尚樹

友達に勧められて読んだこの(影法師)いいね〜。
男を泣かせる場面が一杯で、この私が何で男で
無かったか・・・と思わせるほどなんです。
読み始めたら途中ではやめられず、
家事をやってはこの本に戻り、
出掛けてはこの本を開き、
喫茶店を見つけては珈琲が冷めるのも構わず読み進め、
洗濯物を干しては本に戻り、
そうそう、この合間に娘の子供達が
インフルエンザで次々に移って、
寝込んでいるのを見舞い、
スープを運び、
娘の代わりにスーパーに行って買い物をしたりしながら、
やはりこの本を片手にそして
眼鏡を傍に携え、
まあまあよくやるもんだわい・・・と独りごち
ながら読み終えた。

戸田勘一、のちの名倉彰蔵と磯貝彦四郎の影法師の
ような生き様を描いたものがこの作品です。
ここには干潟を干拓して一大農地を作ろうとした
昔の人の苦労話が書かれていますが、さて、私が学生時代
農学部の学生との語らいの中に
『卒業して帰ったら、あの八郎潟を干拓して、一大農業を
目指すんだ!』
と夢を語っていた先輩がいました。
しかし、この先輩の話はこの『影法師』の戸田勘一のようには
行かなかったと思えます。
彼が故郷に帰り、私は結婚して数年立った。
その後の八郎潟はどうなっているのか。
で、調べてみた。
昭和27年に八郎潟干拓調査事務所が発足しました。
昭和40年、すべての水を掻き出し、八郎潟の底だった所が
15600ヘクタールの陸地にかわりました。
ここで約300万人の人が働き、20年に及ぶ歳月と852億円の巨額
を投じ、20世紀の大事業と言われるほどの大きな工事だった、
こんな事業をマジかに見て育った先輩はいつかこの事業に
参画したいと思って農学部の門をたたいたのでしょうね。
その後、お米にまつわる色々な異変は続きました。
日本でカリフォルニア米が売られたり、タイ米なども輸入されたりと
お米に関する国の政策はお粗末の限りが続いています。

『・・・すると一坪の土地で一日分の米が収穫できたということですね。』
『そういう事だな。おそらく人が一日に食べる米が獲れる土地の大きさを
一坪と定めたのではないかな。そして、ほぼ一年にあたる三百六十日分の
米が獲れる土地を一反としたのだろう。つまり、坪とか反とかいうのは
実はすべて米作りからできた尺度だったのだな。』

今お米の大切さをどれだけの人が思うのだろう。
炭水化物は太る、血糖値が上がる、だけの話題でお米が粗末に
扱われてきているように思えてならない。
いやいや、日本人にはお米が一番大切なんです。
米中心の生活が如何に大切か。
それも玄米ですが。