Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2010年12月31日金曜日

動的平衡

今日は更新がうまくいかず
志なかば、とりあえずここで終了。
また明日かきますね!
ごめんね!

2010年12月27日月曜日

玉葱の皮

玉葱の皮のスープを使って今回はチキンカレーを
作ってみました。
コクが出て、カラダがポカポカ。
おいしかったですよ。

このように野菜の皮は野菜自身のカラダを守って
いるのですね。
食事のバランスはそこにある健康な命を偏りなく
全て頂くことだそうです。
それを
"一物全体食"
というのだそうです。

美味しかった!
ご馳走様でした。
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玉ねぎの皮 その一

玉ねぎの皮って外側が茶色いですが、これって
玉ねぎの自衛手段なんだそうですよ。
タマネギは涼しい気候じゃないと、育たない
ので、腐ってしまいます。
で、暑い夏には自分で自分を守らなければ
なりません。
そのために、カラダを守るためのバリアー
成分の抗酸化成分がたくさん含まれています。

その中で、注目されている成分がケルセチン
フラボノイドの一種です。
これは血管の強化や、骨粗鬆症の予防、花粉症
アレルギー症状の緩和に効果がある…と言われて
います。で、続きます。
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2010年12月23日木曜日

楽しく生きる

昨日狭山市にある老人介護施設をみてきました。
一応、ピクニック気分で行きましょう!の掛け声で
出発したのだけれど、いやはや遠いこと。
道に迷い、いい大人3人が携帯の地図をみては、
ああでもない、こうでもない。
そうじゃない、この道がここよ!
いや、この道だよ。
とまあ、すったもんだの末、一時間半と踏んだお目当ての
施設が2時間半以上かかり、すっかりお腹が空いていたけど、
ともかく面接を終えてしまおうと理事長室へ。

帰り道は高速関越道を使って帰ろうという
ことになり、地図を見れば
《三吉パーキングエリア》
しかよるところがない!
ああ、お昼ごはんがあ〜〜。
パーキングエリアだから、
ナイフとフォークのマークがないから、食事内容は
期待できないよ!
もしかしたら、パンにコーヒーだけかも!
ともう一人に、あはは、と言えば、
えらいガッカリしてたみたい。

で、いざ入って見れば、あるわ、あるわ、
美味しそうな、そして、有名なパン屋さんや珈琲ショップが
ある。
《うわー、楽しい!美味しそうなお店がいっぱいあるじゃん!》
忘れていた、この人は食いしん坊だったことを。

それから、銘々に好きなもの注文して、悦に入った。
ゆっくり食べて、珈琲飲もうか!
小さいシュークリームのプロフィトロールのチョコの
かかったのも頼んで、小春日和のポカポカしたソファ
で楽しんだ。
で、思い出した。
昨日読んだ角田光代さんの本にあった。
《ある社会科学の研究者と話した時にヒントが浮かんだ
のだけど、引きこもりの人は
"今日外に出て、楽しいことがあるかも知れないという
保証よりも、外に出て嫌な事が一つもないという保証
の方が欲しいのではないか"ということに気がついた。
とおっしゃるのですね。
このことの意味がちょっと分かったような気がした。

この世の中は嫌なことの方が多いんだということ、
他人(ヒト)との係わりはいつも骨がおれること。
生きている以上、毎日遊んでも、働いても疲れる。
だけど、ヒトとの係わりは意気投合すれば
こんなに楽しいことはない!
努力をすれば良い事がかえってくることも時としてある。

嫌なことが多くて大変なことも多い社会だけど、
今日も良かった!よかった!と励まして生きる。
ビールが美味しくて、良かった!
ご飯が美味しくて、良かった!
お風呂が気持ち良くて良かった!
と生きようと。
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2010年12月21日火曜日

角田ワールド

"角田ワールド"にはまり始めている。
『ロック母』
『八日目の蝉』
『空中庭園』
『3面記事小説』
『対岸の彼女』
を一気に読んでみた。
『対岸の彼女』はなんと二度目だった。ショック。

この中の『ロック母』は暗い、くらい、とてつもなく
暗く、よくこんなに暗い結末で平均でいられるもんだ
と半ば呆れ、半ば尊敬する…。
特にこの文庫本に収められている『夕べの神様』は
1992年の芥川賞にノミネートされたそうだが、編集者が
いう簡単なアラスジが
《グレた娘が家に火を放って逃亡する》
というまとめ方に筆者自身ががくぜんとする、という
くらさ。

角田さんの小説を始めからいつも読んでくれて励まし
続けてくれた一編集者がいた。
このヒトがある時言ってくれたそうである。
『貴方の作品は厭世的だ。
こんなに世の中を嫌ってもしょうがないだろう。
今世の中に残っている小説はみんな希望を書いている。』

確かに『夕べの神様』はその最たるもので、娘が火を
放って逃げて、お終いになる。

そののち、角田さんは『対岸の彼女』で
今信じていることではなく、何を信じたいかを
思い、最後に希望を書いた。
それが直木賞を受賞することになる。

この角田さんは言います。
人と人との関わりを書きたい。
人と時代の関わりを書きたいと。
そして、にんげんの資質を問いたい。
人は何か問題があった時、対処の仕方がそれぞれ
違う。
これはどうしてなのだろうか。
何故この人はそう考えるのか。
何故、この人はそんな処にプライドをかけるのか。
なぜ、この人はそんな事を恥ずかしいと思うのか
この資質の違いは遺伝か、後天的なものなのか。

そして、角田さんが今思うのはどんな問題があった
としても、ここにこんなに風に存在しちゃう限り
だから、しょうがないじゃん、
ポジティブに生きるよりしょうがないじゃん、
ということだとおっしゃっています。

この時代の家族にとって、一番肯定的な
答えは
『子供を産もう』
ではないか。
もう一人の世界を見る目が必要ではないか。

確かに彼女の小説には
『どんなに環境が厳しくても、子供を育てよう』
が救いになっている。


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角田ワールド

2010年12月14日火曜日

ラジオ体操

毎朝の散歩もいつでもできるとは限らない。
ここ数年やっていた朝の体操wiiもセットする
のが億劫になってきた。
以前はスポーツクラブも通っていたけど、結局
続かなかった。

朝早く眼が醒めてラジオをつけるとラジオ体操を
やっていたりする。
でも、そんな早くの時間に蒲団から抜け出して
体操する気にはなれなかった。

体操と言えば、思い出すことがある。
私は小学校の時期にすぐ上の姉と母の実家のある
平磯のお祖父ちゃんのところに遊びに行った。
そのお祖父ちゃんは毎朝庭に下りて、脚と手を
曲げたり、伸ばしたり、ギクシャク、ぎくしゃく。
その操り人形のような動きの体操を観て、私たちは
可笑しいやら、哀しいやら。

そして、今私は何も運動らしきことをやっていない。
カラダは確実に硬くなっている。
前後の曲げ伸ばしはいいけど、横曲げが
硬い!そして、いつも痛い右肩と右側の
首のかたいこと、かたいこと!

で、ふと思いついて、YouTubeを開いて
"ラジオ体操"をだしてみた。
おお、!ある、ある。

で、私はiPadで毎朝好きな時にラジオ体操をやり
はじめました。
時には一日2回も3回も、好きな時に、すきなだけ。

カラダを動かした時の"爽快感"はイイですね〜。

ラジオ体操

2010年12月12日日曜日

故郷忘れじがたく候

食後のひととき、流れによっては、思いもかけず
話が盛り上がる。
若い人たちが先日沖縄で素晴らしい焼き物を観た
ことから、陶器の話になり、私自身は随分前に
読んだ司馬遼太郎さんの
『故郷忘れじがたく候』
を思いだして、その夜読み返してしまった。

16世紀末、朝鮮の役で、薩摩軍に日本に拉致
された数十人の朝鮮の民がいた。
初めて読んだ時はこの拉致の言葉が重くて
人間の所業は全て同じだな…と思った。

その頃に連れて来られた韓国人は李、林、朴、鄭、
陳、金、崔、魯、沈、白、何、朱など。
その中の申という名の老人は日本に連れて来られた
時、日本の役人がこれを"さる"と読むのを嫌って
人偏をつけて、"伸"としたそうな。
この老人に橘南渓が
『すでに貴下にありましては、この日本に渡り
たもうて、何代になり給います。』と聞くと
『すでに5代に相成り申し候』と答え、
さらに、ふるさと朝鮮のことなど思い出される
ことなどありますまい、ときくと、
ーさにあらず、
二百年近くも相成り、しかもこの国の厚恩を
うけてかように暮らして、何の不足もありませんが
ヒトのココロは不思議のものにて候。
故郷のことはうち忘れず…
故郷、忘れじ(ぼうじ)がたし。…と続くのです。

彼らの故郷南原城は交通の要衝という地であったそうで、
ここに日本軍が慶長2年8月1日に宇喜多秀家、小西行長
島津義弘らが攻め入って、逃げ遅れた沈姓以下70人ほどが
島津勢に捕まったそうです。
当時の日本は茶道の隆盛時代で、どうやら陶磁の工人を
連れて帰ってくることも考えていたのではないか…と
司馬さんは書いておられます。
しかし、司馬遼太郎さん独特の揶揄を込めて、
『茶器は特に渡来ものが珍重され、たとえば、
韓人が日常の飯盛茶碗にしている程度のものが
日本に入り、利休などの茶頭の折紙がつくことに
よって、千金の値がつく、南蛮人はちょうど、
ヨーロッパにおける宝石のような扱いをうけて
いる』と書いています。

彼ら韓人は捕えられはしたものの、日本では
秀吉が死に、島津義弘はいち早く博多に帰ったらしく、
想像だが、ボロふねに残されて、九州西岸の島を
伝って日本にやって来たのではないかと司馬遼太郎
さんは言います。
薩摩藩の苗代川には大規模な白磁工場が作られ、
コーヒー茶碗や洋食器を作って、長崎経由で輸出して
この藩は暴利を得、結果的には倒幕のための一財源に
なったそうです。

後、この一族は沈寿官という。現代の沈寿官が韓国に
いって、学生の前で講演をした時、若いヒトのだれもが
36年間の日本の圧制について語った。
『もっともであり、そのとおりであるが、それを言い過ぎる
ことは韓国にとって、どうであろう。
言うことは良くても、それを言い過ぎることは若い韓国
にとって、どうであろう。
言うことは良くても、言い過ぎるとなると、その時の
心情はすでに後ろ向きである。新しい国家は前へ前へ
と進まなければならぬのに、、この心情はどうであろう』
『あなたがたが、36年を言うなら,私は370年を言わねば
ならない』

これを言うのが日本人だったら、受け入れてはもらえます
まい。
しかし、多くのいろいろな立場のヒトが拉致や戦争や虐殺
などの全世界の負の遺産を水に流して,新しい開かれた
世界をめざすことができればどんなにかいいだろうに
と思うのは夢ですかね。

2010年12月11日土曜日

哲学する犬

我が家のモナちゃん外を観て何を
かんがえているのやら、
外を眺めるのが好き。

2010年12月6日月曜日

オレンジパンプディング

久しぶりに焼いてみました。
オレンジのエッセンスである、
グランマルニエをたっぷり含んだ
パンプディング。
ちょっと、焦げちゃったけど、
味は抜群。
おいしいよー。

2010年12月3日金曜日

『乳と卵』

『…とさらに冷っ、が増した声で冷り女子は静かに
言うと、は、じゃあさ、あなたがしてるその化粧は
男性精神に毒されたこの世界におかれましてどういう
位置づけになんのですか、その動機は一体何のために
してる化粧になるの、化粧に対する疑いは?と胸女子
が言えば、これ?これは自分のためにやってんのよ、
自分のテンション上げるためにやってんの、と冷っと
女子、それを受けて胸派女子は、だからあたしの胸だって
自分のために大きくしたいってそういう話じゃないの?』

普通なら読まない新人の若い女性の作品、増して
『芥川賞』『直木賞』などの冠の付いた作品には食指が
のびなかった。
なんとなく、パラパラとめくって、
"頑張れば、面白くなってくるかなあ〜"と粘ってみた。
改行はなく、
会話の部分が括弧がついたり、つかなかったり
句読点は少なく、
読点が多く、
文章が長い。
だけど、嫌ではないな〜と思いながら、
いつのまにか所定の椅子に
(最近嬉しいことに自分の机、椅子を快適な
環境にして、文字どおり読書三昧になった!)
座って、読み入っていた。

これのどこがアクタガワ賞なんだ!
と訝り始めた途端、この川上さんが牙を向いて
最近の女の子の怜悧な現実透視の眼を一見
どうかしていると思われる女子二人の掛け合いに
どうだ!というように披露してくる。

最近の女の子は変わった!
というより、時代が作り出してきたのだろう。
私がこの時代の女の子なら、
もっと、変わったことを言い、
もっと変わったことをコトを言うが為に
もっと、時代を見つめて、苦しまねばならなかった
だろう。

『…性別の関係しない文化であんたの行動だけは純粋な
人間としての知恵ですってそういうわけかよ、なんじゃそら、
大体女がなんだっつうの。女なんか、ただの女だっつうの
女であるあたしははっきりそう言わせてもらうっつうの。
まずあんたのその私に対する今の発言をまず家に帰って
ちくいち疑えっつの。…』

戦後60年の間に社会も技術もめざましくかわった。
特にこの日本の60年は他に類が見られないほどの
かわりようではないだろうか。
私は幸い旅館の娘であったから、一般家庭よりは時代の
空気を察知できるところにいたと思う。
今でいうビジネスホテルのようにひと月一回泊りにくる
お客様の話を聞くともなしに育った。
そして、仕事に必要な機械は進歩的な父によって、いつも
最新式だった。
電話の普及、テレビもいち早く設置したし、洗濯機や
皿洗い機もそう。ホテルへの移行も父の決断だった。
時代の流れにちゃんとのってきていたのだ。

そして、一番に変わったのは女性の生き方ではないだろうか。
今の女性は幸せかどうかは個人で決めることだろうけど、
少なくとも、自分で決める事ができる時代になった。

私が大学の頃、1960年代の後半、冒頭のような事を言ったり、
書いたりしたら、総スカンだったろうし、理解されなかったと思う。
しかし、『男と女』や『第二の性』の著者、ボーボワールを
知って、唄の文句じゃないけど、
"貴方好みの女になりたい"なんて、
決して思わなかった。
"夫の言うことが家のきまりなんですう"とか、
"夫が言うので、ズボンははかないの"
"夫が長い髪が好きだと言うから…"
という女性を
"なんと、まあ"と慨嘆していた。
誰かに決めてもらうのはかんたんだわね!と心の中で
軽蔑だった。

で、何事も自分で決めるのは結構大変です。
何てったって、考えなきゃね。

川上未映子さんの『乳と卵』
面白くて考えさせられる。
女だって、人間です!と言ってます、大声で。

『塩』

人間は海から生まれてきた動物です。
血液の成分も驚くほど海水のそれと似ています。
すなわち、人間は1パーセントの塩漬け生物でも
あるのです。
塩に含まれるナトリウムは血圧を上げる作用が
あります。
ただし、このナトリウムの力を利用しているのは
人間のほうなのです。
ナトリウムの力を利用して生命の維持に必要な血圧
を保つことが出来るのです。
無理に減塩して、ナトリウムが不足すれば、全身に血
を巡らすことができなくなります。

体が冷える
よく下痢をする
立ちくらみ
めまい
無力感
手足のしびれ
ひどい物忘れ
熱中症
などは身体の塩不足の症状です。

地球の生命体は海から生まれ、陸に上がる時、
海を体内環境(血液や体液)に取り込んできました。
だから、血液や体液のミネラル成分は海水に極めて
近いのです。
ですから、塩が不足すると血液の塩分濃度が
薄まり、貧血状態になります。
口から摂取がした塩分は必要なだけ吸収されます。
さらに腎臓において、足りない塩分は回収し、余分な
塩分は排泄する仕組みになっているのです。
『熱中症』の時、水分だけを補給してもダメなのは
汗で水分とともに塩分も失われているからです。
水分だけ補給して、塩分をとらないと、血液の
塩分濃度が薄くなります。
体は血液の塩分濃度を一定に保つため、更に水分を
汗や尿として排泄しようとします。
そうなると、更に水分が少なくなり、脱水症状を
起こして熱中症が重度化するのだそうです。
今、若者に人気のスポーツ飲料は水分と塩分
の補給はできますが、糖分を大量に含んでいるので、
良くないそうです。

マクロビオティックや漢方では塩は身体を温める
陽性食品の代表です。
冷え性の民間療法に風呂に粗塩をひとつかみ入れる
『塩風呂』、または塩をとかしこんだお湯に足を
つける『足湯』があります。
東北の人たちが、塩辛い食事をしてきたのは寒い
冬に耐えられる体を作ってきたからです。
現に私の場合、玄米と塩のお陰で冷え性を改善し、
朝起きられないという低血圧(?)を解消して、
朝から元気に動ける身体になりました。
玄米を食べ始めてから、家族に『しょっぱい』と
言われるのが気になって塩に関する色々な本を
読んでみると今までの過った考えがわかりました。

『厚生省』の、『国』の、と御上の決めたことだから
有難い制度なんだろうと盲信するのはもういい加減に
辞めて、自分の知恵で、あるいは自分の行動力をもって、
調べ、考え、生活をしなければ手痛いしっぺ返しがまって
いることになりはしまいか。

『食べる』ことに関して言えば、
『汚染された肉を食べることの危うさ』
『工業製品である白砂糖』
『栄養分を削ぎ落とした白米』
『ミネラル分を排除してしまった塩』
『大量生産を狙うばかりの農薬まみれの野菜』
そして、今まさにアジア圏の農産物の自由化は
どんなに食卓を荒らすのか。
一部の経済関係の人はこの動きに乗り遅れたら、
日本はやって行けなくなる、すぐに、この動きに
乗るべきであると大騒ぎをしているが、経済も
大切だが、此れによって日本の食卓は荒らされるに
違いない。

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