戦国時代に石田三成が本能寺の変を起こした時、陽舜房順慶という人物が
いた。この人物は僧形の姿のまま信長の大名になり、信長の命で明智光秀と
姻戚関係を持った。
天正10年(1582年)信長は本能寺の変で光秀に討たれた事は有名だが、
この時、秀吉は順慶に戦場に参加せよ・・・という使いを出しました。
同じく光秀も当然の事ながら、使いを出している。
順慶は大軍を率いて山崎の戦場を見下ろす岩清水八幡の山《洞が峠》まで
きたが、しかし、それ以上は動かなかった。
眼下の戦場をみつつ、勝敗の決するまで待ち、やがて秀吉軍が勝ったと
観てからすばやく山を降り、秀吉方の織田三七の陣へ伺候して、大いに戦勝
を祝賀した。司馬さんは・・・とここまで書き、皮肉にもこの順慶は日本語の語彙
を豊かにしたとして、今日の倫理行為について《洞が峠を決め込む》という言葉が
なかったら不便だったろう・・・と、このような卑劣な行為が後々
《洞が峠を決め込む》という言葉でみんなが一度にすぐ、分かるようになったと
評価しています。
事程左様にこの歴史の大転換の時代に有名になった徳川家康や、淀姫などは
シェイクスピアに出てくるハムレットやリア王やセルバンテスのドンキホーテのように
その個性を名前を出すだけで、みんなが狸親父やわがままで権力をほしいままに
する女性の典型や、若くして人生の岐路に立ってどっちを選ぼうかと思い悩むヒト
を思い描いたり、世の中の移り変わりに気がつかずにいつまでも古いしきたりに
倫理の基本をおいたりする愚かな生き方を揶揄する時に使われたり・・・と会話を
豊かにする方便として続いてきました。
さて、今日それを言えばすぐ分かるという流行語があり、毎年流行語大賞が決まり
ますね。最近書道具店という地味な場所で会ったお婆さんの後ろ姿を観て、ギクリ。
《なんちゃら、阿部》と書いてあるハガキ大のカードを後ろからぶら下げている。
阿部政権を揶揄しているものとみられますが、このお婆さん流行語大賞でぶら下げて
いるのか、本当に政権批判なのか、それもただ、ぶら下げるように言われたのか
分かりませんが、その時代に生きている我々が何らかの形で参加しているこの社会に
流行る流行語というのにも知性と品格が欲しいですねえ。