Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2010年12月31日金曜日

動的平衡

今日は更新がうまくいかず
志なかば、とりあえずここで終了。
また明日かきますね!
ごめんね!

2010年12月27日月曜日

玉葱の皮

玉葱の皮のスープを使って今回はチキンカレーを
作ってみました。
コクが出て、カラダがポカポカ。
おいしかったですよ。

このように野菜の皮は野菜自身のカラダを守って
いるのですね。
食事のバランスはそこにある健康な命を偏りなく
全て頂くことだそうです。
それを
"一物全体食"
というのだそうです。

美味しかった!
ご馳走様でした。
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玉ねぎの皮 その一

玉ねぎの皮って外側が茶色いですが、これって
玉ねぎの自衛手段なんだそうですよ。
タマネギは涼しい気候じゃないと、育たない
ので、腐ってしまいます。
で、暑い夏には自分で自分を守らなければ
なりません。
そのために、カラダを守るためのバリアー
成分の抗酸化成分がたくさん含まれています。

その中で、注目されている成分がケルセチン
フラボノイドの一種です。
これは血管の強化や、骨粗鬆症の予防、花粉症
アレルギー症状の緩和に効果がある…と言われて
います。で、続きます。
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2010年12月23日木曜日

楽しく生きる

昨日狭山市にある老人介護施設をみてきました。
一応、ピクニック気分で行きましょう!の掛け声で
出発したのだけれど、いやはや遠いこと。
道に迷い、いい大人3人が携帯の地図をみては、
ああでもない、こうでもない。
そうじゃない、この道がここよ!
いや、この道だよ。
とまあ、すったもんだの末、一時間半と踏んだお目当ての
施設が2時間半以上かかり、すっかりお腹が空いていたけど、
ともかく面接を終えてしまおうと理事長室へ。

帰り道は高速関越道を使って帰ろうという
ことになり、地図を見れば
《三吉パーキングエリア》
しかよるところがない!
ああ、お昼ごはんがあ〜〜。
パーキングエリアだから、
ナイフとフォークのマークがないから、食事内容は
期待できないよ!
もしかしたら、パンにコーヒーだけかも!
ともう一人に、あはは、と言えば、
えらいガッカリしてたみたい。

で、いざ入って見れば、あるわ、あるわ、
美味しそうな、そして、有名なパン屋さんや珈琲ショップが
ある。
《うわー、楽しい!美味しそうなお店がいっぱいあるじゃん!》
忘れていた、この人は食いしん坊だったことを。

それから、銘々に好きなもの注文して、悦に入った。
ゆっくり食べて、珈琲飲もうか!
小さいシュークリームのプロフィトロールのチョコの
かかったのも頼んで、小春日和のポカポカしたソファ
で楽しんだ。
で、思い出した。
昨日読んだ角田光代さんの本にあった。
《ある社会科学の研究者と話した時にヒントが浮かんだ
のだけど、引きこもりの人は
"今日外に出て、楽しいことがあるかも知れないという
保証よりも、外に出て嫌な事が一つもないという保証
の方が欲しいのではないか"ということに気がついた。
とおっしゃるのですね。
このことの意味がちょっと分かったような気がした。

この世の中は嫌なことの方が多いんだということ、
他人(ヒト)との係わりはいつも骨がおれること。
生きている以上、毎日遊んでも、働いても疲れる。
だけど、ヒトとの係わりは意気投合すれば
こんなに楽しいことはない!
努力をすれば良い事がかえってくることも時としてある。

嫌なことが多くて大変なことも多い社会だけど、
今日も良かった!よかった!と励まして生きる。
ビールが美味しくて、良かった!
ご飯が美味しくて、良かった!
お風呂が気持ち良くて良かった!
と生きようと。
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2010年12月21日火曜日

角田ワールド

"角田ワールド"にはまり始めている。
『ロック母』
『八日目の蝉』
『空中庭園』
『3面記事小説』
『対岸の彼女』
を一気に読んでみた。
『対岸の彼女』はなんと二度目だった。ショック。

この中の『ロック母』は暗い、くらい、とてつもなく
暗く、よくこんなに暗い結末で平均でいられるもんだ
と半ば呆れ、半ば尊敬する…。
特にこの文庫本に収められている『夕べの神様』は
1992年の芥川賞にノミネートされたそうだが、編集者が
いう簡単なアラスジが
《グレた娘が家に火を放って逃亡する》
というまとめ方に筆者自身ががくぜんとする、という
くらさ。

角田さんの小説を始めからいつも読んでくれて励まし
続けてくれた一編集者がいた。
このヒトがある時言ってくれたそうである。
『貴方の作品は厭世的だ。
こんなに世の中を嫌ってもしょうがないだろう。
今世の中に残っている小説はみんな希望を書いている。』

確かに『夕べの神様』はその最たるもので、娘が火を
放って逃げて、お終いになる。

そののち、角田さんは『対岸の彼女』で
今信じていることではなく、何を信じたいかを
思い、最後に希望を書いた。
それが直木賞を受賞することになる。

この角田さんは言います。
人と人との関わりを書きたい。
人と時代の関わりを書きたいと。
そして、にんげんの資質を問いたい。
人は何か問題があった時、対処の仕方がそれぞれ
違う。
これはどうしてなのだろうか。
何故この人はそう考えるのか。
何故、この人はそんな処にプライドをかけるのか。
なぜ、この人はそんな事を恥ずかしいと思うのか
この資質の違いは遺伝か、後天的なものなのか。

そして、角田さんが今思うのはどんな問題があった
としても、ここにこんなに風に存在しちゃう限り
だから、しょうがないじゃん、
ポジティブに生きるよりしょうがないじゃん、
ということだとおっしゃっています。

この時代の家族にとって、一番肯定的な
答えは
『子供を産もう』
ではないか。
もう一人の世界を見る目が必要ではないか。

確かに彼女の小説には
『どんなに環境が厳しくても、子供を育てよう』
が救いになっている。


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角田ワールド

2010年12月14日火曜日

ラジオ体操

毎朝の散歩もいつでもできるとは限らない。
ここ数年やっていた朝の体操wiiもセットする
のが億劫になってきた。
以前はスポーツクラブも通っていたけど、結局
続かなかった。

朝早く眼が醒めてラジオをつけるとラジオ体操を
やっていたりする。
でも、そんな早くの時間に蒲団から抜け出して
体操する気にはなれなかった。

体操と言えば、思い出すことがある。
私は小学校の時期にすぐ上の姉と母の実家のある
平磯のお祖父ちゃんのところに遊びに行った。
そのお祖父ちゃんは毎朝庭に下りて、脚と手を
曲げたり、伸ばしたり、ギクシャク、ぎくしゃく。
その操り人形のような動きの体操を観て、私たちは
可笑しいやら、哀しいやら。

そして、今私は何も運動らしきことをやっていない。
カラダは確実に硬くなっている。
前後の曲げ伸ばしはいいけど、横曲げが
硬い!そして、いつも痛い右肩と右側の
首のかたいこと、かたいこと!

で、ふと思いついて、YouTubeを開いて
"ラジオ体操"をだしてみた。
おお、!ある、ある。

で、私はiPadで毎朝好きな時にラジオ体操をやり
はじめました。
時には一日2回も3回も、好きな時に、すきなだけ。

カラダを動かした時の"爽快感"はイイですね〜。

ラジオ体操

2010年12月12日日曜日

故郷忘れじがたく候

食後のひととき、流れによっては、思いもかけず
話が盛り上がる。
若い人たちが先日沖縄で素晴らしい焼き物を観た
ことから、陶器の話になり、私自身は随分前に
読んだ司馬遼太郎さんの
『故郷忘れじがたく候』
を思いだして、その夜読み返してしまった。

16世紀末、朝鮮の役で、薩摩軍に日本に拉致
された数十人の朝鮮の民がいた。
初めて読んだ時はこの拉致の言葉が重くて
人間の所業は全て同じだな…と思った。

その頃に連れて来られた韓国人は李、林、朴、鄭、
陳、金、崔、魯、沈、白、何、朱など。
その中の申という名の老人は日本に連れて来られた
時、日本の役人がこれを"さる"と読むのを嫌って
人偏をつけて、"伸"としたそうな。
この老人に橘南渓が
『すでに貴下にありましては、この日本に渡り
たもうて、何代になり給います。』と聞くと
『すでに5代に相成り申し候』と答え、
さらに、ふるさと朝鮮のことなど思い出される
ことなどありますまい、ときくと、
ーさにあらず、
二百年近くも相成り、しかもこの国の厚恩を
うけてかように暮らして、何の不足もありませんが
ヒトのココロは不思議のものにて候。
故郷のことはうち忘れず…
故郷、忘れじ(ぼうじ)がたし。…と続くのです。

彼らの故郷南原城は交通の要衝という地であったそうで、
ここに日本軍が慶長2年8月1日に宇喜多秀家、小西行長
島津義弘らが攻め入って、逃げ遅れた沈姓以下70人ほどが
島津勢に捕まったそうです。
当時の日本は茶道の隆盛時代で、どうやら陶磁の工人を
連れて帰ってくることも考えていたのではないか…と
司馬さんは書いておられます。
しかし、司馬遼太郎さん独特の揶揄を込めて、
『茶器は特に渡来ものが珍重され、たとえば、
韓人が日常の飯盛茶碗にしている程度のものが
日本に入り、利休などの茶頭の折紙がつくことに
よって、千金の値がつく、南蛮人はちょうど、
ヨーロッパにおける宝石のような扱いをうけて
いる』と書いています。

彼ら韓人は捕えられはしたものの、日本では
秀吉が死に、島津義弘はいち早く博多に帰ったらしく、
想像だが、ボロふねに残されて、九州西岸の島を
伝って日本にやって来たのではないかと司馬遼太郎
さんは言います。
薩摩藩の苗代川には大規模な白磁工場が作られ、
コーヒー茶碗や洋食器を作って、長崎経由で輸出して
この藩は暴利を得、結果的には倒幕のための一財源に
なったそうです。

後、この一族は沈寿官という。現代の沈寿官が韓国に
いって、学生の前で講演をした時、若いヒトのだれもが
36年間の日本の圧制について語った。
『もっともであり、そのとおりであるが、それを言い過ぎる
ことは韓国にとって、どうであろう。
言うことは良くても、それを言い過ぎることは若い韓国
にとって、どうであろう。
言うことは良くても、言い過ぎるとなると、その時の
心情はすでに後ろ向きである。新しい国家は前へ前へ
と進まなければならぬのに、、この心情はどうであろう』
『あなたがたが、36年を言うなら,私は370年を言わねば
ならない』

これを言うのが日本人だったら、受け入れてはもらえます
まい。
しかし、多くのいろいろな立場のヒトが拉致や戦争や虐殺
などの全世界の負の遺産を水に流して,新しい開かれた
世界をめざすことができればどんなにかいいだろうに
と思うのは夢ですかね。

2010年12月11日土曜日

哲学する犬

我が家のモナちゃん外を観て何を
かんがえているのやら、
外を眺めるのが好き。

2010年12月6日月曜日

オレンジパンプディング

久しぶりに焼いてみました。
オレンジのエッセンスである、
グランマルニエをたっぷり含んだ
パンプディング。
ちょっと、焦げちゃったけど、
味は抜群。
おいしいよー。

2010年12月3日金曜日

『乳と卵』

『…とさらに冷っ、が増した声で冷り女子は静かに
言うと、は、じゃあさ、あなたがしてるその化粧は
男性精神に毒されたこの世界におかれましてどういう
位置づけになんのですか、その動機は一体何のために
してる化粧になるの、化粧に対する疑いは?と胸女子
が言えば、これ?これは自分のためにやってんのよ、
自分のテンション上げるためにやってんの、と冷っと
女子、それを受けて胸派女子は、だからあたしの胸だって
自分のために大きくしたいってそういう話じゃないの?』

普通なら読まない新人の若い女性の作品、増して
『芥川賞』『直木賞』などの冠の付いた作品には食指が
のびなかった。
なんとなく、パラパラとめくって、
"頑張れば、面白くなってくるかなあ〜"と粘ってみた。
改行はなく、
会話の部分が括弧がついたり、つかなかったり
句読点は少なく、
読点が多く、
文章が長い。
だけど、嫌ではないな〜と思いながら、
いつのまにか所定の椅子に
(最近嬉しいことに自分の机、椅子を快適な
環境にして、文字どおり読書三昧になった!)
座って、読み入っていた。

これのどこがアクタガワ賞なんだ!
と訝り始めた途端、この川上さんが牙を向いて
最近の女の子の怜悧な現実透視の眼を一見
どうかしていると思われる女子二人の掛け合いに
どうだ!というように披露してくる。

最近の女の子は変わった!
というより、時代が作り出してきたのだろう。
私がこの時代の女の子なら、
もっと、変わったことを言い、
もっと変わったことをコトを言うが為に
もっと、時代を見つめて、苦しまねばならなかった
だろう。

『…性別の関係しない文化であんたの行動だけは純粋な
人間としての知恵ですってそういうわけかよ、なんじゃそら、
大体女がなんだっつうの。女なんか、ただの女だっつうの
女であるあたしははっきりそう言わせてもらうっつうの。
まずあんたのその私に対する今の発言をまず家に帰って
ちくいち疑えっつの。…』

戦後60年の間に社会も技術もめざましくかわった。
特にこの日本の60年は他に類が見られないほどの
かわりようではないだろうか。
私は幸い旅館の娘であったから、一般家庭よりは時代の
空気を察知できるところにいたと思う。
今でいうビジネスホテルのようにひと月一回泊りにくる
お客様の話を聞くともなしに育った。
そして、仕事に必要な機械は進歩的な父によって、いつも
最新式だった。
電話の普及、テレビもいち早く設置したし、洗濯機や
皿洗い機もそう。ホテルへの移行も父の決断だった。
時代の流れにちゃんとのってきていたのだ。

そして、一番に変わったのは女性の生き方ではないだろうか。
今の女性は幸せかどうかは個人で決めることだろうけど、
少なくとも、自分で決める事ができる時代になった。

私が大学の頃、1960年代の後半、冒頭のような事を言ったり、
書いたりしたら、総スカンだったろうし、理解されなかったと思う。
しかし、『男と女』や『第二の性』の著者、ボーボワールを
知って、唄の文句じゃないけど、
"貴方好みの女になりたい"なんて、
決して思わなかった。
"夫の言うことが家のきまりなんですう"とか、
"夫が言うので、ズボンははかないの"
"夫が長い髪が好きだと言うから…"
という女性を
"なんと、まあ"と慨嘆していた。
誰かに決めてもらうのはかんたんだわね!と心の中で
軽蔑だった。

で、何事も自分で決めるのは結構大変です。
何てったって、考えなきゃね。

川上未映子さんの『乳と卵』
面白くて考えさせられる。
女だって、人間です!と言ってます、大声で。

『塩』

人間は海から生まれてきた動物です。
血液の成分も驚くほど海水のそれと似ています。
すなわち、人間は1パーセントの塩漬け生物でも
あるのです。
塩に含まれるナトリウムは血圧を上げる作用が
あります。
ただし、このナトリウムの力を利用しているのは
人間のほうなのです。
ナトリウムの力を利用して生命の維持に必要な血圧
を保つことが出来るのです。
無理に減塩して、ナトリウムが不足すれば、全身に血
を巡らすことができなくなります。

体が冷える
よく下痢をする
立ちくらみ
めまい
無力感
手足のしびれ
ひどい物忘れ
熱中症
などは身体の塩不足の症状です。

地球の生命体は海から生まれ、陸に上がる時、
海を体内環境(血液や体液)に取り込んできました。
だから、血液や体液のミネラル成分は海水に極めて
近いのです。
ですから、塩が不足すると血液の塩分濃度が
薄まり、貧血状態になります。
口から摂取がした塩分は必要なだけ吸収されます。
さらに腎臓において、足りない塩分は回収し、余分な
塩分は排泄する仕組みになっているのです。
『熱中症』の時、水分だけを補給してもダメなのは
汗で水分とともに塩分も失われているからです。
水分だけ補給して、塩分をとらないと、血液の
塩分濃度が薄くなります。
体は血液の塩分濃度を一定に保つため、更に水分を
汗や尿として排泄しようとします。
そうなると、更に水分が少なくなり、脱水症状を
起こして熱中症が重度化するのだそうです。
今、若者に人気のスポーツ飲料は水分と塩分
の補給はできますが、糖分を大量に含んでいるので、
良くないそうです。

マクロビオティックや漢方では塩は身体を温める
陽性食品の代表です。
冷え性の民間療法に風呂に粗塩をひとつかみ入れる
『塩風呂』、または塩をとかしこんだお湯に足を
つける『足湯』があります。
東北の人たちが、塩辛い食事をしてきたのは寒い
冬に耐えられる体を作ってきたからです。
現に私の場合、玄米と塩のお陰で冷え性を改善し、
朝起きられないという低血圧(?)を解消して、
朝から元気に動ける身体になりました。
玄米を食べ始めてから、家族に『しょっぱい』と
言われるのが気になって塩に関する色々な本を
読んでみると今までの過った考えがわかりました。

『厚生省』の、『国』の、と御上の決めたことだから
有難い制度なんだろうと盲信するのはもういい加減に
辞めて、自分の知恵で、あるいは自分の行動力をもって、
調べ、考え、生活をしなければ手痛いしっぺ返しがまって
いることになりはしまいか。

『食べる』ことに関して言えば、
『汚染された肉を食べることの危うさ』
『工業製品である白砂糖』
『栄養分を削ぎ落とした白米』
『ミネラル分を排除してしまった塩』
『大量生産を狙うばかりの農薬まみれの野菜』
そして、今まさにアジア圏の農産物の自由化は
どんなに食卓を荒らすのか。
一部の経済関係の人はこの動きに乗り遅れたら、
日本はやって行けなくなる、すぐに、この動きに
乗るべきであると大騒ぎをしているが、経済も
大切だが、此れによって日本の食卓は荒らされるに
違いない。

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2010年11月24日水曜日

『塩』

で、塩のお話しです。
『塩』とは『食塩』のことと誰でも思っています。
そして、塩とは『塩化ナトリウム』だと考えています。
でも、日本において塩(自然海塩)は海水をまるごと
凝縮して作るものでした。
その塩には主成分の塩化ナトリウムの他に(にがり)
の成分である塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、
塩化カリウム、硫酸カルシウムなどの(少量成分)
がふくまれています。
この微量成分が大切なミネラル分なのに、『イオン交換膜法』
によって排除してしまったのです。

さて、前回の青木先生は減塩食にしても一向に高血圧
の患者の血圧が下がらないことを踏まえさらに実験を続けて
塩分をとっても血圧が上がらないヒトが圧倒的に多いと
いうことがわかりました。
その後、1988年食塩摂取量と血圧の関係を明らかにした
国際的な調査『インターソルト・スタディ』では32カ国の
52のセンターで、約一万人を対象に、調べました。

未開センターの4センターを除いて、48のセンターで食塩摂取量
と高血圧の関係は何もなかったそうです。

今危惧されるのは食塩を減らす必要のない人までもが『塩ぬき』
になっていることです。
塩は元気の元です。余分な塩は体内にとどまるコトなく汗や
尿になって体外に排出されるのです。
日本は欧米に比べ、高温多湿です。
欧米は日本に比べ乾燥しています。
そして、日本人は古来植物である野菜を食べてきました。
欧米の人は野菜があまり取れない土地のため、昔から
肉を食べてきました。
動物性の食材は、植物性に比べて、圧倒的に塩の主成分で
ある『ナトリウム』が多く含まれています。
野菜は塩を含んでいません。
日本人は塩を摂る必要があるのです。

で、高血圧症の本当の原因は何かというと、
摂取した塩分に見合う水をとって、尿として排泄する
だけの力が腎臓にあれば問題はないことからも、腎臓の働きが
弱いヒトに起こるのです。
そして、今の塩化ナトリウムだけの『ナトリウム単独過剰摂取』
が問題なのです。
ヒトの体は絶妙のミネラルバランスによって調子を整えています。
単純に言ってしまえばカリウムとナトリウムのバランスです。
カリウムは果物などにたくさん含まれていますが、この果物や
甘いものの過剰摂取は体液のミネラルバランスを乱します。
ナトリウム単独の過剰摂取もバランスを乱すのです。

自然海塩はナトリウム、カリウム、マグネシウム、カルシウム
などの『4大ミネラル』を含んでおり、体のバランスをとって
くれます。
要するにこの微量成分のバランスと言えます。
塩が足りないと言っても極端にたくさん食べる人は
いないでしょうし、実際出来ないのです。
それよりは塩の摂取が少ないヒトの場合が問題です。
それも、減らす必要のない人の場合ですね。
で、つづきますw。

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2010年11月23日火曜日

日本人には塩が足りない

昭和46年(1971年)4月に『塩業近代化臨時措置法』
が成立しました。
この年のうちに全ての塩田が廃止され『イオン交換式』
という科学工業的な製塩法に切り替わって
しまったのです。
その理由は塩専売制度廃止にむけ、生産コストを
低減し、輸入塩に対して価格競争力をつけるため
ということでした。

ここにもまた、国の為というお化けが国民を無視して、
そして、国民の健康など一つも考えない変な制度が
闊歩し始めます。

厚生労働省は2000年に開始した健康づくり運動
『健康日本21』で、日本人は塩を取りすぎている
から減らしなさい、1日10グラム以下にしなさい
と指導しています。
今私たちの常識では
"塩は体に悪い"と考えています。
何故かといえば、だれも同じように高血圧になる
からと答えます。
何故、塩が高血圧の原因だとされたのか。
これは1953年、アメリカのメーネリーが行った
ネズミを使った実験によります。
ネズミに6ヶ月間、通常の20倍に当たる20〜30g
もの食塩を与え、さらに飲み水にも1パーセントの
食塩を飲ませました。
この結果、10匹のうち、4匹が高血圧になったそうです。
これが『塩が高血圧の犯人説』のキッカケです。
その後、1960年アメリカの高血圧学者のダールが発表
した論文では日本の東北地方と南日本を対象に、食塩
の摂取量と高血圧の発生率を調べました。

その結果、東北地方は一日平均27gで、一日平均
14gの南日本より多く摂取していることがわかりました。
しかし、寒い地方は寒い環境では血圧を上げて
血液循環をよくして、寒さに打ち勝とうとするのです。
また、この調査では同じように塩をとっていても
高血圧のヒトが多い所と少ない所があったことが
見逃されていました。
その後、メーネリーの実験を引き継いだ名古屋
市立大学教授の青木久三先生はもっと細かい
グループに別けて実験して、
『ネズミの死亡原因は高血圧ではなく、食塩の
排泄ができなかったために体液のバランスが
悪化したことだ』としています。
この功績により、米国心臓学界より、高血圧の
最高の賞と言われるチバ賞を受賞しました。
このことから分かったことは
『遺伝性の高血圧のネズミには食塩の摂取と血圧
には関係がないこと。』
『かなりの高塩分食でも水を十分に飲み、尿を排泄
できる能力があれば、血圧は上昇しないこと』
でした。
で、長くなるから次回にね。

2010年11月19日金曜日

軽井沢

軽井沢に行ってきました。
朝、まだ白々している時間に出発して、
約2時間。
高速を降りて碓氷峠を走るあたりから
雪が降りはじめて、この冬初めての雪。
寒いけど、サラサラ降る雪に非日常の
感動。
早起きしてきてよかった。

まだどこも開いてないので、プリンスホテル
ウエストの《桃李》で朝食。
残念ながら、ちょっとお粗末でした。

でも、2200円の元を取ろうとするものでは
ありませんねえ、ちょっと、胃に負担を
かけたかも。

その後ショッピング.モールへ。

その途中の散歩道に
この美しい絨毯の上に敷き詰められた
紅葉などの色とりどりの葉っぱたち。
自然というのは最高のアーティストですね。
マネのできない配合で落ち葉を敷き詰めます。

この上にどんどん降り積もる雪
絶景でした。
こういう悪天候は意外にも素晴らしい素顔を
見せてくれる。
寒さもものともせず、魅入ってしまいました。
モールでの買い物より数倍嬉しい。
自然は、時々意地悪のように顔色を変えるけど、
よくよく見れば、一瞬の間に至福の光景を
見せてくれる。

これを糧に師走もがんばろ!

2010年11月12日金曜日

水遣り

花を買って植木鉢に入れて、所定の場所に置いて
飾る。
庭がその花で華やかになり一時の慰めになるかに
思える。

だけど、このあとが忌々しい。
夏の間は、朝、晩の水やりを欠かすと、とたんに
容色が衰え、色が失われる花がある。

こういうのは大体決まって高いものだ。
お金と慰めとを天秤にかければ、確かに
無駄な!と思われる。

我が家はまず、ベランダの入り口、
そして、ベランダの先にある庭、
隣との間にある、狭いけど、長い空間、
我が家の表玄関、
そして、裏の家のこれまた狭い長い空間、
などなど、それぞれに陽の当たりと風の
吹き抜ける条件が違うところが様々に
違う草木を必要としている。

これらを存分に生かすにはどうすればいいのか。
何もしなければ、どんどん荒れていくこの庭は
私に安住することを許さない。

木はひたすら大きくなって、暴走する。
電動バリカンの大物のようなものを買ってきたり、
数々の新手のハサミでゴキゴキ、チョキチョキ、
ちょんちょんとやっつけて、
食い止めてきた。

小さい花への執着というのはないけど、
毎年、この時期にいつも花持ちがよく、
雪にうもれても健気に咲く
パンジーを買ってきてしまってから
はたと考え込んだ。

また、水遣りに翻弄される。

私は本当は小さい花のチマチマしたのが好きではない。

どちらかと言えば草木というような地植えの庭木の
世話がしたい。

家の前に飾る小さな花々もいいけど、
枯れては、また買って来て鉢植えにする・・・というのが
つらい。
それも花々がたまたま一年草ということもあるけど、
私がついつい忙しくて枯らしてしまったものがほとんど。

水やりは相変わらず忌々しいのだ。

暑くもなく、寒くもないこの時期、
夏のころほど、忙しくはないけど、
案外気を抜いていると枯らす事もある。

前はいつ遣ったかしらん・・・なんて思っているうちに
萎びている。

で、相変わらず枯らしている。

今度は草木の類いの少し大きな買い物をして、
地植えの庭木に挑戦してみようかと思っている。

今年の猛暑であちこちの家の生け垣が枯れてしまっている。

地植えだから、とか、庭木だからとか、
鉢植えほどは
“のどが乾いたよ〜”とは言わないだろうけど、
やはり枯れるんですねえ。

毎日通る散歩道にかなり枯れた木を発見して
今年の猛暑を思い出している。
そして、私がどんなに水遣りに時間を使ったかを。

“安曇野の白い庭”の著者の丸山健二さんは
《水やりは単調で退屈だが、植物をじっくり
観察できる。》と書いています。

そう、私は植物が好きだと言いながら、
植物に話しかけることがない。

いつも水遣りは面倒と言っていた私は本当に
庭の仕事が好きなのか考えてみる。

庭仕事は
息抜き、慰み、やすらぎ、唯一の労働と言えるもの。
やはり、庭がある限り頑張ろうと思う。

そして、水やりは相変わらず忌々しいもののままだろうか?


2010年11月7日日曜日

《土を喰らう日々》

水上勉さんの《土を喰らう日々》を読みました。

ところがなんと、この最後の解説のところに
丸元淑生さんが書いておられてびっくりしました。

そして、食という行為を自らの人生を踏まえて考えてきた
人だからこそ言える滋味あるエッセイは今の私にとって、
頭をガツンとなぐられるほどの感動をもたらしました。

水上さんは9歳の時に禅寺に預けられ、
その時から精進料理を覚えます。
そこの老師は承弁(水上さんの小僧時代の名前)に
『何もない台所から絞りだすことが精進や』と教え
予期せぬお客の到来時にも
『承弁や。また、お客さんが来はった。こんな寒い
日は、畑に相談してもみんな寝てるやもしれんが、
2、3種類考えてみてくれ』と言いつけたそうです。

水上さんは《典座教訓》という料理の本を書いた
道元さんをよく引き合いにだしておられますが、
これをまた、
丸元さんが引き合いにだして書いています。
《道元さんというのはユニークな人だと思う。
・・・・・
一日に3回あるいは2回はどうしても喰わねばならぬ
厄介なぼくらのこの行事、
つまり喰うことについての調理の時間は、
じつはその人の全生活がかかっている
一大事だと言われている気がするのである。》

ここにも食が大事であって、
《あなたはあなたが食べたものである》
ということが語られている。

丸元さんがこの本、この人の生き方に好感をもつのは
なによりもその料理の工夫が慰みやあそびではなく、ひとつの
「大事」としてなされているところ、だと言っています。

この一大事をコンビニなどで済ませることはやはり
寂しいかもしれませんね。

2010年11月6日土曜日

ほっつき歩く

曽野綾子さんの素晴らしいお話しをききました。
先日、podcastでその経験するところを聞いていましたら、
読書の薦めは勿論ですが、やはり、実際のところを
眺める・・・という視線は必要だと力説しておられました。

どなたもご存知だけれど、
日本船舶振興会のお仕事をしておられた経験から、
世界各地の貧困地域に行かれて
学校や病院や電気、水道の施設の普及などに尽力なさった
わけだけれど、その中で
世界はほとんどの、多くの貧国からなっていることと
『貧乏の定義は"今晩食べるものがない"』ということだけだと
おっしゃっておられます。

従って、今の日本には"貧乏人"はいない!
と喝破しておられます。

最近の著書では
《弱者が強者を駆逐する》というのをお書きになったそうです。
まだ、読んではいないのですが、言わんとする所はなんとなく
わかりますね。

今の日本の状況を嘆いておられる訳ですが、この方は猛女ですから、
嘆くというよりは"喝!"という感じ。
怒るけど、それについては悩まない姿勢が冷たく感じる方もいて、
それが嫌いという方もいるけど、私はこう言う姿勢が好きですね。

"自業自得"というのがこの方の基本的なお考えなようで、
好きな様になさい!
ですね。
そこには深い悩みを越えての上の姿勢なのではとも思います。

で、読書の薦めの他に観念的になるのを戒めて
"ほっつき歩き"の薦めもなさっています。

曽野さんはこのほっつき歩きを世界230何か国(?)のうち
200くらいの国を訪問して、経験しています。
それもほとんどがアフリカを訪れています。
そこで観てきたことを日本人に発信しているわけですね。

先日久しぶりにタクシーに乗る機会がありました。
そのタクシーの運転手さんはおしゃべりが大好き。
わずか1時間くらいの間に
ご自分の介護の経験と
それが終わった今、
近所の介護タクシーをやってあげようと思っている
という抱負と
今の預金高と収入が如何にあるかを話し、
そして、だから、みんなの為に働きたい
ということまで
つぶさに語ってくれて、
タクシーを降りた時には
すっかりくたびれ果てた。

けど、今の中高年は年金という有り難い制度の中で
ぬくぬくしているのは事実で、私などはほんとうに
ありがたや、ありがたや・・・なんだけど、そういう
ぬるま湯がなんとなく居心地が悪いと感じている。

勿論、それぞれが一生懸命働いて、自分で積んだお金に
色をつけてもらっているわけだから、
堂々と楽しめばいいのだけど、
このたかが運転手と言ってはなんだけど、
良い心がけには完敗、で、乾杯!










2010年11月5日金曜日

i-kuyou《アイ供養》

ヨドキチに久しぶりに行く。
照明器具とカメラのニューモデルを観に。

駐車場に入ろうとしたら、角の大手の
ファミリー・レストランが《仏壇屋》に変わってた。

『こっちの(仏壇)の需要が多いってことねえ。』
で、車がヨドキチの駐車場に吸い込まれるうちに
ひらめいたんだ。

『私さあ、仏壇に入れなくていいから。
で、お葬式もいらない。
あの有名な人だって、
『葬式無用、仏壇無用』って言って死んだんだし。』

『だったら、“バーチャル・仏壇”なんて、いいかも』
『あっ、それいいかも』
『アイ仏壇とか、アイ供養とかで落とせるようにしたらどうかな』
『そうそう、そしたら、遺影なんかも入れられるようにして、
お線香も、それから、あのチ〜ンとかやんのも出来るようにして、』

『お水を取り替えたり、お花を入れ直したり。』
『あとさ、アイお経とかも作ったり』

『いいねえ、宗派によって替えて、
浄土真宗とか、日蓮宗とか、曹洞宗とかみんな違う
宗派が選べるってやつ。
でさ、お坊さんの声の質や年齢や選べるのもいいね。』
『イケメンのお坊さんも用意して、』

『これっていくらぐらいで落とすと思う?』

こういう金勘定にうとい私、密かに千円かな・・・と思っていたら、
うちの若いもんが
『450円くらいかな?』
『いや〜どうだろう?マジに考えて105円がいいとこじゃない?』

ははは・・・こういう儲け話しは夢があっていいねえ。
だれかこの儲け話しにのる人いないかなあああああ。




デミョ・コサン・カラ・モソ

水上勉さんの『土を喰らう日々』という本の中に
タケノコについての章があります。

食べるには孟宗竹がおいしい。
そして、大久保恒次さんの『うまいもの歳時記』には
タケノコについての蘊蓄があると紹介しています。

でも、それに拠れば、タケノコの味は
《デミョ・コサン・カラ・モソ》の順においしいと
書いてあるのを不服として、食べるのは孟宗竹が
美味しいのにと、不満を述べているんですね。

で、デミョは大名竹
コサンはほていちく
カラははちく
モソは孟宗竹
のことらしいのですが、初めて聞きますねえ。

水上さんは小さい時、
貧乏な大工の息子として育ったそうですが、
隣の家のタケノコの林を羨ましく思いながら眺めたとか、
9歳の時に預けられたお寺にはタケノコの雑木林があって、
いつもそこにタケノコを掘りに行かされ、
タケノコ料理を作らされた話を情感豊かに語っておられます。

その想い出が大きいからか、
東京の自宅にも竹を植え、
仕事場の軽井沢にも植えて、自分で料理をし、
季節ごとに味わっていたそうです。

我が家にもかつて、孟宗竹の林がありました。
《雨後のタケノコ》というように強くて成長の早いこの方は
ときおり困り者にもなります。

ある時
床の間のタタミの床が変。
『ちゃんと、納まってないんじゃないの』
と持ち上がっている処を足でドン。
戻ってみれば又傾いている。
我が家の床の間の床は
どういう訳かタタミ一畳の広さもある。
そして、実際タタミで出来ている。
で、おかしいってことで、持ち上げたら
すぐ下は床下がのぞめる・・・
という作りになっていて、
はたして、この縁の下の力持ちはタケノコでした。
《良寛さんじゃあるまいし・・・》と
言われそうだけど、
これ、本当のはなし。
で、情け容赦もなく、切りましたけど・・・

あの頃少し大きくなり過ぎのタケノコを掘っては
タケノコご飯にしたり、
ワカメとの炊き合わせにしたり、
木の芽和えに(今でも山椒の木の芽が出ていると
大切に掘って一ヶ所に集めて植え直しています。)
したり、
そうそう、タケノコの千切りの卵とじとか、
そして、青椒肉絲ですね。

あの頃はタケノコなどは買うものだとは思いませんでした。
それに梅の木も紅梅、白梅、小梅(名前はしりませんけど、
小さい梅がなりました。)などがあり、
獲れるときは25kgも実って、
梅干し作りや、梅酒作りにおおわらわでした。

だから、梅も買うものだとは思いませんでした。
最近では義理の母が
《おにぎりなんて買うものだなんて思わなかった。》
と盛んにぼやいていました。
で、ばばあになった私は
《水なんて、買う物なの!》
とボヤイておりまする。

2010年10月30日土曜日

鉄分

最近紅茶を飲んでいていつも引っかかることがある。
何かの本で
《紅茶をたくさん飲むと何かの栄養素が流れ出てしまう。》
というのをショックとともに覚えたはずなのに、すっかり
忘れてしまった。
というのは私はかなりの紅茶好き。

で、2008年に食道がんで亡くなった丸元淑生さんの
《悪い食事とよい食事》を読んでいて、
その項目に出会いました。

“鉄の吸収を悪くさせるのは紅茶で、赤ワインや珈琲も
よくない。食事の時に飲むとよいのは白ワインとオレンジ・
ジュースで、ビタミンCを含むオレンジ・ジュースは鉄の
吸収を助ける。”

あれから25年もたっているのですねえ。
彼の
“丸元淑夫のシステム料理学”は
あの頃、私の生活に随分役にたってくれました。
なのに、すっかり忘れてしまうというのは!
“忘却とは忘れることなり”なんて言っている場合ではありません。

で、再度読み返しましたら、1980年代の本なのに、
今人気の分子生物学の福岡伸一さんの説と符合する
ところがあるのですね。
福岡さんがおっしゃるように人間の身体の真実は変わらない、
変わるのは私たちの理解する言葉が変わる・・・ということ
なんですねえ。

で、再認識したのが鉄のところ。
『平均的な成人の体内に存在している鉄の量は3、5〜4、5gに
すぎない。
小さじ10分の一の量である。
そのわずかな量の鉄が20兆にものぼる赤血球のヘモグロビンを
構成していて、毎分一億1500万個のヘモグロビンが新しく
つくられている。
・・・・
ヘモグロビンによって、全身の細胞に酸素が送られるが、この活動
をしているのは75%で、残りの25%は肝臓と脾臓と骨髄の
なかにフェリチン(鉄タンパク質)とヘモシデリン(血鉄素)の
かたちで保存される。
・・・
鉄は体内でリサイクルされている。
鉄がうしなわれるのは排泄ではなく、
皮膚の表面の細胞の欠損と呼吸によってである。』

で、この後、どう食べたら良いのかというところでは
鉄にはヘム鉄とノンヘム鉄の2種類あって、
ヘム鉄は動物性食品にしか含まれていない。
ヘム鉄は植物性食品のノンヘム鉄より吸収されやすい。

そして、ヘム鉄がノンヘム鉄と一緒に摂取された場合は
ノンヘム鉄の吸収を助ける。
牛肉やレバーや鶏肉などをわずかでいいから、野菜料理と
食べ合わせることが重要らしいんです。
で、野菜はピーマン、ブロッコリー、ほうれんそう、蕪の葉など。

さて、今晩の夕飯は?

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2010年10月28日木曜日

思い込み

最近何気なくボーッとテレビを観ていたら、
なにかドキュメンタリーをやっている。
難病を克服して、家族とともに御商売を続けている
という人の話しをかれこれ10分もやっているから、
ドキュメンタリーなんだろうと思って観ていると
なんだ、サプリメントの紹介だった・・・なんてこと
多いですねえ。
で、これを飲んでいると本当にいいですよ〜と何度も
繰り返されるから、その気になってしまう。

その度に思うんですよね。
いやいや、そういう事を始めたら、あれもこれもに
なるだろうし、きりがない。
そして、錠剤を飲むだけで健康になろうという怠け心
がいやだ。

こういうものを飲んでおいしいと思ったり、よく効くよ
というのも実は本当なんでしょうね。
ただ、他人(ひと)の話しや好みは千差万別。
そして、そういう体験談はえてして
“思い込み”が激しいもの。

今は情報が多過ぎてどれを取ったらいいか分からない。
取りあえず、人の意見や体験談は聞こうと思うけど、
振り回されないような確固とした知識をもちたいと思う。

“牛乳神話”をどう捉えるか。
牛乳はほっておくと上に油脂分が浮いて分離するので、
製造段階でこの油脂分を乳化させて、肌理の細かい分子まで
もっていく。
これが、肝臓、腎臓で濾過する時に編み目にひっかかって
体内に残りきれいに体内から除去されないから牛乳は
あまりのまないほうが良い・・・というのが私には
一番納得できる論拠だけれど、ベジタリアンにとれば、
それは動物の身体だからいけないという。

塩の取り過ぎで東北地方では高血圧が多いというのも
イコール塩の取り過ぎはいけないになっているけど、
これも諸説あって、
《日本人には塩が足りない》という本も堂々と出ている。
東北地方イコール塩の取り過ぎ、つまり漬け物ばかり食べている
という実情を外国の学者が調べてそれを根拠に
塩の取り過ぎが高血圧を引き起こしているというのだが、
これはまた後にまわすとして、

今回、産經新聞によれば日本酪農協会が調べた結果、
《牛乳を飲まないひとより、牛乳を飲んだ人のほうが成人病
になりにくい》と発表した。
この酪農協会というのも何かひっかかるけど、よくよく、読んで
みるとその根拠は
《牛乳を飲むと、それで満腹感があり、他のものが入らなくなる
ので結局量として少なくなる》
これはお話になりませんねえ。
酪農関係者頑張れ!

2010年10月25日月曜日

オヤジの好きな赤烏帽子

村上春樹さんは1978年の4月、神宮球場の試合を
観ていました。
ここは言わずと知れたヤクルトの本拠地。
ここで彼はビールを飲んでいました。
ヤクルト・スワローズのデイブ・ヒルトンが完璧な
ヒットを打ちました。
この時の気持ちのいい高揚感の中で彼は思います。
《よし、小説を書こう!》

その頃我が家は家族全員で神宮球場詣でをしておりまして、
信濃町でJRを降りて、絵画館の前を通り過ぎ、子供2人は
おやつをリュックの中に入れて歩いていきました。
そうそう、あのリュックの中には紙吹雪もたくさん
入っていました。

しかもいつも陣取るのは外野席の応援団の後ろ。
あの頃はペンキ屋である《岡田さん》という人が
応援団を指揮していて仕事のかたわら全国を追いかけて
いました。

オヤジは例のごとく、ビールを片手にメガホンを持って
ヤジを飛ばすという正統派。
子供はちょろちょろして、ここで食べるカップラーメンが
お目当てでした。

あの頃は単純で良かったな。
カップラーメンに入れる給湯器が何故かトイレの上手に
あって、カップにお湯を注いでいる間にツーンとした
臭いが上がって来ました。
でも、そういうことには関係なく、あのカップラーメンは
旨かった。

想い出というのは"貧しい"という形容詞がくっついていると
なぜにこうも美しいのか。

応援している球団が日本一の"巨人"ではなく、どちらかというと
あまり強そうでない、だけれど、若松や古田などに代表される
地味だけれど、謙虚で、日本のサムライのような良さを
持った選手らで構成されているこの球団が好き。

そして、やはり、村上春樹さんもこの球団が好きというのは
《自立を目指していた・・・》という彼の一端を現している
と思うのです。
強いだけ、
強さだけを求める、
強い為になんでもする
強い所に拠っていく、
一応強ければ大丈夫だろう、的な
表層的な面だけを観て生きていくことの危うさ。

それは違うんじゃないかな、と思ったら、
その波に乗らない。
孤立してもいかない。

今若者たちは考えています。
そして、いままで頼ろうとしていた大きな何かが
崩れて行く時代の中で図らずも自立ということを
考えさせられているのでは、
好むと好まざるとに関係なく。

あの応援団長の岡田さんも亡くなり、時代はかわりました。
我が家のオヤジはいまだに神宮詣でをしております。
家族に見捨てられ、流石に紙吹雪を作るのも辞めておりますが、
ヤクルトに付き物の青い小さい傘をリュックの後ろに突き刺し、
メガホンを入れ、球場の中で買うと高いからと
カップ酒を一つ入れておつまみ少々を携えて、
嬉々として参戦していますよ。
ははは・・・




2010年10月24日日曜日

自立という事


村上春樹さんは
"個人として自立すること"
を一つの目標として生きてきたそうです。
22歳の時結婚をして、どんな組織にも属さず
借金をして、自分でジャズ喫茶を開きました。

7年後に《風の歌を聞け》でデビューしますが
文壇には日本文学を破壊しているといわれて
攻撃されます。
多くの読者を獲得しているにも拘らず。

私も最初受け入れがたい本だなと感じて
いました。
《なんでこんなにみんながいい!
と言うのか分からない。》

確かに三島由紀夫とか川端康成とかの
美しい文章に慣れ親しんでいる今までの
古い?読者には受け入れがたい。

そして、1986年頃にはかなり名前が知られる
ようになります。
で、日本での軋轢を避け、ギリシャ、ローマと
居を移します。

その後
彼はアメリカに行き、4年半を過ごすうちに
思います。
《アメリカやヨーロッパでは人が個人として、
自立するというのは、言わば自明のこと。
つまり、日本を出て、アメリカにやってきて、
個であることをあえて希求しなくてもよくなった。》

私が好きな作家である丸山健二さんは
やはり、2年間の会社員生活を過ごして、
組織というものの難しさを感じ、作家生活を
始めるのですが、一風変わった作風で売れないという
生活を余儀なくされます。
今、別の意味で、つまり《安曇野の白い庭》に代表される
作庭で脚光をあびています。
彼も別のやり方で個人の自立を考えていました。

丸山さんは安曇野に身をうずめてしまいますが、
村上さんはさらに求めます。
《個であることをあえて希求しなくてもいいのなら、
じゃあ、その個人として、自分はいったい何を
すればいいのか・・・という命題が生まれた》

個であることは人生の目的ではない。
一人の個人としてなにをなしうるのか?
それが僕にとっての命題になった
とおっしゃっています。

アメリカに住んで思う事は
アメリカという国は立派ではない側面もあるけど、
ポジティブにインスパイアしてくれたこと。
社会から逃避することは出来ない、
このことを実感として叩き込まれたのだそうです。

そして、ポジティブで建設的なものを指向して
書いたのが
《ねじまき鳥クロニクル》

で、次回も村上さん

2010年10月21日木曜日

ひどい、著作権!

昨日のGIGAZINに載っていた著作権の問題
本当にいやですねえ

アメリカ映画などに出てくるお誕生日のシーンに
《HAPPY BIRTHDAY TO YOU》を歌っている
シーンが出て来ないのはどうしてかご存知ですか?
というのが最初の出だしなんですが、

もともと曲があって、これに単に歌詞をつけただけの
この歌詞に著作権があり、これを一回使うと大体5万円ほどの
著作権料が発生するとか。
HAPPY BIRTHDAY TO YOU
HAPPY BIRTHDAY TO YOU
HAPPY BIRTHDAY DEAR ・・・
HAPPY BIRTHDAY TO YOU
というたったこれだけの歌詞に
一回使うと金よこせ!
というのはどうなのか

今この著作権をもっているのはワーナーだそうですが、
この著作権料で年間200万ドルを稼いでるそうです。

中国のような著作権無視の世界は問題外ですが
おおかたは
この著作権で苦しめられています。
元々弱者を守る筈のこの権利が
強者の弱者イジメになっていて、
こんな濡れ手に粟のような金儲けは
感心しませんね。

折しも漫画家の《佐藤秀峰さん》の言い分も読みました。
かれは社会派?漫画家で
《ブラックジャックによろしく》という
優れた医療漫画を書いています。
しかし、その内容はかなり重い。
元気な時でないと読めないのですね。

で、出版大手に対する憤りを書いています。

コミック漫画の構想を練り、自分で作画している人の
権利がたったの15%ほどで、あとは出版社の儲けであると
いうこの構造は出版社の横暴ではないか。
確かに昔は出版社に作家が作品を持って行って
本にしてくださいと頼んでいた時代がありました。

作品を作った人は編集者に頭が上がらなかった。
機嫌を損ねればだしてもらえない。
そこで本になっても幾ばくかの見返りで
我慢をしていました。

確かに出版社の方も本を出すまでに
たくさんの人の手を煩わせてできあがって
いるのですから、それなりの利益は必要でしょう。
どの位の売り上げがあれば経費のなん%が解消できて
どのくらいの収入で潤うのか。

いつの間にかお互いの権利関係の平等が崩れ、
フェアーではない儲けの取り分になってしまって
いるのでは。

ここに、長い慣例や常識という名の非常識が
まかり通っている。
どこの世界もこの非常識が次世代を苦しめているのですね。
そして、大手はどっぷりあぐらをかいてしまった。
今、彼らはこの利権を必死に守ろうとしています。
しかし、時代は変わっています。

佐藤秀峰さんは新しい事にチャレンジしています。
インターネットでこの
《ブラックジャックによろしく》を
配信しています。
凄いことです。

私たちはこの漫画をインターネットで読めるのです。
そして、これはこの権利を持っている人がきちんと
取るべき利益を取得できるのです。
佐藤秀峰さん、よくぞ頑張ったと思います。

新しい風が吹いているんですね。



2010年10月20日水曜日

《読書家》

昨日の"松丸本舗"に行って感化されました。
松岡正剛さんの提示することはとにかく
既成概念に囚われない・・・という事。

本の提示の仕方、
この人の場合は本の背表紙を捜す人の前に
見せて並べるやり方。
平積みはあるけどこういう背表紙見せは
いままでありませんでした、と丸善側からは
言われたそうですが。
勿論、平積みもありますけど。

『やったことがないならやりましょう!』
とのひとことで松丸コーナーができた。
その他、本のくくりのしかた、書棚の工夫
書棚は昔の古めかしい大きな家のそれのような
雰囲気を醸し出している。
なんかカビ臭いあれ!ね。

ダメだったらやり直せばいいじゃないですか。
として始まった本の編集、提示の仕方。
実に面白く拝見させていただきました。

そして、ここには多くの受け手の読書家がいる。
この読書家が今や自宅でブログを書きつつ
なんらかの僅かな収入を得る時代になっている
らしい。

ブログをまとめて実際に本にする人もいるが、
ブログを書いてそのページが広告になるという。
全く、時代ですかねえ。
私たち読者はそのブログを読んで、ふむふむ、なるほど
なんて感想を抱いたり、
そうかな?なんて思ったり

私はこういう時代にどっぷり浸かって恩恵に預かって
いる割には心のどこかで納得していない。
人との交流は?
実際に対面してない言葉の交流は?
どうなの。と
未だに《これが、どう進むのかな》と不安な気持ちなのだけれど。
明るい未来もありそう。
出版業界もこの松丸本舗を観たら明るくなれるのでは。
だって、ほんとに楽しいもの。

そして、こういう読書家が増えることは一応いいことなんでしょうね。
だって、みんな基本的には暇で、驚きたいのだから。

2010年10月19日火曜日

松丸本舗

今日は東京駅のすぐそばの丸善書店に行ってきました。
松岡正剛(せいごう)さんの主催する本屋、松丸本舗を
観に行ったのですが、聞きしに勝る凄さでした。
本の陳列の仕方が全く違います。
普通は文庫本はブンコボン、
単行本はタンコウボン、
ジャンル別という並び方が普通ですが、
ここは本のワンダーランド。
関係がありそうな、なさそうな本がごっちゃに
置いてあるのに猥雑な感じがまったくしないで
何か楽しいのはなんででしょう。
そして、難しげな本の間に漫画が置いてある。

書棚も何か楽しく、百葉箱のような作りになっている
扉がついていたり、ちょっとおどろしいフランス人形が
寝かせて置いてあったり、棚の並びも一様ではなく
縦横無尽に置いてあって、
あれ、さっきの棚はどこ?と迷ったり
全く楽しませてくれますねえ。
こういう所は万引きなどの心配はありませんからね。

ここには地方からくるヒトも多いと見えて
キャリアーやボストンバッグををもってくるヒトもいるらしい
と聞いていましたけど、
いました。

ここで、大変な量の大人買いをするヒトがいるらしい。
私もちょっと大人買いをしてしまいました。

丸善は元々洋書専門でしたし、今もそうですが、流石に洋書が
多いというか充実していました。
そして、ホホオと関心して手にとったのが、日本のアニメの
英語版。
"one piece"などの漫画もありました。

松岡さんは読書技があっても良いとおっしゃっておられます。
色々な読み方があると言います。
読書は編集。
気に行った本があると、必ず3冊を同時に読んでいるそうです。
たとえば、今《東海道中膝栗毛》を読んだとしたら、
コミックの《聖☆おにいさん》(セイントおにいさんと読みます。)
やいとうせいこうさんやみうらじゅんさんの《見仏記》
を一緒に読むとか。

とにかく一度行くと刺激されますよ。
今夜も読書が楽しい。

2010年10月18日月曜日

Test


こちらのブログを開設するにあたって、
ただいまテスト中です。
孫のかわいらしい画像を
掲載しておきますが、
ブログとは関係ありません。
本開設まで、
しばしお待ちください!
by このブログ作者の息子

引っ越しました。

今後ともよろしく
お願いいたします。

iPadから送信

引っ越した

宜しくね