日々、司馬さんの造語力の凄さに圧倒されている私ですが、この
2つの言葉《ミズサビ》と《シオサビ》には思い入れがあって、ほお〜
という溜息がでてしまいます。
〈蘇州の美しさの第一は民家である。・・・城内の運河はいずれも
狭い。水に浸っている岸は、積み石で固められている。・・・
民家は運河の淵に密集している。どの民家も、白壁に暮らしの膏(あぶら)が
染み付いていて、建てられて何百年も経ている家も多いだろうと
思われた。古びて陋屋になりはてた家ほど美しく、その美しさは
水寂びと言えるようなにおいがある。
潮寂びのベネチアとは、そのあたりでもちがっている。〉
さらに、この賛美は続きます。
〈レンガは露わではなく、その上に漆喰を塗り、その事でレンガ壁を強くするとともに
雨が染み込むことを防いでいる。・・・どの家も日本で言えば、近世城郭の白亜の塗り
の櫓のように、ぶがあつく、中国における他の奢侈建築に見られるような無駄なー力学
構造ーとは無縁の遊びがまったくない。・・・蘇州の白い壁は古びれば、どこか哲学的
な味が出てくる。
圧倒的な言葉の羅列!
司馬さんの美を愛でる言葉は艶やかな薫がありますね。
あの時、こういう言葉が有れば、油絵の先生を納得させることができたのに。
ベネチア旅行から帰ってきて、印象に残ったのは、まさに潮寂びのレンガの家。
今にも朽ち果てそうな、地下から一階部分の壁のなんとも形容の出来ないレンガ
の美しさに感動した私は教会の建築や、絵画や、彫刻には眼もくれず、朽ち果て
ようとしている家ばかりを写真に収めて来ました。
その中から選んでこれを描きたいと私が言った時のせんせいの言葉は驚きの一言。
『これを描くのですか?』
それから、お互いに無言。
でも、家で一人で描いて、額を買い、わがやに飾っています。
美を愛でる基準は個々人で良いのですよね。
先生はチョット変わった生徒に言葉がなかったのでしょう。
今はもう、この世のヒトではありません。でも、生きてらしたら、会いたい
懐かしい先生です。