例年のごとく2日は明治神宮へ。
鳥居をくぐってすぐに長蛇の列。
その前にちょっと寄り道して、ここに居を構えた
加藤清正候の掘ったと言われる《清正井》に降りて行く。
案内人の声に素直に引かれて行く私たち。
《井戸の中に手を入れないで下さい。》
《ただいま、73人です。》
《はい、つぎの方降りて》
老いも若きも一斉に井戸のそばに行けば携帯をパシャ。
こういう光景を見るにつけ、一体日本という国は豊かなのか。
こういう私は一体何ものなのか、と思う。
初詣に来ている人はどの程度に神仏を信じているのか。
宮崎哲也さんに拠れば、
《生の意味や社会や文明は、たかだか死の恐怖によって
支えられているに過ぎない》
と言っている。
これをもっと下世話なステージまで落せば、人は日常の
習慣やシキタリや言い伝えを忠実に守ろうとはするけど、
何故そうするかをあまり考えてはいないのではないか・・・。
かく言う私も毎年続けているから今更辞められない気分。
不幸になりたくない、
不運に見舞われたくない、
祟りが怖い、
まだ生きていたい、
私たちは、人は必ず死ぬということを全く忘れている。
しんねん早々なんだけど、
《親が死に、子が死に、孫が死に。》
これは順番に死ぬということの当たり前の幸福を言って
いるのですね。