Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2013年10月6日日曜日

【『空海の風景』を旅する。】

かなり難解な『空海の風景』を優しく説明してくれるか
のようなこのNHK取材班の文章は嬉しい。
この取材班は空海の足跡を辿り、讃岐、奈良、室戸岬、
長安、博多、京都東寺、高野山・・・を旅しながら、
空海の風景を探っていきます。
空海は当時の仏教や儒教では(人間とは何か)に答えていない
として、突然姿を消して、7年の間、ひたすら山岳修行をして
山に籠ります。
ここに遣唐使の話が持ち上がります。
しかし、空海はこの時、まだ私度僧であり、乗船する資格
がありません。
この出航が一年延期になって、諸々の条件を大急ぎで揃える
為に周りに援助してもらい、空海は奇しくも乗る事が許されます。
これが第一の奇跡。

その頃、長安の都では密教の教えを授けられるただヒトリ
の人の恵果がいます。
ナカナカ会いに来ない空海をジリジリと待っていて、噂を聞くにつけ、
まだ会ったこともない空海に想いを膨らませていきます。
空海はこの人に格別に見込まれ、わずか3ヶ月でその全部を授けられます。
そして、その同じ年に恵果はこの世をさります。
これが第二の奇跡。

その後、空海は留学生(るがくしょう)であるから20年間帰って
きてはいけないのですが、早々に切り上げて帰ってきてしまいます。
これは勿論国禁をおかしている訳ですから厳罰ものです。
空海は帰ってきても直ぐには京都に登らず、九州の筑紫に
しばらくいます。

このあと、直ぐに遣唐使船は廃止になります。
もし、その時帰らず、20年間いたら、空海は永遠に日本に帰ってくる事
はできなかった。
これが第三の奇跡。

2001年5月、日本高野山の僧侶を中心とする真言宗信徒の一団が青龍寺に
訪れている。これは弘法大師入唐1200年の記念行事の準備を兼ねての参拝
だったそうです。
この寺には日本真言宗諸派の基金により、1984年9月に落慶した
『恵果空海紀年堂』がたっています。
中国の青龍寺にはこの時まで堂と呼ぶべき建物がなかったそうです。
青龍寺は唐代711年寺名を替えて青龍寺となり、60年後に恵果がこの
寺に入り、本格的に密教寺院になりました。その後唐皇帝武宗の
廃仏毀釈に遭い、以後900年間西安の地中深くうもれていたそうです。

ところが、1973年、司馬遼太郎さんが『空海の風景』の連載を開始
した年に、今の寺域周辺の畑地から寺院の門や塔、殿の阯が発見されます。
今は日本の僧が1200年まえに絶えた密教の所作を中国の僧に逆に伝えて
いると言われています。
これが第4の奇跡。

司馬遼太郎さんは言います。
遣唐使船日本出発の一年延伸といい、恵果の死の直前の伝授といい、
日本に帰る時の突然の高階真人遠成の来唐で一緒に帰る事が出来た
幸運といい、常に、ギリギリのきわどい瀬戸際で運命が幸運の
扉をひらいている、と。
その一つでもタイミングがずれていたなら、後の弘法大師はこの世に
存在しなかった。
空海がもし、グズグズと躊躇していたなら、運命は順繰りにその人生を
閉ざしていただろう、彼がその扉を開けたと言っていい、と。

司馬さんは自分と空海を同列に想いを馳せることは避けていますが、御自分が
連載を始めた時に寺が発見される奇跡を感じていたはずです。

『龍馬が行く』を書き始めた時も、少なからぬ因縁があります。
高知県出身の友人から龍馬について書いてくれと頼まれることも
そうでしたが、後で調べれば、当時の司馬さんが住んでいた
マンションは元土佐藩にゆかりのある土地だったそうです。
司馬さんが龍馬が行くを書かなかったら、これほど広く日本人の
心に坂本龍馬が残らなかったとおもいます。

そして、今、私は空海をもっと知らなければと思うのです。