大正5年(1916)、野十郎は26歳で東京帝大水産学科を
首席で卒業。
魚の感覚に関する研究を行っていた。また、卒業時に
授与の候補に挙がっていた恩賜の銀時計を辞退した。
これで、引くに引けぬエリートコースへの退路をタチ、
同時に栄誉心もかなぐり捨て画業に専念するしかない
道を選んだ。
この人は人生の始まりから厳しく、険しい道を選んで
いるのですね。
私はこういう生き方を自分では出来ないから、観たり、
読んだりするのが好きです。
そして、(それって、大変じゃないの!とか、難しい
でしょ!とか、不可能でしょ!)というのが、基本的に
イヤ。
難しい、大変、と言われれば言われる程、手を出したくなる
というへそ曲がり。
そんな人生も終盤に差し掛かり、そんな事も言えなくなって
きているけど、やはり、この歳でも出来る挑戦・・・と言う
なんチャラを模索中。
今は若い人のそんな挑戦に何となく、手を貸すのが喜び
になっています。
野十郎は人生の終盤に数えきれない程の『蝋燭』の絵を
描いています。
それを知人の誰彼、構わずにあげています。
この絵に何かを感じる人は大切に子孫に伝えているでしょうが、
何も感じない人に貰われていったとしたら、悲しいですねえ。
私は真似をして、何枚か描いた事がありましたが、全く上手く
行きませんでした、当然だけど・・・。
歳をとったから、少しは近ずけるだろうか。
不可能、無理、大変、・・・ですかね。