この人は若い頃から人間が存在するこの世界を
安穏を求める場ではなく、ひたすら修行僧のように
何かを追い求めて自分を律していく場として捉えて
いたのではないだろうか。
首席で卒業したという経歴をいとも簡単に捨て去り、
一か八かの世界に飛び込んで行く。
その為に、異性にも目もくれず、家庭も持たず、
楽な生活にも憧れなかった。
野十郎は魚の精密なデッサンを描いて、科学に対して
大きな疑問符を投げつけたノートにこう、書いている。
『こう、思い進む事が科学、これが迷信』
『科学をやっていると、自分の頭が滅茶苦茶になる。
動物学や科学や数学をやったり、哲学したり、
そんな事がいかに我が身に害毒した事か、
そのモルヒネ中毒を洗ひ落とすのに一生かかる。』
こんな激しい科学批判をする人を私は知らない。
しかし、科学万能の結果を今危ぶんで居る人が
少なく無い事を考えれば、この時代に害毒だと感じて
いたこの人はやはり、鋭い人だったんでしょう。
野十郎のノートには更に
『過去即未来
時間即無
未来即過去
空間亦復如是』
ここにある事が所謂彼の画業に現れて居る事なのかも
知れない。
あの蝋燭の絵がそうなんでしょうね。
彼は言います。
『道がなんだか知っているか、だったら、言ってみろ!』