"司馬遼太郎が考えたこと"1巻です。
司馬遼太郎さんは言わずと知れた事だが、
もと産経新聞の記者であった。
終戦を栃木県佐野の連隊で迎えます。
『東京への道は人でいっぱいです。
戦車が通れません。』
と上官に聞いた時、
『そんなもん、轢き殺して来い!』
との答えがかえってきた。
その時の衝撃は言いようがなかった。
日本人というのはこんなだったろうか
と考え始めたそうです。
それから、新聞記者になり、
京都の西本願寺などの宗教担当の
記者になり、宗教に造詣が深く
なります。
新聞記者から作家になり始めの
初期の司馬遼太郎さんの珠玉の
エッセイがこの1巻に収められて
います。
特にあの独特の文体についての随想が
あります。
『私は奇妙な小説の文体の修行法を
とりました。
小説を書くのではなく、しゃべくり回るのです。
・・・さる友人一読して、君の話のほうが
おもしれえや。此れは痛烈な酷評でした。
となると、まず、私は私の小説を、私の話にまで
近づける為にうんと努力しなければなりません。』
そして、出来たのがあの文体ですねえ。
勿論あの『梟の城』の製作秘話?ではちょうど同じ頃
日本という国は至る所がブルドーザーで破壊されて
いたのですが、その無念な想いを信長の比叡山焼き討ち
と結びつけて、独特な論法で読者を引き込みます。
そして、神戸や大阪などの街に対しても愛情を込めて語っています。
この辺の処では嫉妬を感じる程ですが、しかし、こういう
精神の屈折を(司馬さん流に言えば)もし、東京で生まれて
いたら、持ちえなかっただろうと思います。
実に面白いです。