新型コロナウイルスで大騒ぎの今。もし罹ったら自力で頑張って治すしかない・・・
という結論に達した。
そして、今 思い出すのが、5年前の一ヶ月の入院の思い出。
しかも、この頃、この司馬さんの近江散歩に出ていた東大寺の上司海雲さんの話題。
司馬さんは上司海雲さんの文章に「渾身の明るさがあふれている。」と評している。
「私は悪性の貧血というめずらしい難病で、昨年から阪大の付属病院で御厄介になって
いるのだが病院の夜ほどおそろしいものはないと言う事を初めて知った。」
東大寺の高僧であるこの人がこんな弱音を吐くのかと驚いたし、安心もした。
私はというと、この入院初日、激しい痛みがよなかに襲ってきたら、どうしたらいいのか
・・・しかし願いも叶わず、また激しい痛みが襲ってきた。
看護婦さんを呼ぶと直ぐに夜勤の女医さんが駆けつけて、点滴を打って下さった。
そうか、夜勤の先生がいつでも待機して下さっているのだ。
この後、心配は見事に吹っ切れた。
上司さんの文章は更に続きます。
「深夜の病室は、得体の知れぬ音が起こっては広がる場所だ、それも患者の呻きとか、
付添人の草履の音とかと言った正体の知れた物音ではない。・・・実はその音は、
自分自身の肉体や精神の内部から起こって来るものらしい。熱の上がり下がりや、脈はく
の緩急、熱と汗と痺れと耳鳴りと幻覚と幻聴、更には揺れ動く生と死に対し、体と心が
闘っている物音だ」
あの入院の頃、まさにこの文章を読んで、妙に納得がいったのです。
ところが今回、何気に手に取ったこの本。
しかも、まさにこのページを偶然にも開くと言うのはどう言う事なんだろう。
このページを開いて、思う。
私は見事克服しました・・・ということよりも、司馬さんはこの人の素晴らしさを
こんな言葉で締めくくっています。
「人間の弱さをひらたく肯定する心の佇まい」