若竹千佐子さんが『おらおらで、ひとりいぐも』で芥川賞の栄誉に輝きました。
故郷を飛び出して、50年。住み込みのアルバイトをしている時に後の夫と
なるべき周造と出会い、子供を二人もうけ、社会に送り出し、そして、今、周造を
見送って、一人になった桃子さんが毎日のように思う事は
『おらはひとりだ』という事。
そして、ここに来て後悔の念に絡め取られる。娘に対して、息子に対して、そして、夫
周造の不調に気づいてあげられなかったことへの自責の念。あんなに好きでたまらなかった
夫なのに、気づいてみれば今自分は一人を楽しんでもいる。人は結局、一人で身勝手なんだと
気がつき、尚もこの事に苛まれる桃子さん。
考えてみれば、後悔のない人生なんてない。ここに出て来る桃子さんは私達のそのままの姿なんでしょうね。
『あの時におらは分がってしまったのす。死はあっちゃにあるのではなぐ、
おらどのすぐそばに息を潜めで待っているのだすごどが。』
我々の年代の人間なら、誰でも考えること。終末までの期間をどう過ごすべきか。
そんな事を考えながら、朝起きて、新聞を取りにいったら、あの有名な論客の
西部邁さんが『自裁死』を遂げたそうですね。あの西部邁さんらしい。
『他人に死を弄ばされるなら、自分で死にたい』と常々周りの人に言っていたそうです。
ご冥福をお祈り致します。本当の意味で、民主主義を訴えていた人でした。
iPadから送信