ところがなんと、この最後の解説のところに
丸元淑生さんが書いておられてびっくりしました。
そして、食という行為を自らの人生を踏まえて考えてきた
人だからこそ言える滋味あるエッセイは今の私にとって、
頭をガツンとなぐられるほどの感動をもたらしました。
水上さんは9歳の時に禅寺に預けられ、
その時から精進料理を覚えます。
そこの老師は承弁(水上さんの小僧時代の名前)に
『何もない台所から絞りだすことが精進や』と教え
予期せぬお客の到来時にも
『承弁や。また、お客さんが来はった。こんな寒い
日は、畑に相談してもみんな寝てるやもしれんが、
2、3種類考えてみてくれ』と言いつけたそうです。
水上さんは《典座教訓》という料理の本を書いた
道元さんをよく引き合いにだしておられますが、
これをまた、
丸元さんが引き合いにだして書いています。
《道元さんというのはユニークな人だと思う。
・・・・・
一日に3回あるいは2回はどうしても喰わねばならぬ
厄介なぼくらのこの行事、
つまり喰うことについての調理の時間は、
じつはその人の全生活がかかっている
一大事だと言われている気がするのである。》
ここにも食が大事であって、
《あなたはあなたが食べたものである》
ということが語られている。
丸元さんがこの本、この人の生き方に好感をもつのは
なによりもその料理の工夫が慰みやあそびではなく、ひとつの
「大事」としてなされているところ、だと言っています。
この一大事をコンビニなどで済ませることはやはり
寂しいかもしれませんね。