Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2010年12月12日日曜日

故郷忘れじがたく候

食後のひととき、流れによっては、思いもかけず
話が盛り上がる。
若い人たちが先日沖縄で素晴らしい焼き物を観た
ことから、陶器の話になり、私自身は随分前に
読んだ司馬遼太郎さんの
『故郷忘れじがたく候』
を思いだして、その夜読み返してしまった。

16世紀末、朝鮮の役で、薩摩軍に日本に拉致
された数十人の朝鮮の民がいた。
初めて読んだ時はこの拉致の言葉が重くて
人間の所業は全て同じだな…と思った。

その頃に連れて来られた韓国人は李、林、朴、鄭、
陳、金、崔、魯、沈、白、何、朱など。
その中の申という名の老人は日本に連れて来られた
時、日本の役人がこれを"さる"と読むのを嫌って
人偏をつけて、"伸"としたそうな。
この老人に橘南渓が
『すでに貴下にありましては、この日本に渡り
たもうて、何代になり給います。』と聞くと
『すでに5代に相成り申し候』と答え、
さらに、ふるさと朝鮮のことなど思い出される
ことなどありますまい、ときくと、
ーさにあらず、
二百年近くも相成り、しかもこの国の厚恩を
うけてかように暮らして、何の不足もありませんが
ヒトのココロは不思議のものにて候。
故郷のことはうち忘れず…
故郷、忘れじ(ぼうじ)がたし。…と続くのです。

彼らの故郷南原城は交通の要衝という地であったそうで、
ここに日本軍が慶長2年8月1日に宇喜多秀家、小西行長
島津義弘らが攻め入って、逃げ遅れた沈姓以下70人ほどが
島津勢に捕まったそうです。
当時の日本は茶道の隆盛時代で、どうやら陶磁の工人を
連れて帰ってくることも考えていたのではないか…と
司馬さんは書いておられます。
しかし、司馬遼太郎さん独特の揶揄を込めて、
『茶器は特に渡来ものが珍重され、たとえば、
韓人が日常の飯盛茶碗にしている程度のものが
日本に入り、利休などの茶頭の折紙がつくことに
よって、千金の値がつく、南蛮人はちょうど、
ヨーロッパにおける宝石のような扱いをうけて
いる』と書いています。

彼ら韓人は捕えられはしたものの、日本では
秀吉が死に、島津義弘はいち早く博多に帰ったらしく、
想像だが、ボロふねに残されて、九州西岸の島を
伝って日本にやって来たのではないかと司馬遼太郎
さんは言います。
薩摩藩の苗代川には大規模な白磁工場が作られ、
コーヒー茶碗や洋食器を作って、長崎経由で輸出して
この藩は暴利を得、結果的には倒幕のための一財源に
なったそうです。

後、この一族は沈寿官という。現代の沈寿官が韓国に
いって、学生の前で講演をした時、若いヒトのだれもが
36年間の日本の圧制について語った。
『もっともであり、そのとおりであるが、それを言い過ぎる
ことは韓国にとって、どうであろう。
言うことは良くても、それを言い過ぎることは若い韓国
にとって、どうであろう。
言うことは良くても、言い過ぎるとなると、その時の
心情はすでに後ろ向きである。新しい国家は前へ前へ
と進まなければならぬのに、、この心情はどうであろう』
『あなたがたが、36年を言うなら,私は370年を言わねば
ならない』

これを言うのが日本人だったら、受け入れてはもらえます
まい。
しかし、多くのいろいろな立場のヒトが拉致や戦争や虐殺
などの全世界の負の遺産を水に流して,新しい開かれた
世界をめざすことができればどんなにかいいだろうに
と思うのは夢ですかね。