Acousphere Live 2016.10.11 吉祥寺Star Pine's Cafe

2016年10月11日(火曜) 吉祥寺スターパインズカフェにてスペシャルライブイベント「Acousphere with Friends」を開催します! 
Acousphere Recordに所属するアーティストが一同に集うライブをお楽しみください!
日にち:2016年10月11日(火曜)
場所:吉祥寺スターパインズカフェ 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-20-16 B1
出演:Acousphere / Acoustic Sound Organization / Aerial / Sonascribe
時間:Open 18:00 / Start 19:00
前売り ¥3,900+1drink / 当日 ¥4,900円+1drink
詳細はこちらをご覧下さい!

2013年8月30日金曜日

空海の風景

白馬にいる間に『空海の風景』の上巻が読み終わりました。
ペンションの1室で朝から読み耽って、2時間。
空海の凄さ、天才ぶりに感心して、しばし、茫然とする。
この本を読むと、膨大な資料を携えて、司馬さんが空海の
人物なりを構築していくあの凄さに読者は絡め取られて
しまいます。
司馬さんは言います。
『空海はかなり食えない男であった、かもしれない。』
空海が自分の故郷に沢山の満濃池を作ったことはつとに
知られている。
すでにこの空海の生まれた頃には今日の池のほとんどが、
存在したそうである。
このことで、讃岐の国は畿内の先進地帯に劣らぬ程の
人口を養っていたとも言われている。
私の友達はこの愛媛の出身だが、お米が二毛作であったり、
お米には苦労しない事情の中で育ったせいか、
又はこう言う歴史的事情からか、お米に関する有り難度が
我々東北?の人間より薄い?と言うのも頷けるというもの
である。
この彼女は駅弁の経木の蓋についている"ゴハン"がモッタイ
ナイという戦中派の夫の話を驚きを持って聞いて、
『シンジランナイ』と一言。

空海の思想には『貧しい者には物ををあたえよ、富める者には
法をあたえよ。』というのがあるそうです。
空海は彼が生きていたその時代の儒教に飽き足りないものを
感じます。
儒教はただの処世術の方法を説いたに過ぎないのではないか。
『儒学 、儒学と言っても、上古の俗教ではないか。』
恒に思えらく、我が習ふ所の上古の俗教は眼前すべて利弼(りひつ)
なし、と。
宇宙と生命の真実を明らかにして生きる事の秘密を知るについては
儒学は無力である。
インド人は宇宙の運動相のみを考え、
シナ人はそのことにはほとんど無関心で、
ひたすらに浮世の事実のみを重んじ、処世工夫のみをしている。

空海はもっと、根本的な事が知りたいと、若い頃から、唐の都に
行って、教えを、特に密教を習い受けたいと願います。
その後、願いが叶って、唐の都に行くのですが、着いた港で
留め置かれた時も空海が素晴らしい文章で唐の都の官吏を驚かせ、
まんまと許しをもらいます。
そして、空海はすぐにでも密教の権威の恵果和尚に教えて貰い
たいのですが、5ヶ月もの間、会いに行きません。
密教の伝法を受けるための入唐であるにも拘らず、会いに行かない
のです。
この辺が空海のシタタカサではないか、と司馬さんはいいます。
空海はここで知り合う様々な僧と交友関係を持ち、学識、語学力、
文章の美しさを披露します。勿論、この事は恵果和尚の知る処に
なります。
和尚は自分はもう老いた、
そして、病弱で長くはない。
誰か優秀な弟子に全てを教えたいと考えている時です。
時が満ちて、会いに行った時は面接もなしに、
貴方を待っていた、全てを教えましょう、と会って直ぐに
伝授が始まったという。
名もなき、一介の留学僧がいきなり行って、教えて貰える筈もない。
この辺の機微を空海はよく、知っていたのではないか・・・
と司馬さんは分析します。
それに引き替え、最澄のなんと、拙く、人間味溢れる不器用さ
でしょうか。
一応国のお墨付きを貰い、高い地位の留学僧として
行ったにも拘らず、あまり、華々しい活躍もせず、日本に
帰ってからも、結局密教の教えを空海に頼んでも断られる
という不甲斐なさです。
しかし、可愛い。

空海はのち高野山で62歳で入定する時、自分は兜率天の弥勒菩薩
のそばに侍するために行くのだ、と言った。
『悲嘆するなかれ、56億7千万年ののちに弥勒菩薩がこの地上に
下生する時とともにくだってくる。』といった。
空海は膨大な事業を地上に残したそうですが、果たして、
この平安の巨人は自分の人生に満足だったのか、凡人の私には
そのような角度からしか考えることができません。

この上巻の最後の講に空海がキリスト教を知っていたのでは
を推測する部分があります。
空海が唐の都にいる時には既にキリスト教が伝えられていて、
空海が住む界隈には、このお寺というか、其れを伝えるらしい
建物と本と僧がいたそうです。
司馬さんはこの空海という天才がその思想に無関心であったとは
思えないと言っています。
なん億年かのちに民を救うために下ってくるというあたり、宗教
と言えども、お互いに影響を与えるものなんだと感心します。
56億7千万年ののちに弥勒菩薩がこの地上に下生する。
地球は果たして存在するのか、其ればかりが気になります。