第150回芥川賞、直木賞の贈呈式が2月20日
都内で行われたそうな。
3人の女性の受賞でした。そのうちの一人
姫野カオルコさんは『昭和の犬』で受賞しましたが、
『映画や漫画に比べて小説は地味だが、炭火焼の
ように自分と違う感受性をじっくり読むのに
一番適した媒体・・・』と小説の魅力について
語ったそうです。
凄い!
実に言葉が見事です!
さすがです。
毎日、言葉を凡ゆるエッセンスで味付けして、
良い塩梅にかき混ぜ、じっくり熟成してくる
のを計算して文章を書いているんですねえ。
この炭火焼の字面を観て、昭和生まれの私などは昔から
今に至る暖房器具のあらゆる変遷を経験して来て、
そして、あの練炭を思い出してしまいました。
家の真ん中に位置する居間には掘り炬燵がありました。
このコタツに毎朝練炭を熾していれるのが、この頃の
我が家の朝イチの仕事でした。
そして、前の晩一日燃え切ってもろい灰になった練炭を庭に
放り出すのですが、半分練炭の形が残っていて、それを
見る度、
"れんたん・・・かわいそう・・・"
と思ったものです。
私はこの練炭が燃えるのを見るのがすきでした。
丸い練炭には丸い空気孔のような穴がいくつか空いています。
かなり燃えてくるとこの穴から炎が立ち上がってきます。
さだかではありませんが、7〜8この穴が空いていたと思います。
この穴から一斉に炎が噴き出している。
火山みたい・・・などと夢想しながらコタツの中に首を
突っ込んでいて、よく怒られました。
今思えば、中毒にならなかったのが不思議です。
だから、この頃は一酸化炭素中毒などの事故もありました。
かく言う我が家の母も疲れたカラダでこのコタツでうたた寝
をして、翌朝、この事故で運ばれましたが、幸いにして
軽い中毒であとになって笑い話になりましたが、間違えば私だった
かもしれません。
母が身をもって模範?!を示したのかもしれません。
でも、この練炭の燃える臭い、炭の燃える臭いは懐かしさ
と共に今は匂い、いや香りに変わって想いでと共に昇格しています。
時々炭火焼のお店の前を通ると釣られて入りそうになるのは
私だけではないでしょうね。
そして、炭の肌がパチンと弾ける音も心地よい。
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