《象牙の塔》と言われて久しい時で、
大学はレジャーランドだとか、駅弁大学だとかの
言葉で揶揄され始めた時だったと思う。
この頃に大学を出た先輩達は、その専門分野
に就職するのではなく、全く専門外の分野に
就職して行く人もちらほら現れてきていた。
農芸化学を卒業して、船橋のヘルスセンターへ、
教育学部を卒業して某デパートへ、という進路で
私たちはへ〜と驚きもし、唖然ともしていた。
大学での知識は絶対なものと信じていたのに、
必要ではない時代になってしまった。
おりからの高度成長と好景気の時代。
社会に対する反抗を唱えて、西洋文学を読み、珈琲を
飲み、クラシックを聞いていた先輩たちが、妙に
貧乏くさくなって、格好わるくなって来ていた時代。
しかし、あれから数星霜、今、私は知識を得たいと
必死になっている。
今や、私の中の《新、教養主義》は進歩の思想だと思う。
社会はよくなっていくんだ、それを個人に引きつければ
自分がより良くなって行くんだという成長物語を信じて
いこうと。
自分は何ものか、自分はどう生きれば素敵なのか、
かっこいいのか。
こういう時、自分を見つめる一つとして、長文の、難解な
いい文学作品を読むというのはどれほど、自分を鍛えるか
あまり期待はできないけど、少しは変われるんじゃないか
今の若者に苦言を呈すれば、ネットで、細切れの情報を得て
分かったつもりになっているのは、いささか違うのではないか
と思う。
忍耐のいる作業かもしれないけど、美しい日本文学に帰って来て
ほしいと思う。