そぼ降る雨の中、朝日カルチャーセンター主催の講演会に行ってきました。
今晩は高橋源一郎さんの『論壇時評』の書籍化を記念しての講演です。
私はキャンセル待ちでやっと滑り込む事ができました。
人気があるのですねえ。
キャンセル待ちをお願いしてからこの本を買いに行って、間に合うかな・・・と
思いましたが、意外に楽に読めて面白かったです。
高橋さんのお話は実に興味深く、私のような素人にも分かりやすい導入で
どんどんのめり込ませて頂きました。
高橋さんは二日前に?フィリッピンからお帰りになったらしく、叔父さんたちの
戦死の地に慰霊に行った話からあの時の戦争の是非について言及し始め
ました。
そもそも御父上の葬式の後に残されたメモに書かれてあった叔父さんたちの
戦死場所や日付に気がついたところから始まります。
そして、あの頃の戦争で最も過激で、過酷だったのがフィリッピンであった事。
日本人は54万人、アメリカ人27万人、フィリッピン国民20数万人、この頃
ほとんど100万人の人がここで死んだそうです。
ここのフィリッピンでの戦いは上の考えでは、ここで戦っておれば、御国の日本
にはやってこないだろう・・・との考えがあったのではとも伝えられること。
ここでの銃撃戦は1月から5月までで、5月には日本軍には銃も食料もなくなった
とある。この後の9月全滅までは戦いなしで、日本軍は全員餓死したらしい事。
この作戦は始めから挺1号作戦と言われ、降伏も玉砕も許されなかったらしい。
事実、本国日本では8月15日に終戦になっているのに、現地ルソンでは知ら
される事がなかった。
実際小野田寛夫さんや横井正一さんは知らされずにさまよい続けたのですね。
この詳細が残っているのが靖国神社だそうで、高橋さんはここに朝日新聞の
記者と二人で調べに行ったと言っています。・・・主義に反するらしいですが。
そして、上官達は生きて帰ったそうですが。
こういうことを今考えて、もの凄く大きな間違いがあったんだと、どこかに
あったんだと高橋さんは考えます。
最初から勝つ気がなかったのかとさえ思えると。
戦争に負けたのなら、投降する。食料がなくなったら、辞めて帰る、病人が
いたら、休ませる。負けそうなら、引く。これがロジカルではないか。
日本は戦争中も非合理であり、不合理であった。東京裁判は連合軍が行い、
日本人は裁判をしないでこの事を忘れさった、言語化しないままに。
さてさて、続きます。