一介の水飲み百姓から天下人に登りつめた
豊臣秀吉は天才だった。彼は人に気に入られ
る術を心得ている人垂らしでもあった。
しかしそれだけではない。天下無敵の築城術
を持っていて、あの時代に東洋一の大阪城を
築いた。秀吉があの大阪城で、その最盛期に
並み居る家臣の前で自慢話をした。
しかしその自慢話が過ぎてしまったかも知れない。大阪城が優れているという自慢ととも
に、しかし、大阪城の欠点も披露してしまった。大阪城は南側が弱い。そして、三の丸を取り払って仕舞えば、裸城に近い・・・と。
そこには当然家康がいた。
先日、司馬さんと大前研一さんとの対談の部
分を読んでいたら、あの『住宅専売公社』の
話が出てきた。調べて見たら、1970年代の中頃にお国の肝いりで作られ、団塊の世代が
そろそろ自分の家を持ちたいという欲求に
応えるべく創設された住宅専門のノンバンク
だったそうだ。しかしお決まりの様に後続の
銀行に敗れ多額の不渡りを出し、結局税金で
救われた形になった。ここに、何とかまがい
の朝日住建が出てきて、やはり多額の不渡り
を出す。さてさて、ここに救世主の如くあら
われたのが中坊公平さんでした。
この方は『平成の鬼平』と言われ、辣腕を振
るうのですが、この朝日住建の破産管財人を
見事なまでに行うのですが、上手に過ぎて
しまったらしい。秀吉の様にウッカリ漏らし
たわけではないけど、抵当権を安くし過ぎて
利をもたらしてしまった為に後にこれが原因
で詐欺罪を問われて、弁護士の資格を剥奪さ
れてしまったらしい。
上手過ぎてついつい・・・という事がいかに
怖いかなんですね。
司馬さんは《城塞》で書いています。
家康は生涯、油断をする事が無かった・・・
と。